〇一陣の風[完結長編]

□葉月※
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『万事屋に会う。』

土方がそう心に決めてから早一週間が過ぎていた。
幕府からの急な命令で近藤が登城したせいで、おさぼりしていた大将の書類云々のしわ寄せが全て土方に回ってきたのだった。

「だぁっ!終わったっ!!」
ペンを投げ捨て背伸びをすると、ゴキゴキと関節が鳴る。

時計を見れば十時を過ぎている。
「腹減った‥」
また晩飯を食べ損ねた。食堂は終わっている。残り物にマヨネーズをかけて済ませてもいいのだが、久々にちゃんとした食事を摂りたい。
ゆっくり立ち上がって刀を腰に差し、自室を後にした。

途中、談話室の前を通る。

「土方さーん。どちらへ?」
すでに私服でリラックスした様子の沖田が声を掛ける。
「飯だ。」
「そうですかぃ‥」
沖田は何か言いたげに見えた。
「‥総悟、お前も来るか?」
「面倒臭エ。」
即答だった。少しイラっとする。

今のは無かった事にして再び廊下を歩き出すと、後ろから沖田がトコトコ付いてくる。

そして二人揃って屯所を出た。


「土方さんはどう思います?」
歩きながら沖田が切り出した。
「何がだ。」
「河南って奴の事ですよ。」
まだ決定事項でも無いのに沖田の耳にも入っていたか。後で山崎は半殺しだな、と思いながら煙を吐いた。
「何とも思っちゃいねぇさ。俺ぁ会った事も無いんでな。」
「そんな呑気な事でいいんですかィ?一角の人物らしいですよ、‥あんたと違って。」
沖田がこの様な物言いをする時は決まって、何か腹に抱えている時だ。古い付き合いである。
「大した野郎ならそれに越した事ぁねぇだろう。真選組と近藤さんにとって有益なら拒む理由も無えよ。」
「‥やれやれ、困ったお人だ。」
沖田は肩を竦めて言った。
「で?お前は今回どっちに付くんだ?土方派か。河南派か。」
そう揶揄ってやれば、
「土方派なんてあるんですかィ?
俺は近藤派ですんで。」
と答える。それでいい、と土方は口角を上げて紫煙を吐いた。

立呑屋に入ろうとする沖田の首根っこを掴み、目に入った居酒屋の暖簾をくぐった。
「俺、腹は一杯なんで酒だけで良かったんですけどねぃ。」
文句を垂れながら沖田はガッツリ注文した。「お前、それ全部食えよ!?」とキレ気味に返して、土方も箸を付けようとした時だった。
沖田はパッと顔を上げ右手を振った。
「万事屋の旦那じゃねえですか。」



銀時は居酒屋の戸を開けて固まった。
中はぼちぼちの客入りだったので、奥の座敷に座っていた一際目立つ栗色の髪に視線が止まった。
「万事屋の旦那じゃねえですか。」
そう言って手を振るのは疑う事無く真選組の若隊長、沖田だ。
まさかと思いながら、その正面にいる背中に目をやると黒い無造作ヘアが見てとれた。
(ひじかた‥‥)

ここ数週間に渡り、忘れようと強い覚悟で過ごしてきた。
その甲斐あってか、土方の輪郭がだいぶ曖昧になってきていたのに。黒の背中を見ただけで愛すべき土方の詳細が一気に甦った。

「よ、よう、沖田くん。奇遇だな。」
心音が肋骨に響く。
「こっちに来て一緒にやりやしょうよ。」
足の裏にじわっと汗をかく。
「あー、いや、銀さんお邪魔だから‥」
「何言ってんですかい。マヨ野郎と二人っきりでウンザリしてたんですよ。さ、こちらへどうぞ。」
ぽんぽんと自分の隣の座布団を叩く。
「悪いけど、今日は一人で飲みたい‥」
「遠慮なんて旦那らしくないですぜ?さぁ、早く!」
沖田はとうとう座敷を下りて銀時の腕を強引に引っ張りだした。
(しまった!拒めば拒む程逃げられねえ!どエス王子に捕まっちまったよコレ!!)
抗う術もなく、銀時は座敷の奥、沖田がいた場所に座らされた。

(やべえぇ‥)
銀時の正面には土方が座している。これは至近距離といってもいいだろう。
俯き加減に煙草をふかしていた土方は、徐々にその切れ長の二重を向けた。
深い藍に射抜かれる。
頭の奥底に電気が走るような衝撃を受けた。
(はい、終わったよ!今までの地味な努力水の泡だよ!)

「‥久しぶりじゃねえか、腐れ天パ。」
「なになに土方くん。そんなに銀さんに会いたかった?生憎、俺にはそんなシュミ無えんだよ。」
(イタイ!これはイタイよ俺!)

土方の目付きが一層悪くなる。
「あ?!誰がテメェなんかに会いてぇもんか!だいたい、俺の行くとこ行くとこ出没しやがって!ちっとは空気読めよ!!」
「それはこっちのセリフですぅ。俺に付きまとうの止めてくんない?真選組は局長、副長揃ってストーカーですか?ストーカー集団ですか!」
(お願いだからもうやめて、俺!!)

青筋を立てて怒鳴る土方ですら、いとおしい。
銀時は目の前にあった冷酒のグラスをひっ掴むと、一気に喉に流し込んだ。
「それ俺ンだぁ!!!」
「土方くんお酒あんま強くないんだからさ。無理しない方がいいぜ?」
「上等だ!!」
沖田そっちのけで二人は飲み比べに突入してしまった。

沖田はそんな二人のやり取りを黙って見ていた。



「あのう、旦那方、そろそろ閉店なんですが‥」
店の主人が低姿勢で告げる。
テーブルの上には無数の酒瓶やグラスが散在していた。
銀時も土方も短時間でしたたかに飲んだ。
「‥そうか。勘定は‥これで足りるか‥?」
焦点の合わない目で適当に金を出して渡す。

土方の思った通りだった。酒を喰らって互いに罵り合えば、今までと変わらぬ時間がそこにある。
(これでよかったんだ。)

まいど、という声をどこか遠くで聞きながら「総悟、帰るぞ」と呼べば、沖田は酔い潰れて机に突っ伏したまま寝ていた。
珍しい事もあるもんだ、と一回り小さな体を背中に担いだ。

「アレ。沖田くん寝ちゃった?」
「みてぇだな。」
「誰か迎えに寄越せば?ジミーとかさ。‥お前も千鳥足じゃん。」
「ナメんな。俺ぁまだまだいける!」
フラリフラリとしながら店を出ようとするが、狭い戸口で沖田の足や腰の刀が引っ掛かってなかなか出られない。表に出た頃には沖田の体半分ずれ落ちていた。

「‥ったく。しゃあねぇな‥」
先に出ていた銀時は懐に突っ込んでいた手を抜く。
土方の正面から沖田の腕をグイッと引っ張って位置を正してやる。

「ああ、すまねぇ‥」
沖田の顔が土方の肩に乗っかり、半開きの口から垂れた涎がベストの肩口を濡らす。
「‥ちっ。」
確認して舌打ちするも、妙な違和感を感じて前を見る。


銀時はまだ沖田の両腕を掴んだままだ。


「‥おい」
声を掛けても銀時から反応は無い。掴んだ腕に視線を定めたまま動かない。
(酔ってやがんな。)

「もういい。はなせ。」


やっと顔を上げた銀時は、潤んだ紅い瞳で土方の碧色を捕らえた。


(?!)

沖田の両腕を前に引き寄せ
前傾に傾いた土方に


銀時は唇を押し当てた。
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