創 話

□ワンダフルライフ
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白い壁に白い天井。よく磨かれた床も窓から射し込む光を反射して、室内は柔らかな光に満たされている。
ガチャリと音を立てて開いたドアから、様子を窺うように視線を彷徨わせながら男が入ってきた。

「どうぞお掛け下さい」

部屋の中央にある椅子を男に勧めて、俺は手元の資料で名前と顔写真を確認する。

「松本潤さんですね。初めまして、櫻井です」
「あの、ここは?」

状況が飲み込めない彼に、何百回何千回と繰り返したお決まりの説明を続けた。

「あなたは今日お亡くなりになりました。ですが、ここはまだ死後の世界ではありません。その手前です。と言ってもここから生前の世界に戻る事は出来ないんですが。ここでは、生前の思い出のうち、一番大切なものを選んで頂きます」
「はぁ」

ここに来る誰もが、自分の置かれた状況にまず戸惑う。そりゃそうだろう。死んだと思ったら何処だか分からない見知らぬ場所にいて、しかも突然思い出を選べなどと言われるのだ。
松本も例に漏れず戸惑いを隠せないでいるようだった。

「28歳か。松本くん、でいい?」
「あ、はい」

そんな時は、相手にもよるが話し方をフランクにすると、安心するのか落ち着いてくる事がある。
年恰好が近い事もこの場合は好都合。
そして再び、説明を続けた。

「ここで大切な思い出を一つだけ選んで、その思い出だけを持って死んだ人間が行くべき場所、つまり死後の世界に行く事になる」
「思い出を、一つだけ?」
「そう。残念ながら一つしか持って行けないんだけど」

思い出を一つ選び、それを上映室で映画のように鑑賞する。
上映が終わる頃にはそれ以外の記憶が消去され、文字通りその思い出だけを持って死語の世界へと旅立つ事になる。
その手伝いをするのが、俺の仕事だ。

「でも、急にそんな事言われても・・・」
「勿論今この場で、とは言わない。じっくり考えて決めればいい」

資料と一緒に用意されている鍵を手に取る。
真鍮で出来た、使い込まれたその鍵には203と刻まれていた。

「部屋が用意してある。案内するから」

そう言って席を立ち、先程彼が入って来たのとは別のドアを開ける。
板張りの廊下を進み、レトロな風合いの木造の階段を昇って規則正しく並んだドアの一番奥、角部屋の203号室。
鍵と同じ真鍮で203と彫られたプレートと丸いドアノブの、控え目な装飾の木製のドアを開けると、室内にはベッドと机が置いてあり、バスルームもついている。
窓からは緑豊かな庭が見下ろせる、それ程広くはないが落ち着いた雰囲気の部屋だった。

「思い出が決まるまでここ自由に使って。但し、原則として一週間程度」
「期限付きなの?」
「毎日毎日何十人もの人が来るから、そうでもしないと大変な事になるんだよ」

苦笑する俺に、松本も小さく笑った。

「あの、全ての人が、死んだらまずはここに?」
「全てってわけじゃないな。例えば重大な罪を犯したような極悪人はここには来ない。そういう人は違う施設に行ってるらしいけど」

その辺りの詳細やこの先の世界の事を、実は俺もよく知らない。
だから小説や映画に出てくるような天国や地獄が本当にあるのか、黄泉の国が存在しているのか、他の職員に聞いてみても、行った事が無いから分からないと言われただけだった。

「思い出を選ばないと、この先には行けないの?」

そう聞いてきた松本に、俺は頷く。

「でもそんなの選べって言われても・・・どうすればいいか分からないんだけど」
「まずは過去を振り返って自分と向き合うこと。派手なものじゃなくてもいい。些細な事でも、何か一つはあるはずだから」

その後も簡単な注意事項を伝えながら幾つか質問に答えて、部屋の鍵を手渡した。
その時触れた松本の手が、少し冷たかった。






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