ルシアン2






「魚塚って、ほんとに肌白いな」

 何の脈絡も無しに神がそう言ったのは、入学から丁度半年が経った頃だった。

 あれ程までに魚塚が毛嫌いしていたにも関わらず、週に一度以上は二人で出掛けるほどに仲が良くなったのは、神の人柄が成せることなのかもしれない。
 現に、半年経った今でも、魚塚は神以外の生徒とはほとんど話さない。やはり、息苦しいという気持ちは消えないのだ。

 ただ、不思議と神には、その息苦しさを感じなくなっていた。
 確かに、図々しいほどに距離感の近い彼だったが、存外に相手の気持ちを汲むのが上手い。
 近すぎる距離感だが、適度に壁を設けるのが異常な程に上手いのだ。



 何気なく入った駅前の焼肉屋で、焼き網を隔てて向かいに座っていた神は、まじまじと魚塚を眺めていた。

「美人だよなー」
「ひ弱に見えるってことか」
「はぁ? 違うって。褒めてんだよ」

 魚塚が目を逸らしながら棘を交えて返せば、さして気にした様子も無い神はブラブラと割り箸を揺らした。

「お前、恋人作らないのか? めちゃくちゃモテるのに」
「……話しても、楽しくないから」

 素っ気無く返してから、魚塚は眉を寄せる。
 暫くしてから「相手が」と付け足せば、神は不思議そうに首を傾げた。

「まだ言ってんの、それ? お前、話すの上手いって」
「それは相手が神だからだ」
「他の奴らとも話してるのに?」
「一言二言な。話は膨らまない」
「魚塚ぁー……」

 つん、と返す魚塚は目を伏せがちにしたまま、皿の上に乗せたタン塩を箸で無意味に突いている。
 そんな魚塚を、神は苦笑して眺めた。
 箸を置いてから、魚塚の視線に入るようにひょいと覗き込めば、眉を寄せた彼と目が合った。

「魚塚はなんでそんなに、自分を下に見るの?」
「……別にそんな……本当のことを言ってるだけだ」
「俺はさ、魚塚にもっと色んな話をしてほしいんだよ。でも、お前はさ、すぐに壁作って、何も言わなくなるだろ」

 微笑んでいた神の表情が、俄かに真剣なものへと変わる。ジッと下から見つめてくる目に堪え切れず、不自然に視線を逸らしてしまった。

「……魚塚、大学入る前に何かあったのか……?」

 ごくん、と息を飲む。
 神の真剣な視線が、俯いた魚塚の伏せがちな瞳へと向けられていた。その視線に、魚塚はジッとテーブルの上に置いたままの左手を睨む。



 神は、確かに距離感が近い。ただ、魚塚が本当に嫌がればすぐに離れていき、そしてまた近付いてくる。

 相手の気持ちをいち早く察する神は、相手の嫌がることはしない。だからこそ、友達が多く、そして慕われていた。

 それなのに、今、神は魚塚に問い詰める様な目を向けていた。

 無理も無いのかもしれない。過剰なほどに他人との間に壁を設ける魚塚の態度に、疑問を持たないわけがない。


「なんかさ、聞くのも悪いかと思ってたけど、その『何か』のせいでお前が素直になれないって言うんだったら、どうにかしてやりたいと思う」

 神は、普段からの優しさから、そう言う。
 黙り込んだ魚塚が話し出すのを待つつもりなのか、そこで言葉を切った。

 パチパチと金網から焦げた匂いが漂う。焼きすぎたカルビが悲鳴を上げるように、その体が黒くなるのを見つめた。




 言ってしまえば、変わるだろうか。そう思った。


 確かに『あの経験』が、自分をここまで卑屈にさせたのは間違いない。『あの経験』から、自分が誰かを信じることが出来なくなっ
てしまったのだから。


 高校の頃に、突如身に降り注いだ悲劇。それを神に告げることが出来たら、解放されるのだろうか。


 神は、軽蔑するだろうか。『あの経験』は、きっとこの先、誰にも言うはずは無いと思っていた。口にすることすら、辛いのだから。

 ……いや、きっと、神は同情する。
 だからこそ、憐れな目を向けられるのも、軽蔑の目を向けられるのも嫌だったからこそ、自分は『あの経験』を身のうちに塞ぎこんで、他者との距離を作ってきた。



 言えば、楽になれる?
 それとも、神は離れていく?



 クッと唇を噛んで黙り込んだ魚塚を、神は見つめていた。
 二人よりも後に入店した客が、続々と会計を済ませて出て行く。既に、金網の上にあるのは炭だけだ。



 口を開いては言いよどむ。何度もそれを繰り返しているうちに、神の表情が不安そうなものへと変わった。

 魚塚の根底にある『何か』が、どれだけ大きなものなのか、気付いたのかもしれない。もう何度目かの言い淀みを繰り返したとき、神がそっと首を横に振った。


「魚塚、ごめんな。困らせて」
「っいや……」
「もういいから。お前が言いたくなるまで、待つから」

 自分は、泣きそうな顔をしていたかもしれない。いつも通りに笑う神の優しさに、涙が出そうになった。

 きっと、自分を救ってくれるのは、彼だけなんだ。そう、直感で思った。




 『あの時』、誰にも救われることはなかった。
 苦しむ自分を、今まで親友だと思っていた奴らは、蔑むような、冷たい目で見下して、背を向けた。

 それが、自分を今でも閉鎖的な空間に閉じ込める原因になっている。



 たすけてよ。


 楽しげに黒こげになったカルビを箸で突いている神に聞こえないように、掠れた声でそう呟いた。
 そうして彼に縋ってしまったことを、二十年経った今でも、時折後悔することになる。




2012/9/23
written by 鈴城はるま


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