ルシアン

<ウオッカ + ジン + カカオリキュール>








「うわ、すっげぇ肌白いな」

 不意に頭上から降り注いだ声に、目を丸めて見上げた。

 寄り掛かっていた木の幹から僅かに背を離してから、耳にはめていたイヤホンを外す。そうすれば、声の主は嬉しそうにニィッと笑った。

「親睦会、魚塚も出るだろ?」

 声の主はそう言って、こちらに断りも無しに真横に腰を下ろす。
 他人に、それも大して親しくも無い人間に近寄られるのが嫌いな自分は、『なんて図々しい奴だ』とムッとしていた気がする。



 それが、魚塚と神の、初めての会話だった。



 二十年ほど前の話だ。

 大学に入学したての頃の魚塚の居場所といえば、専ら構内の中庭にある大きな栗の木の下だった。

 講義が入っていない時間はそこで音楽を聴きながら、本を読む。同じ学科の学生達とは、ほとんど話をしたこともなかった。

 人付き合いは、一番苦手なものだ。
 なんで、と問われれば、「鬱陶しいから」と答える。他人との距離が近くなるのが嫌だった。まさに、「鬱陶しいから」「馴れ合いたくはないから」。

 どれだけ仲が良く振舞っていても、どうせ内心では自分のことばかり。そんな人の裏と表の部分に、僅か十八かそこらで既に飽き飽きとしていた。
 人間不信に陥っていたといっても過言ではない。


 ───それなのに。


「今日の夕方から、来れる奴らで親睦会やるんだ。魚塚も来るだろ?」

 同じ学科だった神は、明るい笑顔で話を続ける。

 神は、まだ入学から一ヶ月も経っていないというのに、同じ学科のほぼ全ての生徒達と打ち解けている様な、いわゆる『人気者』だった。

 彼の周りには必ず人が沢山居て、賑やかで、いつも笑顔。
 誰にでも好かれる、好青年。
 そして例外なく、魚塚に対しても壁無く話しかけてくる。


 ……魚塚が、一番嫌いなタイプの人間だ。
 ズカズカと他人に近付いて、無遠慮に振舞う奴は大嫌いだ。
 それが例え、好意の一種であっても。



 グッと眉間に皺を寄せて、外していたイヤホンを再度耳に押し込む。閉じかけていた文庫を開いて、そこに並べられた活字に視線を落とした。

 完全に神を無視する形になる。
 真横からびしびしと突き刺さる神の視線を無視し続ければ、ようやく神は腰を上げた。

 それに対して、ホッとする。
 どうせ誰と何を話しても、息苦しいだけ。
 相手の隙を窺うのが癖となった今では、誰が相手でも、自分が心を開くことなどなかった。

 だから、放っておいて欲しい。
 俺には構わないで欲しい。
 お節介なんていらない。
 下手に気を遣われるのも鬱陶しいだけだ。




 神が去ってから数分。
 ようやく落ち着いてきた脳内で、読書に没頭しようとした瞬間のことだった。


「―っ!」

 突如、首筋にヒヤリとした痛みにも似た感覚が走った。無防備な首を襲った異常な感覚に、咄嗟に手で首元を押さえてから振り返る。

 その視線の先にあったのは、いかにも冷えています、と汗をかいたコーラの缶だった。ポタリと落ちた水滴が、魚塚のシャツに染み込んだ。

 そんな物をいきなり無防備な体に押し付けてきた犯人は、ニヤリと嫌な笑みで笑っている。魚塚の反応に、上機嫌らしい。

 キッと眉を吊り上げて睨めば、犯人は―神は、魚塚の膝の上にコーラの缶を放った。

 意味が解らずに膝の上のコーラと神とを交互に見れば、神は殊更楽しそうに口元を引き上げた。


「餌付け」
「餌付け?!」
「おお、やっと喋ったな」

 パッと目を丸くした神に、慌てて口を片手で押さえる。
 これ以上近寄られない為の予防線として、決して話さない様にしていたのに、失敗した。

「魚塚、誰が話しかけても言葉返してくれないから、初めて声聞いた」
「………」
「ちゃんと喋るんじゃん」

 ちゃんと喋る、って……人を何だと思ってるんだ。障害者か宇宙人みたいな扱いで……

 ムッと眉を寄せたままコーラを睨んでいれば、不意に神がブハッと音を立てて噴き出すのが聞こえてきた。
 不機嫌な表情のまま視線を上げれば、神はケラケラと笑いながら肩を小刻みに震わせている。
 ……何故か笑われたことに更に眉根を寄せると、答えるように神も更に笑い声を大きくした。

「……なんだよ」
「お前さぁ、すげぇな。顔に出やすいっていうか、今、何考えてるのかすぐに解る」

 笑いを噛み殺しながら、神が顔を上げてこちらを見つめてくる。
 笑った反動で目から零れた涙を人差し指で器用に掬った神は、最初と同じ様に、ニッと歯を見せて笑った。

「魚塚、やっぱり親睦会来いよ」
「……今日はバイトがある」
「バイト?」
「駅前のバーで」
「バーで? へぇ、お洒落だな」

 感心するように目を丸めている神を見て、しまった、と思った。自分から話を広げてしまったことに気付き、グッと唇を噛み締める。

「じゃあ、今日は無理かぁ」
「………」
「なら、明日は? 二人で飯食いにいかねぇ?」
「……なんで」

 なんで、そこまで俺に構うんだよ。

 内心の不満を垂れ流そうとして、口を閉ざした。
 今まで、心を閉ざして一切のコミュニケーションを絶った魚塚に、こんなにも近付いてきた奴はいない。
 だから、何故神が自分を誘うのかが解らなかった。



 黙り込んだ魚塚に、神はやんわりとした笑みを向けている。そんな笑顔のまま、言った。


「俺が、魚塚に興味があるからだ」
「………」


 ポカンと口を開いたまま神を見つめていれば、神は殊更嬉しそうに笑ってから勢い良く立ち上がった。
 ハッと我に返って見上げれば、既に彼は背を向けている。


「魚塚、明日ちゃんと空けとけよ?」
「…………っは?!」


 じゃあなー、と能天気に片手をふらふら揺らして校内へと戻っていく神に、慌てて立ち上がった。

 色々と言いたい事があるのに、言葉が出てこない。
 そうこうしているうちにさっさと姿を消した神に対して大きな溜め息を吐いて、片手に握ったままのコーラの缶を見下ろす。

 まるで、嵐のような奴だ。意味が解らないし、イライラする。

 それなのに、巻き起こる嵐の予感に、わくわくと高揚している自分が、一番理解できなかった。






2012/9/23
written by 鈴城はるま


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