Novel-BL

□クライスレリアーナ<5>
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 その日、シェリルは酷く憂鬱な気分でアカデミーの研究所を訪れた。
 過去の過ちを世間に公表したアカデミーは、その研究の全てを償いとして世界に提供することで現在も活動を認められ、その支部の一つがギスレムの街の中に存在している。ウェポン合成の第一人者でもあるシェリルは、ウェポン協会とアカデミーとの共同研究の為に、月に一度はギスレム支部に訪れることになっていた。
「お待ちしておりました。どうぞこちらへ」
 相も変わらず無表情の所員と機械的な挨拶を交わし、研究所の奥へと通される。シェリルは此処に来るのを酷く嫌っていた。所員達の対応が悪いからだとかという訳ではない。
 ギスレム研究所の責任者の元へと進む途中にはいくつもの硝子張りのケージが据え置かれた部屋があり、ケージの中では実験用のマウスが自分達の運命も知らずに餌を頬張っている。シェリルはそのマウス達を出来るだけ見ないようにして奥の部屋に進んだ。
「お元気そうね、シェリル」
 所長であるシャロンは品の良い笑顔でシェリルを出迎えた。彼女とはもう3年の付き合いになる。年がかなり離れているにも関わらず、彼女はシェリルと対等の立場で接してくれている。シャロンにとって、重視すべきは年功ではなく実力のみだからだが、それだけで人の価値が決まるのだろうかとシェリルは思う。
 シェリルには解ってしまうのだ。協会集落の研究をシャロンが心のどこかでもどかしく思っている事を。
 しかし決して過去の過ちは繰り返すまいと彼女は鉄の自制心で自分を抑えている。
 大災害が起こる以前、ギスレムの町で平凡な毎日を送っていたシェリルはまだ小さな子供だった為、もうその世界がどんなに素晴らしかったかさえもよく思い出せない。今を否定して研究を焦り、再び大災害の危機に世界を晒してしまう程、あの時代は皆が幸せだったのだろうか?
(ギスレムは何も変わってないはずだよ。大災害が起こる前も起こってからも)
 昔は嫌っていたあの町が、本音で生きていける町だとほんの少し好きになったのは、そうあれはアレク達と出逢ってから‥‥‥。
(あたしは‥‥今のこの世界が、毎日が好きなんだよ)
 自分達の研究で、今よりももっと世の中が便利で豊かに変わって行く事を否定する気はないが、その為に何かを犠牲にしなければならないのは嫌だった。
「シェリル?」
「あ‥‥ごめん。ちょっと考え事してて‥‥」
 シャロンは溜息をついたが直ぐに生真面目な表情になる。
「しっかりして頂戴ね。今度のシステムと銃が完成すれば、今までよりもずっとモンスターから町を守りやすくなるわ。そうすればもっと町を大きくしていくことも可能だし、豊かな暮らしも取り戻せるの。今が一番大事な時なのよ」
「ああ、判ってるよ」
 未だ過去の亡霊に取り憑かれているかの様に、何かを取り戻そうと必死なシャロンを見るとシェリルはどうしても不安を覚えてしまう。この焦りが再び暴走したりはしないだろうか?
(もう絶対にあんな事繰り返させたりしない)
 だから自分は自分の出来ることをしなければならない。どんな形であれアカデミーに関わりを持てる自分がしっかりと見張っていなければ。
「さ、打ち合わせを始めましょうか。スタッフ達はもう全員ミーティングルームに集まってるわ」
 先に立って進むシャロンに続いてシェリルも部屋に向かうと再びマウスの入ったケージが目に入る。 実験の為だけに繁殖させ、そして外の世界を知ることなく犠牲になっていくマウスたちが哀れだった。
『必要な事なのよ。人間で実験するわけにはいかないでしょう?』
 最初反発し、可愛そうだと訴えたシェリルにシャロンはそう言って諭してきた。
 確かに、自分の言っていることは綺麗事かもしれない。 既にギスレムの町で自分達はアカデミーの研究の恩恵を受けているのだ。その為の小さなマウスの命など気にする人間は少ないだろう。自分には研究を止める権利は無く、黙って見守るしかない。
『すべては人間達の豊かな暮らしのため』そんなアカデミーの体質にシェリルはどうしても馴染めず、研究所に足を運ぶことがいつしか苦痛になっていた。
(こんな時、ルッツならなんて言うだろう‥‥)
 同じ様にアカデミーのやり方に疑問を抱くだろうか?それとも仕方がないと諦めるだろうか?
 いいや、そんなことよりも、またウジウジと悩んで逃げだそうとしている今の自分を叱ってほしい。あの笑顔を自分に向けて、情けねぇぞと笑い飛ばしてほしい。
(今日は遅くなるだろうから、協会集落には行けないね)
 無性にルッツの顔が見たかった。
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