Parallel World

□きのうのあした 4
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実際、松葉屋は商売上手なんだろう。
ここ柳原が、島原ほど上品な街である筈もなく。



少し弾んだ息を整え松葉屋に近づくと、馴れ馴れしい客引きが袖を掴んで俺を暖簾の中へと引き込む。そのまま上がり框に座らされると、もう少女が俺の足を洗い始めている。


「・・・・・・待ってくれ、今日は遊びに来たんじゃない。」

その流れるような早業に面食らいながら、手足の動かせない俺は顔だけひねって、番頭とおぼしき男にそう訴えた。

見事な愛想笑いを張り付けたこの男の顔の筋肉は、きっと固まっているに違いない。客の反応を窺うピエロのように、笑顔のまま目だけに警戒の色を浮かべる。そして俺が金を払いに来たと言うと、今度はその目を細めてすっかり隠してみせた。

「朱鶴さんに借りがある。持ってるだけ、全部置いていくから。」

この男を信用して、金を盗られては馬鹿を見る。俺の目の前で帳簿に線を入れてくれと頼むと、細身の番頭はいそいそと立ち上がった。

「それはそれは。せやけどこないな話、店先でとゆうんもなんですなぁ。いま身上がりの帳簿を繰りますさかい、上がって待っとっておくれやす。」



そうして俺を奥まった部屋に案内して、結局番頭はそれきり戻ることはなかった。
やがて待ちくたびれた俺の前に現れたのは、丸盆に銚子を二本載せた少女。

何のことはない。
借りのあるうちは縁の切れない律儀な小心者だと、俺は見くびられたのだ。例えツケを踏み倒されようとも、女を縛る枷になるだけで店の腹は痛みはしない。返す金があるならもっと使えと、抜け目ないあの番頭は考えたのだ。



帰らせてもらう、と立ち上がった俺の前で、少女は背中で出口を塞いだ。

――兄さんは運がええ・・・・・・姐さんの客が、腹いた起こして帰りよった。姐さんは、もうじきや。

ぼそりと上目遣いにそう告げた少女は、まだ肩上げをした着物を着ている。

俺の運がいいだって?誰も彼もこんな少女までも、俺を行く手を阻むというのに?・・・・・・何処へ向かっているのかさえ、もう自分でもわからないのに。


腹立たしくてやりきれなくて、その幼い肩ですら、押し退けてしまおうとした時だ。





――これ、人様の腹いたを何という言い草や。えぇから、あんたは早よう下がり。


それは肩上げの少女をたしなめる言葉の筈なのに、焦れた俺を甘やかすかのようにゆったりと生ぬるく響いた。
するりと抜け出す少女と、俺の目の前で入れ代わる。

・・・・・・やっぱりそうだ。この人は、立ち姿がより、美しい。



ずっとずっと張りつめていた、俺の中の糸が緩んだ。顔を見ないで、金を置いて、さっと帰るつもりでいたのに。




“やっと、会えた。”



あの時確かに、俺はそう思ってしまった。








※身上がり
遊女が公休以外に休みを取ったり、恋人などを自腹を切って接待して、自分の借金を増やすこと。

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