『忘八』


□七、方違え、再び
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相変わらず山喜屋は、三日と空けずにおりんに会いに来ている。
一昨日は座敷中に、夏椿の花を敷き詰めて待っていたらしい。

あのじいさんなら、照れもせずにやりそうなことだ。


おりんはいつも笑顔で座敷から帰ってくる。

いつも困った顔をして、つい手を貸してやりたくなるおりん。

そのおりんが笑顔になる時間を、山喜屋はちゃんと用意している。






その日は、座敷の前に話がしたい、と秋斉が茶屋に呼ばれた。

きっと、水揚げの話だろう。
そう思うと、歩みが重い。これでは忘八すら失格だ。




秋斉の顔を見ると、挨拶もそこそこに山喜屋は話を切り出した。



「藍屋はん…あの娘をわてに、身請けさしてもらいたいんや。」

山喜屋は、きっぱりそう言った。

「山喜屋はん!おりんはまだ…」

てっきり水揚げの話と思い込んでいた秋斉は動揺し、思わず膝を立ててにじり寄った。

「ま、ま、落ち着きよし。そらわてかて、こないな年して水揚げ前の新造を身請けするゆうんは、まあ、気恥ずかしいことだす。」

山喜屋は、手元でぱちぱちと鳴らしていた扇子を半分開くと、秋斉に顔を近づけてこう言った

「けんど、急がなあきまへん。おりんはな、今のままやったら、……あんさんが水揚げをしぶってはるようなら、……隠れて客とるようになるで。」


それは――
秋斉はぐっと唇を噛んだ。膝の上の拳も、爪が食い込むほど握りしめる。


「弟らのためやったら、それくらいする娘ぉや。……裏で客とりはじめたら、すぐにやくざもんの男が付く。そないなったら、あの親父より始末の悪いことだす。」


――もうそんなことまで、山喜屋に相談しているのか。
秋斉は力無く座り直した。自分の間抜けさに、呆然とした。

遊女には、確かに隠れて客をとる者もいる。藍屋では厳しく目を光らせてはいるが。
金に困った遊女を言い含めることなど、赤子の手を捻るより簡単だろう。まして相手がおりんなら、尚更だ。


「…おりんには…まだかなりの借金が残ったままなってはりますが……。」

そんな言葉しか出てこない自分が情けない。


「それやったらあんさん所の番頭はんに確認済みや。今ならおりんの借金、色付けてわてが引き受けまひょ。これ以上増えんうちにな。」

「せやけど、弟たちのことが」

「うっとこと付き合いのある店に奉公先を見つけてあるよって、頃合いをみてわてが引き合わせるつもりだす。」


……もう何も、秋斉が口を挟む余地はなかった。

さらに追い撃ちをかけるように山喜屋は続ける。


「もしあの親父がしつこく探し回るようやったら、出入りの賭場ですこぉし怖い思いでもさせたろ思ってまんねん。」


この男は想像以上に顔が利くらしい。
それにしても、短期間にこれだけの手配をすませたとは。
目の前の温厚そうな老人の本意をつかみかねて、秋斉は困惑した。


「…どないしはった?わての顔に見とれてはるのか?」


「…なぜおりんにそこまでしはるんです?」

秋斉はただ真っすぐに、疑問をぶつけた。





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