創 話

□Doubt&Trust
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亡くなったニノの兄弟の話を聞いた二日後の土曜日。
学校は休みで、俺は朝早くから電車に乗った。
天気は朝から曇り。電車が都心から離れるにつれ次第に窓から見えるビルの数は減っていき、代わりに田園風景が広がっていく。
目的の駅で電車を降りてバスに乗り、長閑な風景の中をしばらく進んで教えられたバス停で降りると、まず時刻表を確認した。
バスは凡そ一時間に一本で、夕方のバスが最終らしい。それまでに戻って来なくてはならない。
そこはニノがかつて暮らしていた町だった。
一度立ち止まって周囲を見渡した後、ニノの祖父母が今なお暮らしているその家を目指す。
昨日の午後、読書をしていたニノに声を掛けた。

「ニノが子供の頃暮らしてた千葉の家、見てみたいんだけど」
「どうして?」

ニノは読んでいた本から顔を上げてあからさまに眉を顰める。

「・・・なんとなく、どんな所なのかなって」
「なんとなくって、翔ちゃんがそんな無駄な事に時間を費やす人だとは思えないけど?」
「別にいいだろ?」

ニノは俺から目を逸らし、机に置いた本に視線を落とした。
彼は俺を無視して本に集中しようといている。
その本のページの隅、小さな文字で本のタイトルが記されていた。

『あなたは1人じゃない 〜前向きに生きる方法〜』

俺が僅かにショックを受けながらそのタイトルを読み上げると、ニノは顔を伏せたまま、誤解しないで、と言った。

「この本ならつまらなさそうだから眠れるかもしれないと思っただけ」

暫く迷うように沈黙した後、ニノは再び顔を上げた。

「翔ちゃんに雅紀の話をした事後悔してる。行くなって言ったってどうせ行くんでしょ?行くなら一人で行ってきて。俺は行かない」

何故一緒に行かないのかと聞いたら、寝不足で体調がすぐれないからだと返された。
だから俺は一人で彼の祖父母の家を訪ねる事にして、家の住所と行き方を聞き、簡単に地図も描いてもらった。
俺と面識の無い祖父母には、写真が趣味の友人が風景写真を撮る為に行くからとニノが事前に電話しておいてくれる事になった。

「話はそれだけ?」
「あぁ、ありがとう。明日行って来るよ」

そう言い残してニノに背を向ける。
教室を出るまでずっと、背中に視線を感じていた。
何か言おうとしているようだったが、俺は敢えて何も聞かなかった。
ニノの祖父母の家に向かいながら、先日ホームセンターのバス停で聞いた話を頭の中で反芻していた。
雅紀は首吊り死体で発見された。
しかし、ニノの話で腑に落ちない部分があった。
それは、彼が雅紀の死体を発見した時の事だ。
ニノは納屋の扉を開けてすぐに天井からぶら下がる雅紀を見つけた。
そして慌てて玄関先の祖母に、雅紀の死を伝えに行ったという。
ニノは何故すぐに雅紀が死んでいると分かったのか。
彼は時々雅紀と二人で死体の真似をして遊んでいたのに、雅紀が死体ごっこをしているだけだとは考えなかったのだろうか。
見た瞬間、ニノは慌ててごっこ遊びの事を失念してしまったのかもしれない。気が動転してしまうのはごく自然な反応だろう。
そこで見たものはごっこ遊びとは比べ物にならない、本物の迫力を持っていた筈だ。
しかし、悪戯であるという可能性を考えず即座に死んでいると断定して祖母に知らせに行ったという事が、俺にはどうも不自然に思える。
話に聞いて想像していたよりも長い距離を歩き、俺はようやくニノの祖父母の暮らす家に着いた。
玄関に向かう途中、左隣に建っている小さくて古ぼけた納屋が視界に入る。
あれが雅紀が遺体で発見された納屋に違いない。
それを横目で見ながら玄関の前に立ち
インターホンを鳴らそうとした時、後ろから名前を呼ばれた。

「櫻井くん?」

振り返ると年配の女性がいた。
おそらくニノの祖母だろう。

「和也から電話で聞いてます。遠かったでしょう?遥々こんな田舎まで」

いらっしゃい、そう言ってにこやかに笑う顔はやはりなんとなく、ニノと似ている気がした。

「はじめまして、櫻井です。急に押しかけてしまって申し訳ありません。いい写真が撮れたらすぐに帰りますのでお構いなく。二宮君にはいつもお世話になっています」

挨拶をすると、ニノの祖母は疲れただろうからとりあえずお茶でも、と言って家にあげてくれた。
通された居間で祖父も交え、ニノの最近の様子や学校での話をしている途中でテレビの上に飾られた一枚の写真に気が付き、俺の視線に気づいた祖母が説明してくれた。
写真にはよく似た二人の男の子が写っていた。

「小さい頃の和也と雅紀よ。あの子が双子だった事は、聞いてる?」
「はい。伺ってます」

お茶とお菓子をご馳走になった後仏壇に手を合わせ、仏壇に飾られた雅紀の写真を眺める。
九年経った今、和也は成長して写真の雅紀とは他人の俺が見ても簡単に区別がつくようになっていた。

「そうそう、あの子たちが子供の頃に描いた絵がまだとってあるの」

祖母はそう言いながら違う部屋に行ってしまい、祖父は苦笑して俺に向かってすまなそうに頭を下げた。

「すまないね。家内があんなに浮かれて、迷惑だろう」
「あ、いえ」
「和也がこれまで友達を連れて来ることなんて無かったから、喜んでしまってね」

そこへ祖母が紙袋を抱えて戻ってきた。
紙袋の中から何枚もの古ぼけた画用紙を取り出す。
画用紙の裏に学年と名前が記されていて、ニノのものも雅紀のものも一緒に入っていた。
ニノの描いた絵は一年生から六年生まで揃っていたが、雅紀の描いた絵は一年生と二年生の時の物だけだった。
俺はその二年生の時に描いた二人の絵を並べて見比べる。

「どっちも何を描いてるのかよく分からないでしょう?」

そう言いながら祖母は微笑んでいた。
兄弟の画力に大差はない。
しかも同じ題材を描いたらしく似たような絵を描いている。
どちらの絵も簡略化された家の断面図が描かれており、その中によく似た男の子らしい人物が二人ずつ。
それらの人物はおそらく彼ら自身なのだろう。
祖父と祖母は二人が家の中で並んで立っている絵だと推測していた。
俺は黙っていたが、彼らが何を描いたのか俺には解った。
それぞれの絵に描かれている二人の首から伸びた赤い線が、天井へと繋がっている。
おそらく納屋で首吊りごっこをした時の絵だろう。
どちらもそれ程大差はないが、雅紀の方が若干細かく描写していた。天井の梁に紐がぐるぐると巻きつけてある様や、積み上げた木箱。家の上に浮かんでいる太陽。 そして二人の少年の履いている靴。
和也の絵ではそれらが細かく描かれておらず、シンプルに、あるいは大胆に塗り潰されていた。
足の先まで肌色一色で、靴を描こうともしていない。背景は暗い灰色。
そこで再度雅紀の絵に描かれている靴を注意深く見た。
片方の少年は黒い靴を履き、もう一方の少年は白い靴を履いている。

「そろそろ写真を撮りに行きたいので・・・」

暫く祖父母の思い出話を聞いてからそう切り出し、持参した買ったばかりのカメラを持って外に出た。
写真が趣味だと口実にした以上、少しくらいは写真を撮らなければならない。
玄関を開けると小雨が降っていたが、まだ傘を差すほどでもなく、そのままカメラで周囲を適当に撮影しながら歩く。
そのうち次第に雨粒が大きさを増してきて、偶然を装って納屋へと向かった。
納屋の引き戸に指を掛けて横へひくと、入り口から差し込んだ光で中がぼんやりと照らされた。
高さは2メートル、広さはよ4メートル四方といったところだろうか。地面は粘土のような土で、破損した屋根に掛けられているビニールシートに雨粒が当たって音が響く。天井近くに梁があり、壊れかけた屋根が見える。
所々に空いた穴から、屋根にかけられたビニールシートの青が覗いていて、天井には小さな電灯が一つ下がっていた。
話によると昔は納屋で犬を飼っていたらしいが、その犬はもういない。
入り口がある正面の壁には、地面と接する位置に正方形の小さな出入り口がある。
おそらくそれは犬専用の出入り口で、犬はそのあたりに繋がれていたのだろう。
入り口の傍にあるスイッチを押すと天井から下げられた小さな電灯が光を灯した。
納屋の中には、農具や資材、庭の木の手入れに使う剪定鋏等が置かれている。
雅紀の死について、俺はニノを疑っていた。
ニノは納屋の扉を開けた時、雅紀が死んでいる事を既に知っていた。
しかし家族の前で、たった今はじめて雅紀の死体を見つけたと演技したのだ。
何故そうする必要があったのか。
隠したくなるのは、どんな場合か。
その心理を考察すると、ニノが雅紀の死に深く関係しているのではないかという推測に辿り着く。

「ここで、雅紀が見付かったの・・・」

振り返ると、納屋の入り口にニノの祖母が立っていた。
神妙な面持ちで納屋の中の、少し見上げた位置を見つめていた。

「みんなを驚かせようとして、誤って亡くなってしまったと聞いています」

彼女の視線を辿り、同じ場所を見つめた。
おそらくそこに、雅紀はいた。
雨は土砂降りになってきたらしい。雨音が先程より激しくなっている。
犬用の戸口の傍に何種類かの紐がかけられていた。犬を繋いでおくための紐らしい。 犬が死んでもまだ残されているのだろう。
様々な色のものがあったが、特に赤い紐が目を引いた。

「あの時の事はまだよく覚えてるわ」

彼女は静かな声で話し始めた。

「私が近所から帰ってきて傘を畳んでいたら、和也が玄関にいて・・・」

ニノから聞いていた話と殆ど同じだったが、一つだけ引っかかる事があった。
それを聞こうとした時靴の裏側に違和感を感じ、足元を見るといつの間にか靴底が地面に張り付いていた。
地面は粘土のような土である。雨が降ると天井から漏れる水滴で僅かに柔らかくなり、その為に粘度が高くなるのだろう。
足を上げると、張り付いた靴底が地面から剥がれる感触。
そして地面には薄く靴跡が残っていた。
雅紀が死んだ日も雨だった。あの日も地面はこうなっていたのだろうか。
たった今地面に付いたばかりの靴跡は薄い。
当時まだ小学生だったニノは今よりも体重が軽かったはずだ。その重さでも靴跡は残るだろうか。
当時の納屋の地面が、今よりも雨が染み込んでもっと柔らかくなっていたとすれば、靴跡はついていたかもしれない。
雅紀が死んだ日、雨は昼頃から降り始めた。
それから雅紀が納屋に入り、ニノはずっと母屋にいたという。
遺体を発見した時もニノは入り口から中を見ただけだと言っていた。
もしも彼らの祖母があの日、納屋の中でニノの靴跡を見ていたとしたら、バス停でニノから聞いた話は嘘になる。
ニノの靴跡が残っていれば、遺体を発見するよりも前にニノが納屋の中にいた証拠になるからだ。

「雅紀くんが発見された時、地面に靴跡はありましたか?」

そんな瑣末な事を今でも覚えているかどうか怪しかったが、試しに聞いた。

「雅紀の靴跡ならあったのよ」

意外にもそう、ハッキリと返事が返ってきた。
踏み台に使ったらしい木箱が転がっており、それを片付ける時に地面に子供の靴跡が残っているのを見たらしい。
雅紀の靴跡なら納屋にあってもおかしくない。

「それは本当に雅紀くんの靴跡なんですか?」
「あの子達本当によく似てたから靴で判断してたの。和也は黒い靴、雅紀は白い靴。ただ色違いの靴なんじゃなくて全然違う靴を履いてたから靴跡も違っててね。あの時納屋の地面に残ってたのは、確かに雅紀の靴跡だったの」

雅紀の絵を思い出し、俺は納得した。
どうやら納屋に残されていた靴跡は雅紀のものに間違いはないようだ。
あの日、雅紀は白い靴を地面に並べて裸足の状態で天井からぶら下がっていたという。
律儀にも多くの自殺者がそうするように、雅紀も靴を揃えていたらしい。

「和也くんの靴跡は無かったんですね?」

もう一度俺が確認すると、祖母は何故そんな事を聞くのかと、不思議そうな顔で頷いた。
ニノは死体発見後、確かに納屋へは入らなかった。だから当然靴跡など無かったのだ。
犬用の戸口も調べる。木の板が蝶番で取り付けられているだけの簡単な構造だった。 板を押せば中からも外からも出入りができる。
その辺りの地面は、外の雨が激しくなってもまだ乾いたままだった。
この戸口を使えば靴跡は残らないだろう。

「雅紀くんが脇の下に巻いていた縄は、まだ残ってますか?」

彼女は今度は首を横に振った。
どのような物だったのかも、もう忘れてしまったと言う。

「それより櫻井君、良かったら今日はうちに泊まっていったら?雨はまだ止みそうにないし、この降りようだと帰すのも心配だし」

少し躊躇したが、その親切に甘える事にした。雨は酷くなる一方で、この分だと最終のバスが来るかどうかも疑わしい。
納屋を出て、母屋に戻る。
玄関先で靴を脱いでいると、ニノの祖母は先に台所の方へ行ってしまった。
玄関から伸びる誰もいない廊下を眺めて、立ったまま想像する。
写真で見た幼い双子の兄弟が、俺の前に延びる廊下を並んで歩いている。
今度はどんな悪戯で人を驚かせようかと、ひそひそと内緒話をしている。
想像の中の二人は廊下を突きあたりまで行くと、角を曲がった。
俺はそれを追いかけるようにして家に上がる。
彼らの曲がった先を見たが当然そこには誰もおらず、静かで薄暗い空間があるだけだった。





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