「……買い被りもえぇとこやな。」
二回ゆっくりと瞬きをして、藍屋さんは立ち上がると俺に背中を向けて障子を少し開けた。
なるほど。
女はこの背中に惚れてしまう訳だ……。
ほんの少しの静寂のあと、藍屋さんが口を開く。
「……戦はまだ続いとるんやろう?」
「まだ庄内藩が。でも、九月中に降伏します。幕軍の一部は船で蝦夷に逃れて抵抗を続けますが、それも来年夏までには終わります。」
「やっと、終いか…。」
そう言うと、藍屋さんは振り返って俺を見た。
「礼を言わなならんのは、わてのほうや……結城はんは……ええ男やな。」
「いい奴って意味なら、やめて下さいよ。それはどの時代でもモテない男を指す言葉でしょう?
……俺がいい奴なのは、琴子の前だけですよ。」
「……ほうか。せやったら余計、礼を言わな。」
藍屋さんの眼差しは、穏やかなのに愁いを含んだ、どこよりも深い海のようだ。
平等であることが絶対に正しい価値観だと、そんな幻想を信じ込んで育ってきた。そんな俺には、藍屋さんの目が何を見てきたのか、本当に理解することは出来ないだろう。
……コノヒトトハ、トテモ、ハリアエナイ。
「藍屋さん、俺はやっぱり、琴子が笑ってないと……ダメなんです……。」
……ダカラキョウハ、ムカエニ、イッテヤッテ……。
「結城くんに、心配してもらうことは何もないよ。」
俺の心まで読むように、藍屋さんは悠然と言ってくれる。
置屋に戻ってきた時とはもう全くの別人だ。
その後二、三の簡単な質問に答えた。
これで俺の今日の役目は終わり。モテない奴は、さっさと帰って寝るに限る。
結城を見送った秋斉に、番頭がにこやかに寄ってきた。
「旦那はん、琴子はんは、桔梗屋の二階の奥の間どす。
ご挨拶に行かはるんでっしゃろ?」
「ん…そうやな。」
「今日は懐かしいお方に二人もお会いにならはるんや、旦那はん、よろしい一日だすな。」
……ふたり?
秋斉はゆっくりと番頭の顔を見た。
「初めての方どすが、旦那はんの古いご友人やいわはるよって……琴子はんにも粗相のないよう、申し伝えておきましたわ。ええと……」
人の良さがそのまま出たような顔の番頭の口から、秋斉の一番聞きたくない男の名前が放たれる。
「そうそう、細谷様、いわはりましたな。」
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