創 話

□ワンダフルライフ
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夢を見た。
何度も見て来た夢の中で、俺とあの人は何度も同じ約束を交わす。
痛い位に握る手は温かくて、愛しくて、震えていて。
頷いてくれた彼に笑いかけて伸ばした手で頬を包み込むと、世界は真っ白な闇に包まれて現実の世界に引き戻される。


目を開けると、ペンを握ったままの右手の下で書きかけの書類が不自然な皺を作っていた。
目だけを動かして周囲を確認すると、皆それぞれに自分の作業をしている。
誰も気付いていないだろう、と何事も無かった風を装って俯いていた顔を上げると、然り気無く書類の皺を伸ばして中断してしまっていた仕事を再開しようとした。その時、

「珍しいじゃないの」

不意に声がして視線を巡らせると、ニヤリと笑う二宮と目が合った。

「翔ちゃんが仕事中に居眠りなんて。まぁ、無理もないですけどね。昼飯食って腹膨れて、天気も良くて適度に暖かくて」

うん、と伸びをしながら二宮が窓の外へと目をやる。
外では午後の日差しに照らされた緑が眩しく輝き、
赤い花が咲き誇っていた。

「それとも、眠れないような事でもありました?」
「別に何も無いよ」
「そうなの?つまんねぇな」
「なんだよそれ」

面白い話期待したのに、などと宣ってから、

「まぁ、何かあったら遠慮無く言いなさいよ。場合によっては相談に乗ってあげない事もないから」

と欠伸で潤んだ目と冗談とも本気とも取れる口調で続けて、俺もそれに軽口で答えながら溜まっていた事務処理に改めて取り掛かった。
人の出入りは相変わらず途切れる事無く続いていて、この先もずっと変わる事無く続いていく。
自分はいつまで、この仕事を続けていくのだろうか。


一日の仕事を終えて、遅めの夕食を一人で摂った。
食事を終えた俺が向かったのは自分の部屋ではなく、松本のいる203号室。
コンコン、と二回ノックすると「はい」と言う返事から少し遅れてドアが開かれた。

「あぁ、翔さん」
「どうだった、あれ?」
「半分ぐらいまで見たんだけど、自分の事なのに忘れてる事っていっぱいあるもんだね」

思い出選びの参考になればと、昨日用意しておいた松本の一生が記録されたビデオを、今朝松本に手渡していた。
なかなか決められず迷っている人には、本人の物に限り貸し出しが可能になっている。

「自分のしてきた事を客観的に見ると、また違って見えるだろ?」
「うん、映画でも観てるような気分なんだけど、時々無性に恥ずかしかったりするんだよね。俺この時こんな事言ってたんだ!?とか」

笑いながら話す松本に招き入れられて俺も部屋に入ると、再生されている映像の中、まだあどけなさの残る制服姿の松本が友人達と自転車を漕いでいた。学校帰りだろうか。
松本の過去を暫く眺めていると、備え付けのポットで淹れられたインスタントコーヒーが差し出された。

「どうぞ」
「ありがとう」

カップを受け取ると、インスタントとはいえ芳しい香りが鼻孔を擽って、口を付けて少しずつそれを喉に流し込む。
その頃画面の中では、松本がコソコソとベッドの下から何かを取り出していた。傍らにはティッシュも用意してある。

「あっ、こ、この辺はちょっと」

慌ててリモコンで早送りする松本の顔が赤くて思わず笑ってしまうと、不貞腐れたように言う。

「男だったら誰だってあるだろ、こういう事」
「俺まだ何も言ってねぇし」

松本は何か言い返そうとして、照れたように苦笑した。
適当な所で早送りをやめて、また再生する。映し出された映像を見て、高校生の頃だと松本が言った。高校生の松本は、どこか緊張した面持ちで長い黒髪の艶やかな可愛い女の子と一緒にいる。

「好きだったんだ、あの子の事」
「付き合ってたの?」

松本は首を横に振った。

「フラれたんだよね。で、落ち込んでたら、多分俺を励まそうとしてくれてたんだと思うんだけど、じいちゃんがなんか適当な事ばっかり言っててそれが可笑しくてさ」

松本の祖父は失恋して帰ってきた孫に、孫曰く独創的な恋愛論を披露したのだと言う。

「なんか、どこまでが本気か分かんないような事ばっかり散々言って、しかも抽象的過ぎてよく分かんない事ばっかりで。あぁ、でもそう言えば・・・」

そこで松本は一旦言葉を切った。
手に持ったままのカップの中を覗き込むようにして静かに語る。
話している間もビデオは流れ続けて、高校生だった松本をいつの間にか大人へと変えていた。もう、今とそう変わらない姿をしている。

「すごく愛してた人がいるって、その時言ってたんだよね。ばあちゃんの事では無いみたいで、ばあさんには内緒だぞ、って冗談ぽく言ってたけど・・・、なんとなく、それだけは本心で言ってるような気がして」

しかしその後、松本が何を聞いてもその事に関してははぐらかすばかりだったらしい。

「結局詳しい事何も聞けなかったんだよね」
「じいさんまだ生きてるの?」
「亡くなったよ、三年前に」

そう穏やかに話しながら、冷めてきたコーヒーを漸く飲み始めて。
俺もまた何気無く画面へと目を向けて、そこに映っていたものに目を見張った。

「・・・え・・・?」

松本がそんな俺の様子に気付いて訝しむ。

「どうしたの?」
「な、んで・・・」

それでも俺は画面から目を逸らせない。

「智・・・くん・・・」

そこには松本とあの人が。
大野智が、いた。






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