ベイカー街

□【ヨークシアの悪魔崇拝者事件】 解決編、後書き
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 【ヨークシアの悪魔崇拝者事件】





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     【解決編】


(1)


 別棟の扉をせわしなくたたく音がして、マーサが応対に出る。

「電報でしたよ、先生。シャーロックさま宛です」

 ホームズは昨夜別れたきり姿を見せず、そろそろ丸一日になろうとしているのに館に籠もったままだった。様子は気になったが、私を避けているのだから私が行く訳にはいかない。

「マイクロフトさんからですか?」
「あらあ、その通りですよ。先生、シャーロックさまにお渡ししていただけません?私は食事の準備もあるし」

 トマスは農場の見回りに出ていてまだ帰って来ない。

「いや、私は……彼を怒らせてしまったので」
「でも急ぎのことかもしれませんでしょう?お願いしますわ先生。あ、ついでにお茶も。夕食には必ずお出でになるように仰って下さいね」

 彼女の人の良い笑顔には勝てず、私はためらいながらも館を訪れた。彼を傷つけたのはよくわかっていたが、犯人の名を教えてやりたい気持ちもまた強かったのである。

 外に回って窓から見ると、ホームズは食堂にいるようだった。玄関から入り直し、ドアをノックする。

「ホームズ?ロンドンから返電だよ」

 かすれた声で応えがあった。

「……入ってくれ」

 手持ちの煙草は皆吸ってしまったらしい。パイプはテーブルの上に置かれている。ニワトリの首と果物が捨てられた以外はそのままの室内で、ホームズは椅子に座りテーブルに足を乗せ、天井を見上げていた。

 ちらりと私を見たきり、動こうともしない。

「マーサさんがお茶をくれたよ。ああミルクティだ」

 ホームズは電報に目を走らせながら紅茶をすすった。

「……やけに甘いな」
「君が疲れてると思ったんだろ。昨日の昼から何も口にしていないからな」

 私の言葉を遮り、電報を突きつける。

「そんなことはどうでもいい。見たまえ」

 発信はペル・メル街郵便局である。

『センヤ ノキャク スベ テ ハンメイ アヤシキトコロ ナシ マイクロフト』
「兄がそう言うんだから、サタニストたちは容疑から外していいだろう」
「そうだな。私には犯人がわかったよホームズ」

 私は一気にまくし立てた。

「スミスを殺せたのはウィザリング牧師だけだよ!あのときスミスが倒れたのは別に毒のせいではなかったんだ。急性アルコール中毒か貧血か……何かはわからないけれど、とにかく気分を悪くして倒れる。そのあと牧師が近付き毒を盛ったんだ。だから分析なんかしたって、ワインの瓶から毒なんて出ないよ」
「なるほど。それで動機は?」
「宗教上の情熱さ」

 ところがホームズはやれやれと肩をすくめた。

「左手の魔術など到底許せないから、かい?兄以外の犯人を見つけようとする君の熱意には頭が下がるが、どこをどういじり回せばそんな考えが出てくるのやら」

「だってサタニストたちがシロなら、スミスを殺す動機を持つのはウィザリング牧師しかいないだろう?」

「では君は牧師が、スミスが倒れるのを予期して毒を持って行ったというんだね?それこそ黒魔術的だな、彼が倒れなかったらどうするんだ?」

「他の機会を狙うか……無理にでも口をこじ開けて飲ませる」

「ワトスン。君自分で何を言ってるかわかってないね。昨日今日とトマスのところでのらくらしていて、事件のあらましを全部忘れてしまったのかい?」

 ホームズの言葉は針のようで、しかも手加減なかった。おかげでずいぶんと傷ついたが、彼の言うことならある程度は当たっているのだろうし、こんなに容赦のない物言いをするのは私相手のときだけだった。

「現場には兄たちがいたんだよ?牧師がそんな気違い沙汰をしようとすれば止めるに決まっている。牧師が本気で殺すつもりなら銃やナイフを使うさ。それなのに倒れたとは言えサタニストの男を、彼は介抱しようとしているじゃないか。違うよ、ワトスン。ウィザリング牧師は犯人じゃない」

「じゃあ誰なんだ」

「もちろん、兄じゃない。絶対に違う」

「ホームズ……、真実から目をそらすのか」

 私が尋ねると、彼はかみしめるように答えた。

「真実から、目をそらすのは、許されない。何があっても真犯人を見つけなければならない……。たとえ、何があっても」

「あの場にいた全員が殺してないとなると、やはり犯人はシェリンフォードさんしかいないじゃないか」

 彼は重いため息をついた。

「……いるんだよ、ワトスン。君は忘れているようだが」

 疲労が襲ってきたのか、ホームズはぐったりと椅子にもたれ、苦しみに囚われているような顔をしている。

「ホームズ。いつまでもここにいちゃいけないよ。トマスさんの家に戻ろう」

 私は彼を促し、ようやくこの悪魔の潜む館から連れ出すことに成功した。

「まあまあまあ、シャーロックさま!」
「シャーロックさま!心配しましたぞ!」

 夕日の中を別棟に帰ると、老夫婦が喜びながら迎えてくれた。本当にいい人たちだ。

「……ただいま、マーサ。トマス」

 ホームズは面映げに微笑み、二人に押されて家の中へと入った。しかも館での表情が嘘のように、食事の間中楽しげに話し続けていた。心配をかけたから、せめてもの埋め合わせだろう。

 食事の後、マーサは片付けに立ち私たちはそのままシガレットに火を付けた。

「トマスさん、煙草は控えるように言ったはずですよ。あなたの心臓はだいぶ弱っているのだから」
「あいにくですが先生、吸わないとかえって身体の調子がおかしくてねえ」

 明らかに煙草の吸い過ぎによるものだったが、その点は私もあまり人のことを言える立場にない。

「参りましたね。ホームズ、君からも注意してやってくれよ」

 ひとり他所を見てぼんやりとパイプから煙を立ち上らせていたホームズは、私の呼びかけに気怠げな瞳をこちらに向けた。

 一度目を伏せてから老人を見る。何をためらっているのだろう。

「トマス、……教えてくれ。なぜスミスを殺した?」

 突然のことで私は驚きのあまり椅子から腰を浮かせた。

「何だって!?」

 老人は煙草を手にしたまま黙っている。









 解決編(2)に続く。
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