ベイカー街

□【ビショップスゲイト宝石事件】 解決編
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 【ビショップスゲイト宝石事件】



   [解決編]


 (1)



 堂々たる白亜の崖の上にそびえるハンプトン館へは、ホテルの前から坂道をゆっくり登って15分だった。

 大きな一枚板の扉をノックする前に、屋敷の周囲を見て回る。

 正面から見える範囲の植え込みや芝生はよく手入れされていたが、石壁にツタの這う屋敷の横に回ると、果樹や花々は手入れを先延ばしにされているようで伸び放題、散り放題になっていた。

 吹きつける潮風と波の音に上着の裾を翻しながら庭に足を踏み入れると、鋭い誰何の声がした。

「どちら様ですか?」

 針のように細い、白髪の執事がホームズに気付き近付いてくる。彼の背後ではガラスの割れた横に長い窓と、ガタガタの窓枠、窓周囲の崩れた石積みを修理しようと、使用人たちが集まっていた。

「失礼、玄関をノックしたのだがね」

 ホームズはしれっと答え、名刺を出した。

「僕はこういうものだが。サー・ウォルバーはいらっしゃるかな」
「閣下は執務中です。どなたともお会いになりません」

 けんもほろろな返事を聞き流し、ホームズは壊れた窓に近寄った。

「ひどい崩れようだな。何でこんなことになったんだ?」
「一昨日の大嵐のせいですよ。ちょうどここは台所なので、雨が吹き込んでしまって翌朝は全く料理ができませんでした」
「なるほど、そういう訳だったのか」

 ホームズは振り向き、執事に告げた。

「サー・ウォルバーに取り次いでくれたまえ。判事の名誉にかかわる、非常に重要な話と言えば、必ず会って下さる」

 しぶしぶその場を後にした執事は、やがて戻って来て告げた。

「……どうぞ。閣下がお会いになられます」

 かなり異例のことらしい、驚いて丸くなった目をまばたきでごまかし、先に立って案内する。

 薄暗い玄関ホールから階段を上がると、どこかからハトの鳴く声もする。どうやら館の中に入り込んでいるらしい。追い出す人手や、入り込んだ屋根の修理もままならないということだろう。

 長い廊下を歩いて5番目のドアの前で執事は立ち止まった。うやうやしくノックすると、中から尊大な声がする。

「入りたまえ!」

 絨毯の敷かれた広い執務室で、判事は窓を背にして書類に目を通していた。

 作りつけの高い本棚、オークの大きく重厚な机……と、年代物らしき家具が揃っているが、よくよく見れば彫刻のある表面だけ古く見せかけた安物だ。

「ホームズ君。私は忙しいのだ。重要な話とは何事かね」

 有爵の紳士の前であるにも関わらず、主人を無視して室内を見回していたホームズは、素知らぬ顔で進み出た。

「非常に重要な、閣下の名誉にかかわる話と申し上げました。お人払いをお願いします」

 ハンプトン卿は、白茶の前髪の下から疑わしげな視線を向ける。

「私には君から聞く話はない。このままつまみ出すこともできるのだが?」
「閣下は私が何の用で来たかおわかりのはずです。そのような無分別な真似はなさいますまい」
「……」

 下がってよい、と執事に告げ、扉が閉まるとサー・ウォルバーはホームズに背を向け、玄関ポーチを見下ろす窓辺に立った。

 初めてティールームで会った時と違って、今は灰色の背広を着ている。やはり上等な生地を使い、身体によくなじんでいるが肘や膝がだいぶたるみ始めている。

「閣下。貴族の体面を保つには、たいそう金がかかると聞き及びます。お父上の残された借金は、それほどまでに大きなものだったのですか?」

 言葉通りの質問は、貧しさを当てこすっていると受け取られたらしい。

 サー・ウォルバーは怒りに身を固くして振り向いた。

「失礼ではないか、何の権利があってそんなことを聞く!」
「なぜならそれが、殺人の動機になったと思われるからです」
「あの娘と我が家の経済状況と、何の関係がある」

 とたんにホームズは鼻を鳴らし、机のはす向かいに置かれた1人掛けの椅子に座り足を組んだ。

「よろしい!では申し上げましょう。オールドレーンで骨董屋の女主人を殺したのはあなただ」

 身分が上である自分が許す前にホームズが座ってしまったので咎めるような視線を送り、若い判事もオークに似せた机に合わせた、肘つきの椅子に腰を下ろした。

「ホームズ君。さっきも言ったように私は忙しいのだ。たわごとを聞いている暇はない」
「それなら結構、代わりにブラックプール警部に全て話すまでです。警部はあなたを尊敬していますが、証拠品の前では真実を見ずにはいられないでしょう」

「待ちたまえ」

 立ち上がりかけたホームズを制し、判事は落ち着き払って机の上に置いていたシガレットケースを開いた。空いている所にタバコの箱から詰め替え、こちらを見やる。

「君のたわごとには続きがあるのだろう。出まかせで告発されてはたまらない、話してみたまえ」
「出まかせかどうか、聞かれればお分かりのはずだ。もっとも、一昨日の嵐さえ来なければ、事件はまだ起こらなかったのでしょうが」

 言葉を切り、ホームズは椅子に肘をついた。





 解決編(2)に続く。
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