ベイカー街

□【ビショップスゲイト宝石事件】 解決編
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 【ビショップスゲイト宝石事件】



   [解決編]


 (2)



 ホームズの推理は続く。

「嵐が止んだ朝、お屋敷の台所が使えなくなり、やむなくあなたはスターホテルへ朝食に出掛けた。そこで見てしまったのですね、ブラックオパールとその持ち主を」

 メアリがこっそり首元から引っ張り出した、あの時だ。

「ブラックオパールはオーストラリアの名産。サンダーランド嬢はオパールを手掛かりに父を捜していると言っていましたが、それはおそらく−−閣下の父上、先代のハンプトン卿なのでしょう。辺境の植民地によく行かれていたとのことだ、オーストラリアにも当然足を踏み入れているはずです。あなたも南半球の異母妹の話は聞いていたのですね」

 立ち上がり、窓から外を見る判事の姿勢は、話を聞いているのかどうか、少しも動かない。

「先代の残した、少ない遺産と多額の負債に四苦八苦している閣下にとって、新たな相続人が現れ、財産を分割することになれば、いっそう収入は減って破産に直面する。だからあの日、あなたはブラックオパールに己の目を疑い、急に立ち上がったのです」

 その結果、メアリはティーポットをひっくり返してしまう。

「妹を見つけたあなたは、少ない遺産がさらに減ってしまうのを恐れた。この屋敷の維持も難しくなるはずだ。そこでささやかなコメディを利用して、あなたはオーナーの立場を使って彼女をクビにした。彼女が大人しく街を出て行ってくれればとあなたは願ったが、そうはならなかった」

 行くあてのないメアリは当座の生活費を手に入れるために、オールドレーンに行くことになる。

「骨董屋の女主人は、オパールを見てすぐに彼女が先代の忘れ形見であることに気付きました」

 4ヶ月前、判事が負債のために家宝の品をほとんど手放したときに、オパールのことを知ったに違いない。

「あの夜店にいたのは店主、サンダーランド嬢、『私よりお金を出す』と店主が呼んだ人物の3人です」

 サー・ウォルバーは窓辺から反論した。

「店主が呼んだ人物とは、彼女がそう言っているだけだ。そんな人物は存在しない」
「そうでしょうか。ではサンダーランド嬢が人を呼びに行っている間に死体を動かしたのは誰です?」

 いらいらと指を動かしながら、判事は黙っている。

「死体が動かされているのは血の跡からも明白です。では動かした彼、または彼女はどこから入って来たのか?そしてどこから逃げたのか?」

 ホームズは立ち上がり、壁の本棚へと歩きかけてくるりと振り向いた。

「あの夜、店主から連絡を受け、あなたはアルメリア嬢のコンサートを中座して骨董屋に出向いた。そこで店主はあなたを脅したのですね?サンダーランド嬢がもうすぐまた来る。そのときに感動の対面となれば、生活や立場を維持できず、あなたは破滅だ。店主は、彼女にあなたのことを黙っておくかわりに、その代償を要求したのです。
 それはあなたには到底承服できるものではなかった。だから−−店主を殺し、サンダーランド嬢に罪を着せて、邪魔者を一気に葬ろうとしたのです。何で殴り付けたのですか?店に置いてあるのは割れ物ばかり、となれば−−」
「君のたわごとに、証拠があるのかね」
「いつもお持ちのステッキをお借し下さい。僕はオリジナルの血液検出法を持っておりましてね」
「……その必要はない」

 判事は夢の中を歩くようにぎこちなく椅子に近付き、操り人形の糸が切れたかのように座り込んだ。

「……いつわかったのだ」

 一気に老け込んだようにがっくりと肩を落としながら、目だけはらんらんとこちらを見据える。

「最初に引っ掛かったのは、事件の夜あなたがいつ現場に来たのかということでした。あなたはカウンターの下から立ち上がり、裏口から入ったと仰いましたが、裏口のドアは錆び付いていて、開閉するとものすごい音がするのですよ」

 あの時、悪魔の叫び声のような、ドアの音はしなかった。

「ではあなたはいつ、どこから店内に入ったのか?当然、最初から中にいたとしか考えられません。それで、あなたがこのドラマに重要な役割を担うとわかったのです」

 サー・ウォルバーは目を閉じ、眉を寄せて頭痛がする時のようにこめかみに指を当てる。

 ホームズは構わず話を続けた。

「閣下のやる事なす事、全てが裏目に出ました……念には念を、があだになりましたね。
 店主を殺すとすぐにサンダーランド嬢が来てしまった。あなたは隠れ、彼女が人を呼びに行った間に偽装をし、彼女が戻って来るとまた、カウンターの下に隠れた。
 あの戸棚にヘコミをつけ血をなすりつけたのは良かったが、動物たちのマスコットが惜しかったですね。3段目まで全部倒せていたら、僕も店主が頭を打って死んだと考えたのですが。

 店主が要求した沈黙の代償、あの窓辺のスペースは何だったのですか?」

 判事は観念したように立ち上がった。

「ついて来たまえ」



  *****



 館から死角になる、すり鉢状のくぼんだ土地に、十字架の並ぶ墓地があった。墓地を見守るように、古い石造りの礼拝堂が立っている。
 
 判事がカギを開け、ギイッときしませながら扉を開けた。

 舞い上がる埃に、天窓からの光が白く浮き上がる。正面の十字架、祭壇や木のベンチで私的な礼拝堂とわかる。至る所に張ったクモの巣、くすんだしっくいの壁、埃と枯れ葉の積もった床−−もう何年も使われていないのだろう。先代の葬儀は街の教会で行ったに違いない。

 あたりを見回しているうちに、反り返った床板に足を取られる。と、どこかでチリンと鈴の音がした。どうやら侵入者を知らせる仕掛けがあるらしい。

(−−そう言えばワトスンが言っていたな)

 祭壇左にまたカギのかかった扉があり、判事が鍵束を探った。

「こっちだ」

 扉を開けたまま押さえ、ハンプトン卿は部屋に入るようホームズを促す。

 その脇を抜けて中に入ると、判事は身を翻してホームズを残したままドアを閉めてしまった。

「!! 閣下!?」

 急いでドアノブをひねるが、もうカギを掛けられていて空しく回る音が響くのみ。
 ホームズはドンドンと木のドアを叩いた。

「何の真似ですサー・ウォルバー!」

 くぐもった声が返る。

「私はこの地に責任がある、この地方を守ってゆく責任が。気の毒だが、君とはここでお別れだ」
「!」

 ホームズはすかさず扉に向かって体当たりしたが、木の扉は意外に頑丈でびくともしない。

「ハハハハハ……!そこで大人しくしていたまえ。すぐに炎が全てに片をつけてくれる」

 高笑ったサー・ウォルバーはタバコに火をつけた。扉越しでも、ホームズは判事の意図に気付く。

「! 煙が立って街から見えますよ、すぐに騒ぎになるでしょう!」
「ご心配ありがとう。残念だがここは屋敷の陰になって街からは見えないのだよ」

 火を付けたマッチを枯葉の山に放り投げると、細く煙が上がり、やがて小さな炎が躍り出す。そこまで確認して、サー・ウォルバーは礼拝堂を後にした。



  *****



 ホームズは遠去かる足音を聞きながら腕組みした。祭壇の裏にあたるこの部屋は、扉は今入ってきたひとつのみ。

 唯一光を投げ掛ける小窓は天井近く−−2mほどの高さで、腰までの高さの木の壁、そこから上のしっくいの壁のどちらにも足掛かりになる出っ張りなどはなく、脱出口にならない。部屋の中にはガラクタひとつなく、あるのは埃のみのがらんとした場所である。

 じんわりと周りの空気が熱くなり、足元が白くかすんできてホームズは目をこらした。パチパチとはじけるような音がし、吸い込んだ空気は煙たくて反射的に咳こむ。

(……だいぶ燃え始めたな)

 思わず触れた祭壇側の壁が熱くなっていて、ホームズは手を引っ込めた。このままでは焼け死んでしまう、ぐずぐずしてはいられない。

(考えろ、どうしたらいい−−!)

 くすぶる木の壁、濃くなる煙に思わず後ずさる。何かにつまづいたのはその時だった。
ここでも床板が古くなって、湿気で歪んで持ち上がってしまっている。

 ワトスンは床下に何かを見たと言っていなかったか?

「−−『水の中の黒い犬』か!」

 ようやく最後の謎が解け、ひとり叫んだホームズは、思わず煙を吸い込んでしまった。咳こみながら腹這いになり、床板をはがすべく力をこめる。







 解決編(3)に続く。
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