創 話
□ワンダフルライフ
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「この人の事覚えてる?ニノの担当なんだけど」
差し出したケースに視線を落とした二宮は、暫く何も言わずにそこに書かれた名前を見ていた。
毎日何十人、多い日では一人で百人以上の人を相手にしている。況してや三年も前の話だ。余程の事が無ければ覚えてなどいないだろう。
「悪い、覚えてる訳ないよな」
しかし二宮は、落ち着いた声で言った。
「前に話した事あったでしょ?ここに来てすぐに思い出決めた人。その人だよ」
予想外の返答に何を言われたのか瞬時には分からずに、言われた言葉を脳が理解するのに少し時間を要した。
そして、二宮は何かを知っている、そんな確信めいた予感に胸が騒ついてドクドクと鼓動が煩く響く。
「ごめんね、翔ちゃん。実は俺、知ってたんだ」
「何、を・・・?」
何を、知っている?
「あんたと大野さんの事」
「知ってたって・・・何だよそれ・・・?」
聞きたい事も、聞かなければならない事も。
幾つもあるのに感情と思考が混乱して、気持ちばかりが焦る。
「口止めされてたの」
「・・・口止め?」
怪訝な顔で聞き返す俺に、二宮はゆっくりと頷いた。
「三年前、俺んとこに大野さんが来て・・・」
いつものように彼を出迎えた二宮は、思い出を一つだけ選ぶようにといつも通りの説明をした。
誰もが何日もかけて考える訳ではないが、それでも生前の自分と向き合ってじっくりと選ぶ人が殆どだった。
しかし、滞在中に使う部屋の鍵を渡そうとした時、彼は既に選ぶ思い出を決めていた。
『誰がどんな思い出選ぼうと勝手なんですけどね?ちゃんと意味分かってる?』
『・・・分かってる』
あまりの早さに確認すると、彼はボソリと答えた。
『本当に分かってる?そんな適当に決めて』
『適当じゃないよ。それに迷うまでも無いし、変える気も無い』
二宮が何度か言い方を変えて説明し直しても返答が変わる事は無かった。
本人がそこまで言うのならそれ以上引き留める事は出来ない。
二宮は彼の一生が記録されたビデオを元に指定された思い出でフィルムの作成を始め、そこで。
「そこにね、翔ちゃんがいたの。あの人の人生の中に翔ちゃんがいた」
まだ俺が生きていた頃の智くんの記録。
それは、俺の記憶でもある。
「だから俺、翔ちゃんここにいるよって言ったんだけど・・・あの人、翔くんには会わないって・・・」
二宮が窺うように俺を見る。
翔くんには会わない、その言葉がグルグルと頭の中を駆け巡る。
でも、仕方が無いと思った。
智くんは俺がいなくても幸せな人生を送れたのだ。
今更俺に会う必要も無い。
寂しいけれど、それならそれでいい。
「大野さんね、言ってたよ」
二宮は智くんの言葉を続けた。
「翔くんがいなくなって辛かったって」
やはり辛い思いをさせてしまったのだと思い知らされて、胸が締め付けられる。
「訳が分からないぐらい泣いたって」
突き刺さる言葉が容赦無く俺を抉っても、耳を塞いではいけない。
そうさせたのは俺なのだから。
「でも、それでも・・・」
『それでも・・・』
二宮の声に、智くんの声が重なる。
『俺は自分で乗り越えて翔くんとの約束を守った。家族にも恵まれて、翔くん無しでも幸せな人生を送った』
まるで直接語り掛けられているみたいに。
『それなのに、いつまでも過去に囚われてるのは翔くんの方だ』
愛しい声が、懐かしく温かく響く。
『翔くんが自分でケリをつけないと意味が無い』
胸の奥が。瞼の奥が。鼻の奥が。
『だから、俺は先に行って待ってる』
チクリと痛んで、ジワリと熱くなって。
「待ってるったって、そんなのどうなるか分からないって言ったんだけど、『翔くんとなら、絶対また会える気がする』って、そう言って笑ったんだ」
涙が、溢れた。
「翔くんが自分の足で前に進めるまで、俺の事は言わないでって。時間かかると思うって言ったら・・・俺は翔くんを信じてるって。でも翔ちゃん見てたらもどかしくて、我慢出来ずに名前伏せて喋っちゃったけど・・・」
視界に入るもの全てが滲んで歪む。
「翔ちゃん。あの人が選んだ思い出ね、」
歯を食い縛っても、袖で拭っても、涙は止まらなくて。
「翔ちゃんと同じだったよ」
子供みたいに、声をあげて泣いた。
溢れる想いに身体が震えて、呼吸が追い付かずに咽る。
二宮は何も言わなかった。
落ち着くまで、何も言わずただ傍に居てくれた。
「早く行ってあげなよ。大野さんが待ってる」
それに応えて頷く。
思い出を選んでここを出たら、それ以外の記憶は消えてしまうと言われている。
それが真実なのだとしても。
それでも、たとえ生まれ変わっても。
根拠なんて何も無いけれど、智くんがきっと何処かで待ってくれている気がした。
上映室へと続く廊下は相変わらず静かで、足音だけが響く。
不意に二宮が言った。
「ここに長くいるとね、そのうちに目的忘れちゃう人もいるんですよ」
前を向いたままで続ける。
「まぁ、居心地も良いっちゃ良いしね。だから時々確認するの」
俺も何回か聞かれた事がある。
熱心に働くのはいいが目的を忘れてはいないか、と。
「でも、翔ちゃんは違う理由でこの先もずっとここに居続けるんだと思ってた」
「違う理由?」
「一つだけ選んで、それ以外を忘れてしまうのが怖いんじゃないかって」
二宮がドアノブを引くと、大きな木製の扉がギーと音を立てて開いた。
「・・・俺は一つだって忘れたくないんだよ」
「ニノ・・・」
二宮も大切な誰かを想っている。
それは恐らく、気の遠くなるような長い時間。
「あのさ、ずっと聞こうと思ってたんだけど・・・」
扉の奥へと入って行く、その背中に問い掛ける。
「・・・ニノはいつからここにいるんだ?」
「んー、いつからだろう?もう自分でも分かんないや。でも・・・あんたが生まれるずっと前からだよ」
悪戯っぽい笑顔で振り返ってから、二宮は映写室へ向かった。
俺も扉を閉めて、中央の座席に座る。
照明が落ちて、辺りが暗くなった。
後方の映写室を振り返る。
逆光で顔はよく見えない。
でも、二宮が片手を上げて軽く振るのが分かった。
声も聞こえないけれど、じゃあねと言ってくれた気がした。
ありがとう、と礼を言ってから正面に向き直ると、大きなスクリーンいっぱいに俺と智くんの選んだ思い出が映し出された。
一緒にいられるだけで何もかもが輝いていた日々。二人で過ごした何でもない日常。
あの頃の俺と智くんが寄り添い合い、幸せそうに笑っていた。