Parallel World

□Evidence
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何もないから、誰もいない。


それはどこへ行っても、同じこと。



双六も、絵草紙もない八雲の部屋には、遊女仲間も禿も立ち寄りはしない。そもそも雛遊びも出来ずに育った八雲は、町方の童女とどう遊んでやればよいかも分からない。


「何も持たんと、身軽に暮らすんが性に合うとりますのや。」

この置屋に来た時から部屋にあった鏡台と、小さな火鉢しかないがらんとした部屋には、花も飾らないと決めている。


「このほうが掃除もしやすいさかい。」

私以外の誰の目にも留まらずに萎れていく花を見るのは哀しい。この島原では男達は摘んだ花に相応しい金を払うというのに、私はただ、花の命を奪うだけ。



綺麗な帯も、簪もいらない。
人気の遊女に、なれなくていい。


華やかに舞い踊る島原の女達の後ろで、そっと間違いのない渇いた音を鳴らして。
そして今夜の伽の相手にあぶれた、酔った男と添い寝して朝を迎える。


待つことは苦手だから、次の約束は、なくていい。



持たないことは、決して怖くない。

この置屋の小さな部屋が空っぽであれば、私の心は平らかでいられる。






……なのに。

どうしてあの男だけは真綿のように優しく、こんな私を甘やかそうとするのだろう?

どうして私は気高い猫のように、あの男に邪険に出来ないのだろう……。








「……八雲はん、何を想うてはります……?」


優しい声と、大きくて温かい手の平。
そっと動く枡屋の指先が頬に触れて、私は膝の上で自分の着物をきゅっ、と掴んだ。


「切ないものや、こない近くにおるゆうのに、あんさんの心は何処にあらはるのやろうか……。」


頬にあった指が背中に滑る。切ない男の振りをした枡屋は、慣れた手つきで私をその胸に抱き寄せた。

私は顔を少し横に向けて、綺麗に敷かれた紅い夜具と、枕元の有明行灯の頼りない小さな灯りを見ていた。


「堪忍……なんや夕べの、真っ暗い夢を思い出してしもうて…。」




贔屓筋を持たず、見廻り組や壬生浪士組などの大きな宴席の数合わせの役目ばかり務めていた私に、初めてついた馴染みがこの枡屋だ。

地味で目立たない私を奥ゆかしい女だと、会うたび枡屋は目を細め、色とりどりの贈り物をしてくれる。


味気なかった鏡台の回りに少しずつ華やいだ物が増えるたび、嬉しさと戸惑いが私を包む。

枡屋と過ごす夜、私にとってそれは、仕舞い込んでいた幾つもの暗い夜の引き出しを開けてしまう夜だ。








※有明行灯(ありあけあんどん)
就寝時に使用する小型の行灯。名前の由来は「夜が明けて有明の月が出てもまだ点いている」ことから。

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