創 話

□Doubt&Trust
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「どうして分かったの?」

軽く首を傾げ、雅紀が問う。

「当時の雅紀は首吊りにしても飛び降りにしても、自殺する人が靴を脱ぐという習慣を知らなかったんじゃないか、そこに気付いたんだ。もしかしたら一緒に首吊りごっこをした時に和也から聞いてたかもしれないけど、恐らくその時は忘れてたんだろう」

見せてもらった絵の事を説明する。
首吊りごっこをしている様子を描いた絵の事を。

「あの絵が描かれたのは九年前の夏休み、和也が亡くなる直前。と言う事は、あの絵から読み取れる描き手の人格が、そのまま事件の起きた日の人格だったとも言える」

和也も雅紀も同じ場面を描いていたが、違っている箇所が幾つかあった。
雅紀の絵では、二人ともが靴を履いていた。しかし和也の絵は、爪先まで肌色で塗り潰されていた。
最初は、雅紀の方が丁寧に描いたのだろうと思ったがどうやらそれは違っていた。
和也の方が記憶に忠実に、事実を正しく絵にしていたのではないかと思ったのだ。
太陽を書いた雅紀とは違い和也の絵は背景が灰色で塗り潰されていた事から、その可能性は高かった。
バス停で話してくれた時、雨の日に首吊りごっこをしたと言っていたのだ。
和也は靴を描こうとしなかったのではなく、裸足でいる場面を描いたのではないか。

「お前言ったよな。雅紀よりも自分の方がそう言う知識もあったって。和也になりすましたお前がそう言うのなら、和也は多分自殺者が靴を脱いでから死ぬという事も知ってたんじゃないか」

和也はその知識を持っていて、ごっこ遊びの時でさえ拘り、靴を脱いでいたのだろう。
それなら絵の中にその知識を反映してもおかしくない。
しかし雅紀はそうではなかった。
遊びの時に靴を脱いでいた事を忘れていたか、それほど重要では無いと判断したのではないか。
だから絵の中で首吊りをする自分達に靴を履かせていた。
それなのに、納屋で発見された死体は裸足だった。
雅紀が一人で死体のフリをしようと思い立って運悪く縄が切れてしまったのであれば、彼の死体は靴を履いていた筈だ。
俺が言葉を区切ると雅紀は少しの間沈黙し、それからゆっくりと話し始めた。

「うん。死んだのは黒い靴を履いてた和也。でも翔ちゃんの推測、ちょっとだけ違うよ」

大きく息を吐いて、今度は雅紀が話し始めた。
グラウンドで練習に励む声や物音が遠く微かに聞こえるだけの教室で、静かに話す雅紀の声が続ける。

「胸に巻かれてた縄ね、あれは俺が切ったんじゃない。切れちゃったんだ」

あの日、母親が出掛けて二人きりになると和也が首吊り死体の真似をしてみんなを驚かせようと提案し、一緒に納屋で作業をした。
雨が降り始めた頃だった。
その頃は犬もまだ生きていて、納屋の中で作業する二人を不思議そうに見ていた。

「和也が木箱を積み上げて天井の梁に巻き付けて、俺は足元で木箱がぐらつかないように支えてた」

雨が納屋の地面を柔らかくする前から、和也は箱の上にいた。
だから納屋に彼の靴跡は残らなかった。
和也だけが死体のフリをして、雅紀は納屋まで誰かを連れて来る役目だった。
死体のフリをしていても誰にも見つからなかったら意味が無い。
作業は進み、やがて和也は梁から下がっている紐と縄を、それぞれ身に付けた。

「そしてあいつは木箱から飛び降りた・・・」

和也がそれまで乗っていた木箱から飛び降り、
首が吊られたように見えた瞬間、脇の下に巻いた縄で空中に吊り下げられる。
そして平気な顔で雅紀を見下ろし、笑った。

「口の端を上げて、悪戯を思い付いた時によくする顔をしてた。和也は普段どちらかと言うと感情を表に出すのが苦手だったけど、そういう時は楽しそうでね」

しかし次の瞬間、不測の事態が起こった。
縄が自然に切れてしまったのだ。

「俺は何もしてない。古くなってた縄が和也の体重に耐えられなくて勝手に切れたんだ。梁の近く、俺の手の届かない高さで」

和也は一瞬首で吊り下がった。

「でもすぐに助けに入った。木箱に乗って和也の体を両腕で抱きしめて支えたんだ。それ以上下に落ちないように」

納屋の中、首で天井から吊り下がった和也を雅紀が必死に支える。
和也はもがき、空中を蹴る様にして暴れた。

「俺は和也を助ける為に必死に支えてた。和也は俺よりも少し体重が軽かったけど、それでも楽に抱き抱えられるほど体重差があるわけじゃなくて。それでも必死だった。それなのに和也はパニックになって暴れて・・・あいつの足が何度も何度も俺の腹を蹴って・・・」

雅紀の視線は遠く、喧騒に満ちたあの日の納屋を見ているようだった。
雅紀が少しでも力を抜くと和也の体が下がり首が絞まる。
和也は必死に雅紀に向かって言葉を発した。
だがそれは、雅紀を励ます類の言葉ではなかった。

「あいつは俺に、バカ何やってんだしっかりしろよ、クズって・・・」

雅紀は強く何かを堪える様に目を閉じて眉間に皺を寄せる。
不安定な木箱の上で、和也を支える腕はもう限界だった。
和也も必死だったのだろう、それ故の乱暴な言葉だと今なら分かる。
けれども追い詰められた極限状態で、幼い身体は体力的にも精神的にももう限界だった。
そしてその時。緊張の糸は無情にもプツリと切れてしまった。

「その言葉を聞いた途端、それまで必死に助けようとしてた俺の腕から・・・力が、抜けて・・・」

和也の体がずるずると下へ降りていき、地面から少し上の位置で落下をやめた。
雅紀は呆然とその爪先見ていた。
和也は靴を履いておらず裸足で、引き攣れるように足の親指と人差し指との間が大きく開き、もがく様にがくんがくんと動いていた。

「それで力が抜けきったみたいに、ゆっくりと和也の爪先は動きを止めた・・・」

雅紀は一歩後ろへ下がった。
粘土の様な地面に張り付いていた靴底が剥がれる感触がして、地面には靴跡が残っていた。
そして傍らに置かれた和也の靴。

「その時何故か、これではいけないと思った。正直に本当の事を言うべきなのにそれが出来なかった。どうしてなのかは自分でも分からない。和也の体はまだ揺れてて時計の振り子みたいで、縄の軋む音がしてた」

幼い雅紀は懸命に考え、一本の道を見出す。
揃えて置かれていた黒い靴に履き替え、それまで履いていた白い靴を代わりに残していくことにしたのだ。
地面の乾いている部分を選んで移動し、犬用の戸口から外に出た。
新たに履いた黒い靴は和也のもので、その日から自分は和也として振舞うしかなくなった。

「家族の前でそれまでのように笑うのをやめて和也の真似をした。いつも一緒だったから癖とかも良く知ってたしね。最初はすぐバレると思ってたけど、俺が雅紀だって今まで誰も気付かなかったよ」

彼はそこまで言うと、疲れたように深く息を吐き出した。
真実を誰にも言わずにこれまで生きてきた雅紀。
彼の内側に鬱積していった、手首を切らせる程の激しい感情、その根源は和也や、代りに失った自分の名前だったのだろうか。
もしかしたら、真実に気付かない周囲の大人達への不信感もあったかもしれない。
気付いて欲しい、でも、気付かれてはいけない。
板挟みになった雅紀の心はずっと悲鳴を上げていたのではないか。
窓から入る光は、次第に金色を増していく。半端に閉められた白いカーテンが、傾いた太陽を透かしていた。
野球部の金属バットがボールを打つ甲高い音が空に響き渡り、消える。
教室内には、変わらず静かな時間が流れていた。

「お前がまだ雅紀だった頃、よく笑う子供だったっていうのが信じられないんだけど」
「そうだね、昔はそうだった。でもあの納屋を出て以来ずっと、笑ったら俺が雅紀だってバレるって思ってた。だからずっと無表情にしてたんだ。笑うのが苦手な和也のフリを何年もしてたら、自分がどうやって笑ってたのかも忘れちゃった」

雅紀は少し寂しさを含んだ声でそう言うと、俺から視線を外して続ける。

「俺ね、最初に俺の名前を呼ぶのは翔ちゃんなんじゃないかって思ってた。翔ちゃんに兄弟の話をした事後悔したけど、今はなんだかホッとしてる。なんでだろうね?」

そう話す雅紀は、穏やかな顔をしていた。

「雅紀にお土産」

自分の鞄の中からそれを取り出すと、雅紀は何?と目で問いかけてきた。

「お前がずっと探してた紐。多分、これならしっくりくるんじゃないかな。目、閉じて」

雅紀は言われるままに目を閉じた。
背後に回り、少し緊張している雅紀の首にそっと赤い紐を巻きつける。
所々ほつれているそれは、あの納屋の壁にかかっていた犬用のものだった。
俺は巻きつけてクロスさせた紐で苦しくない程度に軽く首を絞めるようにし、その状態で動きを止めた。
紐を結び、余った部分を後ろに垂らす。

「そう、この感じ」

雅紀は溜め息をつくように言った。
緊張が解け、彼の内側にあるものが静かに解き放たれていく。
和也は犬用の紐で首を吊って死んだ。
雅紀は無意識に記憶の奥底でこの事を封印していたのだろうか。
自分の求めていたものが、かつて弟との首吊りごっこで使っていた紐だっだと言う事にまだ気が付いていない。

「俺ね、和也の事が大好きだった。酷い事をされたり振り回されたり、喧嘩だってしょっちゅうしてたけど、それでもあいつは俺にとってかけがえの無い存在だった。大事な、俺の半身だったんだ」

雅紀はそう言うと再び目を閉じた。
その頬を一筋の涙が伝って、顎先から制服に落ちる。
俺は何も言わずに教室を出て、そっと扉を閉じた。
扉が完全に閉まる直前、ほんの一瞬視線を送ったその先。
雅紀の隣に、幼い和也が寄り添っていた。






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