教師のいない授業

□呼び捨てる
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【呼び捨てる】



「ずっと思ってたけど、『暮羽』って呼んでよ」

 そういわれてうれしかったのは、いうまでもなかった。
 けれどどうして、今までそう呼べなかったのか。そのときは考えても、答えはわからなかった。

 思い出したことがある。
 小学校のときの記憶だ。
 よく一緒に遊んでいた子がいた。
 一番最初に遊んだ日の帰り道。

「呼び捨てで呼びあおうよ!」彼女がいった。
 それまで呼び捨てで呼ぶ相手は、妹しかいなかったわたしは、喜んでその提案を受け入れた。

 それから数ヶ月経つと、彼女──莉代から新たな申し出があった。

「莉代を呼び捨てにして、いやがる友達がいるから、やっぱり『ちゃん』付けて呼んで」

「わかった。莉代ちゃんって呼ぶね」

「うん」

 思考回路の幼いわたしは、「そういうものか」と受け入れた。
 少しの悲しい思いを生んだ、出来事だった。

 それからまた、月日が経った。

 わたしと莉代は、交換日記をするようになった。その日にあった出来事、いやなこと、いいこと、なんでも書いて、楽しい気分を味わう。

 わたしはひとつ、そこに書いてみた。

「交換日記でなら、呼び捨てで呼んでもいいでしょ?」

 仲がいいはずと思っていたわたしは、彼女の友達を気にして、ずっといわれた通りに呼んでいた。
 けれど、付き合いが長くなってくると、敬称が邪魔にも感じてくる。友達付き合いならば余計に。
 それでわたしは、「他人の目を気にしなくていい交換日記なら、呼び捨てでも問題ないだろう」と、幼いながらに結論したのだった。

 返事が返ってきた。

「考えとく!」

 わたしはそこではじめて、名前も分からない悪魔の顔を、見たような気がした。

 それから中学生になって、莉代とは自然と疎遠になり、別の中学校出身の、暮羽と仲良くなった。
 部活動では、同学年の子とも仲良くなった。そこには莉代もいた。わたしは彼女を呼び捨てて呼ぶ子に混じって、律儀に『莉代ちゃん』と呼び続けていた。
 それをひっくるめても、中学校生活は、小学校のときより楽しい感じがした。

 またときは流れた。
 わたしは高校生になった。
 一番仲がよかった暮羽も一緒だった。

 そのときもわたしは、悪魔に気を使って『暮羽ちゃん』と呼んでいた。彼女はもうとっくに、わたしを呼び捨てていた。

 入学から数ヶ月。
 学校が終わって、ふたりでお茶をしているときだった。

「ずっと思ってたけど、『暮羽』って呼んでよ」彼女がいった。

 わたしは、悪魔に気を使ってためらった。「いいの?」妙な恐怖を隠して、ひょうきんに返す。

「あたりまえじゃん!っていうか、なんで今まで呼んでくれなかったの」

 そういって、暮羽は笑った。
 わたしも笑って、暮羽を呼び捨てた。

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