ベイカー街

□【ビショップスゲイト宝石事件】 エピローグ
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 【ビショップスゲイト宝石事件】



   [エピローグ]


 (1)



 この街に来てから3日目の早朝。晴れ渡った空の下、鉄道が再開したという知らせにホームズとワトスンは宿を引き払った。

 駅には同じく足止めを食らっていた人々が、馬車や徒歩で詰め掛けごった返している。

「本当にありがとうございました〜、ワトスン先生!ホームズさんも」

 ひっきりなしに馬車が停まる車寄せの脇、駅舎の羽目板にほとんどくっつくように立っていたメアリは、切符を買って来たワトスンに頭を下げた。

 なぜか傍らには八の字髭のキザ男、ラングデール・パイクもいて、抜け目なくゴシップネタを探して人込みの方を見ている。

「濡れ衣が晴れて良かったよ。今日からはハンプトン館に住むんだね。レディ・メアリと呼ばなけりゃいけないな」

 まぶしそうに目を細めるワトスンに、明るい空色のワンピース姿で彼女は15歳の娘らしく笑い出した。口元を手で押さえても、漏れる笑いは止まらない。

「ご、ごめんなさい先生。相続は放棄しました」
「何だって!?」

 ようやく発作が治まり、寂しげに苦笑して首を振る。

「相続とか財産とかどうでもよかったんです、ただ父に会いたくてこの国に来たんですから――。こんなことになってしまったのは残念ですけど……」
「じゃあ今後はどうするんだい?」
「街のパン屋さんが手伝いに来ないかと言ってくれたので、そこで働こうと思います」

 黙って聞いていたホームズがパイクに尋ねた。

「ハンプトン家はどうなるんだ?」
「母方の遠い親戚がいるらしいから、そっちの方でどうにかするんじゃないか。警察の方も大変らしいぞ」

 地方判事という、いわば身内が逮捕されたのだ。何事もなく処理する訳にはいかないだろう。

「名探偵ホームズ氏には、ヤードから講義を頼まれるかもな。いかにして治安を守る、地元の判事を捕らえたのか」
「連中が聞きたいというなら話してやるさ」

 冷やかしを、顔色ひとつ変えず受け流す。

 近くに停まった馬車が人と荷物を下ろして立ち去ると、メアリは掛けていたオパールのペンダントを外した。

「あの〜、そういう訳で私何も持ってないので、お礼には少ないかも知れませんけどこれを――」

 ワトスンはまるで厳めしい父親のように首を振った。

「それは君のお母さんの形見だ。大事に持っておきなさい」
「でもそれじゃあ、いくら何でもあんまりです。先生は私のために牢屋にまで入って下さったし、ホームズさんも死にそうな目に遭ったって――」

 2人から同時に睨まれて、ゴシップ屋は大袈裟に手を振った。

「私は何も言ってないよ。ブラックプール警部じゃないのか?」
「どうだか」

 睨んだまま呟くと、ワトスンが助けを求めるようにこちらを見ている。
 ホームズは渋々口を開いた。

「ミス・サンダーランド。既に君からは十分なものを受け取っている」
「え?」

 少女はきょとんと顔を上げた。

「3日前の、あの嵐の日――君は行き場のない僕たちを、他の人の反対を押し切って招き入れてくれた。僕たちはその恩に報いただけだ、君が負担に思うことは何もない」

 駅前にたむろっていた紳士淑女たちが、徐々にホームへ向かい始めた。
 3日も足止めされて待ち切れないのだろうが、ワトスンが時計を見ると、まだもう少し時間がある。

「私からもひとついいかね?」

 ようやく観察にも飽きたのか、口ひげをひねりながらパイクが会話に参加する。

「ラシン・サンタンデールはいったい何だったんだ?私はてっきり殺人犯かと思ったんだが」

 一同の視線がホームズに集まる。

 足元にトランクを置いた探偵は、腕組みし羽目板に寄り掛かった。

「彼の罪状なんて明白じゃないか、ずっと見ていたのならわかるだろう」

 ワトスンは肩をすくめた。

「私にわかるのは、奴がモテる男だというくらいだけどな」

 駅は緩やかな丘の中腹にあり、家々の屋根の向こうには海が、キラキラと朝日を浴びて輝いている。
 メアリは記憶を思い出すように、オールドレーンの屋根の連なりを見つめた。

「ええ、あの方は確かに人気があって、誰にでも親切でした。私たちのようなメイドにも、よく声をかけておられました」

「その通り。まだわからないのか?じゃあヒントを出そう。
 彼が相手をしていた女性は、アルメリア嬢といいレディ・フローレスといい、婚約者がいる女性ばかりだった。
 それでいて彼はレディ・フローレスのお付きの女性――たぶんお目付け役の家庭教師だろうが、彼女をも味方にしている。
 それと、骨董屋にあったアルメリア嬢からの手紙、ケンカして彼女が去ったという事実。さらにラングデール・パイクという、プロのコラムニストが本腰を入れて身辺を調べ始めると、とたんに彼は姿を消した」

 パイクは目を丸くした。

「! 彼はゆすり屋だったのか? でも誰を。相手の女性たちは喜んで彼と付き合っていたぞ」
「女性たちを虜にして、彼女たちの実家をゆすっていたのさ。婚約者がいるのに、他の男性と親しいとなれば大変なスキャンダルだ」

 彼女たちはサンタンデールに魅了されて、『まあ食事くらいなら、遊びに行くくらいなら…』と付き合いを続けていたのだろう。

「女性たちをたぶらかした彼は、ラブレターを書かせそれを骨董屋に渡し、女主人が実家と交渉していたんだ。別れさせたかったら金を払えと」

 根っからの紳士で女性の味方であるワトスンが憤慨する。

「何て卑劣な奴だ!だから事件が起きた時、手紙を取り返しに店に入りたがったのか!……でもすぐ諦めてたぞ?」
「そう簡単には見つからないと、たかをくくったのさ」
「実際警察は見落としたようだしな」

 パイクは心なしか得意げに含み笑う。





 エピローグ(2)に続く。
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