用語集

【き】 15件

【逆ハーレム (ぎゃくはーれむ)】
女性が複数の男性にモテまくる状態のこと。
幕恋の小娘のような状況。

実はこれ、江戸時代の都市部においては、不自然でも何でもない。
当時「入り鉄砲、出女」という言葉に代表されるように、女性の移動には制限が多かった。
一方、諸般の理由により故郷を飛び出し、都市部に流入してくる男性は非常に多かった。
したがって、ある説では江戸の人口の男女比は10:1だったと言われるほど、都市部では圧倒的に女性が不足していた。そのため、男性はよほど努力をしないと結婚できないのが普通で、適齢期の女性なら常に複数の男性に言い寄られることはざらにあった。
それどころか、大店では夜間、女性従業員を二階に寝かせて梯子を外したり、大名屋敷で若い男性藩士の住む長屋と女性の住む奥座敷を隔離したりするなど、若い男性を多く抱える組織では、万が一にも問題が起きないように、苦慮していた。


【牛肉 (ぎゅうにく)】
幕恋の時代、小娘が乳製品を手に入れるのはけっこう難しいのですが、牛肉を手に入れるのは比較的簡単。
彦根藩(今の滋賀県北部)では肉牛を育てていて、肉は大坂や江戸で売られていた。いわゆる近江牛ってやつ。
ほとんどは味噌漬けにされて売られてたけど、大坂だと牛鍋屋とかに生肉も卸していた。
慎ちゃんが大坂の薩摩藩邸とかにお呼ばれして食べてた焼肉は、これなんだろうか。

薩摩は豚肉を昔から食べてたけど、牛肉を食べるようになったのは幕末になってからで、当時も年齢が高めの人には抵抗があったらしい。
西郷さんは牛肉嫌い。大久保さんの好き嫌いはわかんないけど、明治になってからは普通に食べてる。

高杉√によると小娘は豚肉ハンバーグ派らしいですが(江戸っ子だなあ)、和風牛肉ハンバーグなら、高杉さんに作って食べさせてあげられます。


【玉露 (ぎょくろ)】
茶の新芽が出た直後くらいから、茶摘みまでの間、よしずなどの覆いをかぶせることで、渋みを抑え甘味を引き出した高級茶。

科学的に言うと、日光を遮って光合成を妨げることで、渋み成分のカテキンの生成が減り、甘味成分のテアニンが増える。

玉露が生まれたのは、1835年。山本山の六代目、山本嘉兵衛が宇治で発明した。

ということはたぶん…大久保さんの子どものころは、薩摩まで宇治の玉露が流通してなかったと思う。
九州にはもっと安い茶の産地がいっぱいあるし。

1861年に大久保さんが初めて京都に出張して来た時、宇治茶の玉露を飲んで、
「ふん、何だこれは」
なんて言いつつ、内心では、京都にはうまい茶があるもんだと感心したとすると…。

大久保さんが京都にわりと長く滞在するようになったのは、幕恋の前の年の1865年からなので…。
大久保さんがいちいち小娘に、
「茶は極渋だぞ」
って主張しているのは、比較的最近のマイブームってことになりますね。


【議を言な (ぎをゆな)】
薩摩弁で「理屈を言うな」の意味。
転じて「文句を言うな」の意味にも使われる。
薩摩ではかなりよく言われる表現らしい。
目上の人、年上の人にこれを言われた場合、おとなしくしないと痛い目にあう。

大久保さん、そういう環境で育って、なんでここまで理屈っぽくて文句の塊なのだろうか。


【銀板写真 (ぎんばんしゃしん)】
専門用語ではダゲレオタイプ。
日本でもっとも古い写真は1857年の島津斉彬のもので、この技術を使って撮影された。

幕恋の時代よりちょっと前の時代の写真技術だが、湿式写真より鮮明に写り、設備も少なくて済むので、維新当時もまだ使っている写真家はいた。

銅板に銀メッキしたものを感光材料に使う。銅板は薄いカード状のもので十分だが、表面が傷みやすいので額かケースに入れて保存しないといけない。
なので、当時の写真屋で撮影してもらうとすると、渡される写真は、厚さ1cm以上の金属板に入っていることになる。

銅板にメッキと言えば、当時の鏡もガラス製でなく金属板。
こちらは錫メッキだが、やはり傷みやすいのでケースに入れられており、厚さ6mm〜1cmくらいのものが多かった。

長州藩士の井上聞多が暴漢に襲われた時、胸に斬り付けられたが、なじみの芸妓にもらった手鏡を懐に入れていたために、急所をそれて助かったという逸話がある。
まあ、手鏡も銀板写真も、ほぼ同じ厚さの銅板なので、写真を懐に入れていた場合でも、なんとか助かるんじゃないかな。


←前の10件

[戻る]



©フォレストページ