創 話

□ワンダフルライフ
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もしかして翔さん、と松本の声が淀み無く俺の元に届く。

「・・・の事、知ってるの?」
「え・・・今、なんて・・・?」

聞こえなかった訳ではない。むしろハッキリと聞こえていた。
それを敢えて聞き返して、松本が再度繰り返す。

「だから、じいちゃんの事、知ってるの?」
「じいちゃん・・・?」
「そう。うちのじいちゃん」

画面の中で松本と一緒にいる智くんは、確かに俺の記憶よりも年齢を重ねている。
一目で間違いなく彼だと判ったのは、目元や口元、表情や仕草、彼を構成する多くの要素があの頃と変わっていなかったからだ。

「でもお前、苗字が」
「苗字?あぁ、母さん結婚して松本になったけど、旧姓は大野なんだ」

俺は松本が彼の血縁者である事に驚きながら、同時に安堵してもいた。
松本のビデオの中の智くんは、優しい眼差しで穏やかに笑っている。
彼はしっかりと自分の人生を歩み、誰かと出会い家庭を持って、家族と共に笑っている。
彼の傍にいるのが自分では無い事が、寂しくないと言えば嘘になる。
でもそれ以上に、彼が笑ってくれている事が何よりも嬉しかった。

「知ってるよ。よく知ってる」

俺は今でも、あの人の事を。

「なぁ、お前にとってのじいさん、どんな人だった?」

俺がそう聞くと、松本は少し思案して、頭の中で考えを纏めながら話し出す。

「何考えてるか分かんない時もよくあったけど、優しい人だった。昨日も話したけど、手先が器用で色んな物作ってくれたり、釣りしたり、ボーッとしててマイペースなとこもあるけど、なんか憎めなくて家族からも近所の人達からも慕われてたんだ」

昨日中庭で聞いた思い出話も、今目の前で語られる人物像も、悉く俺の知っている智くんと重なってつい笑ってしまう。

「あの人らしいな」
「それで、翔さんとじいちゃんはどんな関係だったの?」
「智くんは・・・」

投げ掛けられた質問に、俺は嘘を吐いた。
真実を話したら松本は何を思うだろうか。

「大切な、かけがえの無い友達だったよ」
「へぇ、そうだったんだ?」

そして自分は50年以上も前に29歳で死んでから理由あってここで働いているとだけ説明した。


それから暫く、二人で智くんとの思い出を語り合った。
松本は俺が話す自分が生まれる前の智くんの話を興味深く聞き、俺は松本の話す、自分がいなくなった後の智くんの姿を感慨深く聞いた。
互いに語る彼のイメージに齟齬などはまるで無く、ともすれば同じ時を共有していたかのような錯覚に陥りそうになる程だった。
智くんについて話す俺と松本のすぐ傍に。その時間、その空間に、智くんは確かに存在していた。




松本の部屋からから自室に戻ると、そのままベッドに仰向けになった。

自分が長くここに留まっているのは思い出を選べないと言うよりも、正確には決断が出来ずにいるからだった。
選びたい思い出はある。
でも彼が。もしも智くんが哀しみから立ち上がれないでいるとしたら。
そう思うと、自分だけがのうのうと楽しい思い出を選んでこの先に進む事など出来なかった。
勿論そんなのは杞憂であって欲しいし仮にそうだとしても、自分が彼にしてあげられる事などもう何も無い。
分かってはいても、もし哀しんでいたら、もし苦しんでいたらと思うと決断を下す事が出来なかった。
もしかしたら俺は先に進まずこの場所に留まる事で、自分の時間を止める事で、彼を遺してきた自分を戒めたかったのかもしれない。
そうして時間だけが過ぎていき、一年、二年と流れた時間は気付けば五十年を越えていた。


だけど、今。
あの後智くんが幸福な人生を送っていた事を知った。
松本の話からも、ビデオに映っていた姿からも、それは間違いなかった。
彼は本当に心から笑っていて、俺にはそれだけで充分だった。
それが分かった今、もうこれ以上ここに居続ける理由は無い。
目を閉じ、大きくゆっくりと深呼吸をしてから再び瞼を開く。
見上げた視線の先、晴れた夜空には下弦の月が浮かんでいた。






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