〇一陣の風[完結長編]

□葉月※
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巷は夏真っ盛り。

町を往く人々はすっかり薄着で解放感も増している。若い男女は一夏の思い出を作りたくて、普段より積極的に見える。彼らにとってこの夏の暑さは敬遠されるものではないのであろう。

万事屋の事務所は二階に位置している。建物自体が大した造りではない為、日が高くなるに連れ室内の温度はうなぎ登りに上昇する。

そんな室内において主の銀時は、藤椅子に座り扇風機の温い風に吹かれている。
依頼はここしばらく入っていない。
新八は、夏休みという時節柄、お通のライブやらイベントやらに駆けずりまわっている。
神楽は近所の子供と水遊びや虫捕りと、元気に外遊びだ。

土方とはあれから会っていない。というか、会わないようにしている。
あの長屋の前で、心底迷惑そうに言葉を投げられた。正直、傷付いた。
どうでもよくなった勢いで、土方への秘めた想いを吐露してしまおうか、という衝動にも駆られた。

(打ち明けなくて良かったわ)
もう、忘れてしまおう。
忘れると決めたら、忘れる。

所詮が無理な話だったのだ。
土方と自分がどうこうなりたいと願う事が。
後は時間が解決してくれる。今までも、そうだった。

銀時は週刊紙を手に取りソファーにゴロリと寝転んだ。





「大分見えてきましたよ、局長。」
山崎は近藤の前で正座をして話し出した。
近藤は目を閉じて腕組みをしたまま耳を傾けている。
「河南敬太郎という男になるようです。」
名を聞いて近藤は目だけを開けた。
それは間もなく真選組の新副長に任命されるであろう者の名前である。
「まさに文武両道ですね。剣の腕は免許皆伝、博学にして政治にも明るい為、幕府の重鎮にも顔が利くようです。」
山崎は手にした調査表を元に報告した。
「‥だろうな。その御仁なら俺も知っている。」
「え?」
「幕吏との会議で何度か同席した事がある。」
表情を変えずに言う。
「えっ!本当ですか!で、実際どんな方なんですか!?」
身を乗り出して食い付く山崎に、近藤は少し苦い顔で告げた。

「出来る。」

山崎の表情も引き締まった。
「‥もう少し調べてみます。」



土方は山の様な書類と闘っている。
目立った事件は無いが、小規模の爆弾テロや、隊士達の仕出かした破壊活動(ほぼ総悟)、高杉や桂一派などの懸案事項の経過報告など、作成書類は後を絶たない。
これ等をこなしつつ、合間に巡察等も行う。端から見れば、それをたった一人の副長が担っている方が不自然なのかもしれない。
その負担を軽減するため、副長職を増やす。
(だといいんだがな。)
この度の増員は近藤の命令ではない。幕府側からのお達しである。
(裏があんのはバレバレなんだよ。)

短くなった煙草を灰皿になすりつけた。
隊服の上からわき腹を押さえてみる。
多少の違和感は残っているが、傷は塞がり痛みも無い。
これで一つ解決だ。

そして一つ問題が発生した。

腹の傷がほぼ完治して安心する一方で、痛みが取れていく事におかしな喪失感を覚える自分。

この傷を負った日。
それが全ての始まりだったのだ。

倒れて万事屋に介抱された。
二人で飲んだ酒が旨かった。
近江屋の手の者を斬り捨てた為、捜査がご破算になった。
橋の上で万事屋は紅い、燃える瞳を近付けた‥

思い出すのも厭わしい事ばかりだった筈が、最近はことある毎に脳裏に蘇る。

もし。腹のこの引き吊れるような違和感が無くなって、跡形もなく治ってしまったなら、あの日の事も、消えて無くなってしまうのだろうか。
「それも悪かねぇ‥」
(厭だ。)

最後に医者の所で顔を合わせたきり、宿代とやらも取りに来ない。
「うるせぇのが来なくて好都合だ。」
(来るのは面倒か?)

「元々あのヤロウは気にくわなかったんだ。」
(アイツは俺に愛想をつかしたか?)

「?!」

書類の上を走らせていたペンが有らぬ方向に滑った。

土方は書き損じたその書類とともに下の三、四枚も同時にひっ掴み、ぐしゃぐしゃに丸めて目前の壁に叩き付けた。

頭と心がバラバラになったようだ。土方は苛立った。女々しい事この上無いと。


「俺は‥‥会いてえのか‥?」

小さく音にしてみれば、胸にしっくりきた。
その現実に苛立ちは増す一方だ。

(会ってどうすんだよ‥)
じきに新しい副長が決定し、着任するだろう。それまでにこのモヤモヤを取り払っておきたい。

借りを作ったままというのも気分が悪い。
宿代を渡すという理由で隙な万事屋を呼び出し、酒でも飲めばきっと、以前のように罵声を浴びせ合って飲み比べになるに違いない。
(後はいつもの俺に戻れる。)


土方は、そう考えて残りの書類を片付けにかかった。
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