空に満つ


□第四話
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琴子にと、特別に誂えた扇が出来上がってきた。

扇面は、濃紫から薄桃へと移りゆくぼかし。琴子には少し大人っぽい色かも知れない。そのかわり蝶を模った金箔と銀箔の大小を華やかに散らした。
そして漆塗りの骨は、親骨(一番外側の骨)だけに控え目な夜光貝の螺鈿細工。


手にとって感触を確かめる。扇ぐだけの扇子と違い、舞扇にはある程度の重さも必要だ。秋斉は重りの入った要の部分の仕上がりを念入りに確かめた。


………いい出来だ。


満足のいく品だった。
今に島原一の太夫の持ち物になるのだから、と秋斉が何度も店に通って仕上げさせたのだ。


――今日の稽古が終わったら早速琴子に渡してやろう。

よく頑張ったと労って、頭の一つも撫でてやって……。


今や、舞の稽古の時だけが、二人きりで向き合える時間なのだ。
秋斉にとって何よりも大切な時間、今の二人を変えていくなら、きっとここがそのきっかけになる。



扇を箱にしまうと、そっと愛用の文机の上に載せた。

昼前の仕事を片付けながら、秋斉は幾度となく指で撫でては、待ち遠しくその箱を眺めた。









扇を前に手をついて挨拶をすれば、それが稽古の始まり。


だけど今日の琴子は心が入っていない。上の空で型ばかりを追っている。

芸事に私情は無縁だ。
今日は沢山誉めてやりたかったのだが、それにしても限度がある。



「……やめぇ」

琴子の動きを秋斉が遮る。

「なんぞ、気ぃが乗らんのか?」


「……聞いてもいいですか…?」

両手をだらりと下げて立ち尽くし、涙目の琴子が突然問いかける。


「…まだ泣かれる程、怒ってへんよ?」

その様子に、秋斉のほうがたじろいだ。


「秋斉さんが、お稽古の時だけ、私をちゃんと見て下さるのは……舞っている間は、私が何かを演じているからですか…?」

――琴子?

「私が、私じゃない時だから、ですか……?」


そうじゃない、と琴子を抱きしめたい自分と、
そうかも知れない、と琴子の鋭さに驚く自分。


即答してやれない秋斉に、抑えた声で琴子が心の悲鳴をあげる。


「私は……、秋斉さんの扇子の上げ下げで動く、人形じゃないんです。ただの…普通の……女なんです。」


最後の言葉に、秋斉の伸ばしかけた手が止まる。




「九月中に、天子様が江戸に向けて京をお発ちにならはるそうや。大層な、そらめでたい行列になるやろう……。」

慌てて取り繕って口から出たのは、俺にはめでたくなどない、そんな呆けた話。


「同じ日に、琴子はんの太夫のお披露目をしよう思うとる。せやから……」


「……お稽古に精を出せ、ですか……?」

諦めたように、琴子は薄く笑った。
瞳いっぱいに溜まった涙を、こぼすこともなく。




「……翔太くんが、京に来てるんです。」


「結城はんが?」


「暫く京で仕事するらしくて……今日、お座敷に呼んでくれました。
……久しぶりだし、早い時間から来れないかって…。」


「ほうか……せやったら、はよ支度し。」

そっぽを向いた秋斉の背中に頭を下げ、琴子は部屋を出ていった。




ちょうど通りかかったらしい花里が、秋斉の部屋の中を覗き込む。


「旦那はん?なんや琴子はん泣いてはったんやない?」


「……やる。」


秋斉は扇の箱を、顔も見ずに花里に押し付けた。







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