私が吉野太夫を襲名するのは、秋以降に決まった。
それまでは以前のように、置屋の仕事をしながらお稽古に励むこととなる。
私はここで平和に暮らせることに感謝しながら、秋斉さんのそばで過ごした。
毎日稽古をみてもらい、秋斉さんの身の回りの世話をし、時間を見つけては子猫のように纏わりついて甘えた。
「秋斉さん、ひと休みしませんか?」
声をかけると同時に襖を開ける。手には渋めのお茶の入った湯呑みが二つと、お菓子の載ったお盆。
「……せやな、いただきまひょか。」
帳簿をつけていた手を止めると、秋斉さんはゆっくりと私の方を向いて微笑む。
いつものように私の頭をなで、髪を梳き、時には顎を指先でくすぐる。
「あんまり頑張り過ぎないで下さいね?」
秋斉さんの横に座り、見上げながらそう言うと、秋斉さんは口元に笑みを浮かべたまま返事をしない。
「……秋斉さん?」
「……そないにかいらしいこと言わはって。」
思わず赤くなった私を、秋斉さんは髪の毛一本ほども動じないで平然と抱き寄せる。
左手で私を支えながら、右手の人差し指を私の唇に軽く押し当てた。
「この口が言うたんやろか……?ん?琴子はん?」
言い終わらないうちに、指の上から唇が押し当てられる。
口の中に、秋斉さんの柔らかい舌と感触の違う指先の両方が入ってきて、私の舌先は軽くあしらわれてしまった。
驚く私から指が引き抜かれ、それは首筋へと滑り落ちる。その分深くなった口づけに、私は秋斉さんの背中に回した手に力を込めた。
途端、秋斉さんはするり、と私の腕から抜け出した。
「……まったく、昼間から何をさせるんや、この娘は…。」
「……だって、あ、あきなり、さんが……」
私の舌も胸も、まだ痺れたままだ。
「そないに潤んだ目ぇで出て行かれたら、わてが恥ずかしいさかい、ゆっくり茶飲んでから戻りよし。」
半分広げた扇子で口元を隠し、くすりと笑って秋斉さんは私の額をつん、と弾いた。
秋斉さんはこんなふうに、いとも簡単に私を翻弄する。
秋斉さんの手の平で、委ねきって転がされる毎日はとても幸せだ。
これ以上、何も望むものなどないと思っていたけれど。
私が、欲深いのだろうか。
「まったく、昼間から何をさせるんや」
そう言って微笑んでみせた秋斉さんは、
ひと月経ち、ふた月経ち、また京に暑い夏がやってきても、
私とひとつの夜を過ごすことはなかった。
私を抱こうと、しなかった。
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