ベイカー街

□【ヨークシアの悪魔崇拝者事件】 解決編、後書き
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     【解決編】



(2)

 ホームズはひとり言のように、もう苦悩の表情を隠そうともせず話していく。

「犯人はどうやってスミスに毒を飲ませたのだろう。グラスに毒を塗っていたのか?ボトルに入れていたのか?いずれにせよスミスを殺すつもりなら、黒ミサの最中に物を食べられるのは彼だけだと知っていなくてはならない。ところがあの場にいた全員がシロだ。ならば誰を殺すつもりであったにせよ、食べ物に毒を入れられたのは食べ物を用意した人間だけだということになる」

 マーサが来て、夫に寄り添った。ホームズが椅子を勧めたが、老婆は無言で首を振る。

 身体的、というよりは精神的な負担から来るものだろう。彼は深いため息をついて続けた。

「そこでだ。スミスの死の状況を思い出してほしい。牧師と兄は何と言っていた?顔が赤くなり、嘔吐し、胸をかきむしり……。なあワトスン、飲みすぎるとこんな副作用の出る薬はないかな?この辺でよく手に入る薬の中で」

 私はハッとして老夫婦を見た。

「ジギタリスだ。心臓の働きを活発にする薬で、煎じ薬なんだが服用しすぎると異常なまでに心臓の働きを活性化し……」
「そういうことだ。死に至る薬を持ち、しかもそれを盛る機会があったのはお前たちだけなんだよ。だから聞かせて欲しい。なぜスミスを殺した?」

 息苦しくなるような沈黙の後、トマスが煙草の灰を落とした。

「……ミサの最中はあの男しか物を食べないので、あの男用に夕食とは別に果物とワインを用意するのがシェリンフォードさまに命じられた習慣でした。あの晩、儂は瓶の中身を半分ほど捨て、代わりに薬を加えたのです。……シャーロックさま、あなたはなぜ儂があの男を殺したのかとお尋ねになる。ならばお答えしましょう。あの男が、シェリンフォードさまを堕落させたからです。悪魔崇拝などと!」

 老人は興奮して叫び、妻に背中をさすらせながらゼイゼイとあえいだ。

「マーサ、もういい。……でも本当のところを申し上げますとね、死ぬのは別に誰でもよかったのですよ。シェリンフォードさまが有罪で縛り首になるのでしたら。いやいっそあの方が死んでくれた方が話が早かった」
「トマス!!」

 彼はもはやホームズが叱っても気にしなかった。

「シェリンフォードさまはこの農場の主に相応しくない。儂はシャーロックさま、このままあなたに当主となってほしかったんです」

「だから、マイクロフトには知らせなかったんだな」

「ええ。告白ついでにもうひとつ、打ち明け話をしておきましょうか。実は奥方さま――ヴァイオレットさまは、旦那さまに殺されたのです」
「違う!あれは僕がたき火のそばで、火のついた枯れ枝を振りまわして遊んでいて……僕はその枯れ枝をそのまま近くに放り投げて帰った。それで小屋に火がついたんだ!!」

「ではシャーロックさま、どうして奥さまは火の回った小屋から逃げ出さなかったのですか?扉にも窓にも外から鍵をかけられていても、命の危険を感じたのなら、御婦人でも窓のガラスを割るくらいのことはなさるでしょうに」
「それは……前の日に父にひどく叱責されて、責任を感じて……」

 ホームズにしてはひどくあいまいな口調だった。きっと今日までそんなことは考えてもみなかったに違いない。

 トマスは苦笑まじりに首を振った。

「旦那さま、サイガーさまは投機筋に手を出され、あの当時は破産寸前でした。奥方さまはそれに気付きシティに何度か足を運ばれました。帰って来られて旦那さまと口論になり、かっとなった旦那さまは……」

「そうか、母がロンドンに行っていたのは男と会うためではなく……」

「儂は家の存続と農地を手放さずに済むことを第一に考えて、旦那さまをお助けしたのです。二人で奥さまの御遺体を小屋に隠し、火を付けました。負債は奥さまがお遺しになったもので帳消しになり、農場は人手に渡らずに済んだのです」
「もういい、トマス」

 遮られて、初めて老人の顔に不安がよぎった。

「シャーロックさま……?」
「兄を救うために、お前を告発しなければならない」

 何だそんなことかと、表情が緩む。

「わかっております。儂とてシャーロックさまの思い込みを解いてさしあげられて満足です。しかしもう夜も遅い。エクスターに行くのは明日でもよろしいでしょうか」

 ホームズは一瞬口ごもったが、結局うなずいた。

「……ああ。そうしよう」
「では失礼して、先に引き取らせていただきます」

 老夫婦が出て行くと、彼も立ち上がった。

「僕も休むとしよう。君はどうする」
「そんなことより、大丈夫かホームズ」
「何だと言うんだ?僕はいつもの通り、絶好調だが」

 思いきり調子の狂った返事をする彼は、感情を置き忘れた子供のようだった。抱きしめることが叶わないならせめてその細い体を支え、そばにいてやりたかったが――彼は私を嫌っている。

「それなら、いいんだ」

 今の私には、気遣わしげに見つめるのがせいぜいだ。

 客間で私は早々にランプを消し、眠るよう努めた。

 その夜、別棟では老夫婦の部屋にだけ、いつまでも明かりがついていた。









 解決編(3)に続く。
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