ベイカー街

□【ビショップスゲイト宝石事件】 解決編
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 【ビショップスゲイト宝石事件】



   [解決編]





 (3)


 日が斜めに差し込む夕方、ワトスンは釈放になった。ブラックプール警部によるとホームズはあれから姿を見せず、メアリはまだ容疑が晴れないままらしい。

 これからどうしたらいいか、警察署の前で考えているとパカパカとひづめの音を響かせて馬車が止まった。下りて来たのは、派手な仕立ての礼服に、ピンと撫で付けた八の字髭のキザ男。

「ラングデール・パイク!」

 パイクはぐるっと辺りを見回した。

「あれ、ホームズはここじゃないのか」

 カチンと来たが、表に出すのは大人げない。じろりと睨むだけにして、ワトスンは尋ねた。

「何の用です」
「ラシン・サンタンデールが姿を消したんだ。それで、何か知ってるんじゃないかと思って−−それと、頼まれたことの報告にね」
「頼まれたこと?」

 立ち話をする2人の間をかき分けるように、警官が署の中に入って大声で叫んだ。

「警部大変です!判事のお屋敷から火の手が!」
「何だって!?」

 ブラックプール警部が飛び出し、ワトスンも屋敷が見える角まで走った。

「!!」

 遠くに見える崖の上、赤みがかった空に確かにもくもくと白い煙が上がり、人々が立ち止まって不安げに見つめている。

「今日はこの時間でも海への風が吹いているから、余計に火が煽られているのかも知れない」

 警部の呟きに不安がよぎる。
 コラムニストもピンと来たようだった。馬車の扉を開けてワトスンを呼ぶ。

「乗れ!」

 動き始めた馬車はワトスンを拾い上げ、屋敷への道を急いだ。

「私もすぐ行きます!」

 道端で叫ぶ警部があっという間に遠くなる。

「彼は判事の屋敷にいるのか」
「昼ごろ面会に来た時に、私が館に行った時の話を聞いていたから多分……おいもっと飛ばせないのか!?」
「落ち着け、上り坂なんだ」
「これが落ち着いていられるか!!」

 嫌な予感に御者やパイクにまで食ってかかるワトスンを、ゴシップ屋はじっと見つめた。

「……そうまで取り乱して、君は彼の何なんだ? 捜査の相手なら私でもできる。そもそも君は、あの女の子についていたんじゃないのか」
「メアリは一人ぼっちなんだぞ、放っておける訳がない。だが私は……私自身は、彼の1番身近な存在でありたいといつも思っている」

 行く手を見つめ、何かをこらえるようにワトスンは拳をぎゅっと握りしめた。



 *****



 館の前まで来ると、門は閉じられ人の気配はない。パイクが首をひねると、ワトスンは馬車を飛び下り走った。

「こっちだ!」

 ここには屋敷以外にもうひとつ、ハンプトン家が所有する建物がある。

 案の定、礼拝堂に近付くにつれ熱気と煙たさ、パチパチと火のはぜる音が大きく濃くなってきた。

 すり鉢状の墓地の外れ、礼拝堂が炎を出して燃えている。延焼を防ぐためにスキ、クワ、オノなど建物を壊す道具を手にした使用人たちが周りを囲んでいるものの、火の勢いが強くて手が出せない状況らしい。

「ハンプトン判事!!」

 人込みの中に照り返しを受ける白茶の髪を見つけ、ワトスンは詰め寄った。

「判事!ホームズはどこですか!?あなたのところに行ったはずだ」
「彼は来た。しかし……」

 厳しい顔で燃え落ちる礼拝堂から目を離さない。

「あの中にいるんですか!?」
「判事!」

 ワトスンが詰め寄ると、ブラックプール警部はじめ警官隊が消火の手伝いに現れた。

 ちょうど、その時。
 ガラガラ、ズシーン!と地響きを立てて礼拝堂が崩れ落ちた。

「ホームズ……!!」

 もう燃えるものがなくなったらしい。残り火を消すため、人々がそれぞれの道具で黒焦げの太い梁やベンチの残骸を突き崩す。

「おいまだ危ないぞ」

 引き止めるパイクの腕を振り払い、転がり落ちた石壁を乗り越え、ワトスンはまだ熱い礼拝堂の中に踏み込んだ。

 床板まで焼けてしまい、大きな穴があき瓦礫が地下にまで落ちている。

「ホームズ、ホームズ−−!」
「……ワトスーン……」

 かすかに声が聞こえた気がして、ワトスンは床の大きな穴をのぞき込んだ。縁ぎりぎりに立てば、ボロッと炭化した床板が崩れて落ちる。

「ホームズ!?」

 目をこらすと、積み重なった黒焦げの柱の隙間から、ひらひら揺れる手が見えた。

「Mr.パイク、ロープを頼む!」

 言い置いてワトスンはまだ細く煙の上がる床の穴に飛び込んだ。

 着地して、足の裏がじーんと痛むのをこらえ、手の平が見えた場所に駆け寄る。そこはレンガでできた井戸だった。周りには焼け落ちた柱が何本も、まるで屋根を作るように寄り掛かり合っている。

「やあ、ワトスン」

 レンガのへりをのぞき込むと、井戸の中に沈められた黒いものの上にホームズが胡座をかいて座っていた。幸いどこにもケガはなさそうで、ワトスンは胸を撫で下ろす。

「ホームズ!大丈夫か、さあ掴んで」

 レンガの強度を確かめ、手を延ばす。立ち上がった彼まではまだ50cmくらいあったが、ホームズは軽く壁を蹴ってワトスンの手を掴んだ。両手で引っ張り上げ、レンガのへりを乗り越える。

 その拍子に倒れ込んでしまい、下敷きになったワトスンはホームズを強く抱きしめた。

「無事でよかった……!!」
「……君のおかげだよ。何もかも」

 小さく身じろぎしてワトスンの腕から逃れる。

「ワトスン、ロープを手配してくれないか。あれも引き上げなくては」
「君を引き上げるつもりで、Mr.パイクに頼んでる。あれは何なんだい?」

 首をひねると、ホームズは肩越しに井戸を指差した。

「君も見たはずだよ。『水の中の黒い犬』さ」

 その上にいたから、火の粉も避けられ水にも濡れずにすんだらしい。







 解決編(4)に続く。
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