創 話

□フレイジル
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薄暗い店内は喧騒も控えめで、溶けて小さくなった氷が、傾けたグラスの中で音を立てるのが聞こえた。
程好く酔いの回った頭で当たり障りの無い話をしながら智くんの視線を辿る。

「どうかした?」

テーブルに置いた携帯を、彼はさっきから何度も気にしていた。

「え?別に何でもないよ。それでさ翔くん、」

誤魔化す様に笑って、また何も無かったように会話に戻る。
携帯の、その向こうにいる相手。
それが誰なのか大方予想はついていた。

「ニノ?」
「何が?」
「ニノでしょ?さっきから何を気にしてるの?」
「翔くんには関係ないよ。それよりさ、」

そう言ってまた話を逸らす。
いつにも増して誤魔化しきれていないのは摂取したアルコールの所為か、それとも俺がただ過敏になっているだけなのか。
智くんと二宮。二人がどういう関係なのか、正直なところ確証は無い。
だけど時々見せる智くんの笑顔が、特に二宮の名前を出した時の智くんが、いつからか、笑っているのに哀しそうな顔をする事に気付いてしまったから。

「そろそろ出ようか」

左腕の時計を確認すると、深夜0時を回っていた。
手早く荷物を纏め、会計を済ませて。
振り返った視線の先、彼はテーブルの上の携帯をジーンズの後ろのポケットに入れていた。
店を出て、タクシーを呼ぶ。
ここからなら同じ方向だから送るよ、と申し出ても智くんは頑なに断って。

「・・・誰に迎えに来てもらうの?」
「誰でもいいだろ」
「ニノなんでしょ?」
「だから、翔くんには関係ない」

ほら、また。
関係ないと言うのなら、そんな顔をしないで欲しい。

「智くん」
「ん?」

大通りから一本入った裏通り。
街灯も殆ど無い深夜のこんな場所で、人の気配は遠くて。
店の看板を照らす小さな照明の明かりだけが、智くんの頬を仄かに照らしていた。

「俺、あなたの事ずっと見てきたんだよ。もう何年も前からずっと」

智くんが幸せなら、それで良かった。
傍で見ていられるだけで、それで良かった。
だけど、あなたが辛そうな顔をするから。

「見てた、って?」

智くんが不思議そうに視線を上げて、目と目が合う。
静寂の中足を踏み出して、何も言わず彼の正面に立って。
じわりと体温が上昇するのが分かった。
掌が、少し汗ばむ。
一瞬迷って、だけどもう止める事など出来なかった。
右手で智くんの頬を包み、親指で下唇をなぞって、何か言おうと小さく息を吸った唇にすかさず自分の唇を重ねた。
ほんの一瞬、触れた唇に想いを乗せて。
すぐに解いたそこは、それでも焼けるように熱かった。
智くんの目は戸惑いに揺れていて、二人の間を生温い風が通り過ぎる。
角を曲がった車のヘッドライトが辺りを照らして、俺の背後にタクシーが停まった。
智くんは何も言わない。
俺も何も言えないまま、ドアの開いたタクシーに乗り込んだ。



行き先を告げて、シートに深く身体を預ける。
自分でも予定外の行動だった。
彼に悟られないように、気付かれないように今まで遣り過ごしてきたのに。
きっとこの先何かが変わる。
深く息を吐いて窓の外を見ると、ガラス越しの月が歪んで見えた。






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