藍屋秋斉の味わい方


□雨を待つ 前編
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一度目は秋斉がまだ二十歳の、月の冴えた夏の夜だった。

その時は、十も年上のお柳が誘った。

二人とも酒を飲んでいたことだし、何より一度きりなら間違いで済む。


その後お柳は秋斉の、若々しいひたむきな恋を応援し、もうそれきりの筈だった。



けれど。



二度目はそれから五年経った、もう春だというのに、冷たい雨の降る夜だった。




夜も更けて、二枚歯の下駄を履いた秋斉が、からんころん、と寒そうな足音を響かせて帰ってきた。



―――風邪をひかせてはいかん。

そう思ったお柳は、急ぎ熱い白湯を部屋まで運んだ。
それだけだ。




「旦那はん、お白湯をお持ちしましたけんど。」


「…ん、よう気がきくやないか。」

文机の上に湯呑みを置いて下がろうとするお柳に、秋斉が声をかけた。

「ちょっと、待っとき。」

秋斉は肩をすくめ、子供のように湯呑みを両手で包んで、ふぅふぅと息を吹きかけている。


「旦那はんは猫舌なんやから、ゆっくり飲まはったらえぇ。湯呑みは明日下げに来ますさかい。」


「…ええから、待っとき。」


不意に湯呑みを離した秋斉の右手が、お柳の手を取った。
それは何事でもないような、自然な振る舞いで。



「……もう、わての手ぇは温うなったか?」

そう言いながら、秋斉はじっとお柳を見つめている。
その端正な顔が段々、近づいてくる。



「……温うなりたいんやったら、風呂に入ってきはったらどうや。」

胸の高ぶりを抑え、精一杯睨みながら、お柳が答えた。



瞬時に、秋斉の目に暗い光が宿る。
凄みのような、色気のような。
その目は一度、見たことがあった。



秋斉は乱暴にお柳を引き寄せ、そのくせ決して抗えぬくらい、優しく口づけた。

冷たい頬と熱い指先、舌先に交互に掠めとられ、お柳はすぐに呼吸を乱した。



たっぷりと甘やかしておきながら、唇を離さずに秋斉は囁きかける。

「…わては風呂に入らないかんのやろ?お柳はどないする?
…もう、部屋に戻らはる?」


「……いやや…」

お柳は秋斉を抱く腕に力を込め、吐息で哀願するしかない。


せやったら、と言いながら秋斉が目を細める。

「わては今、手ぇが塞がっとるさかい…帯は自分で解き……。」



言われるまま、お柳は帯を解いた。
身体はもう、とっくに解けていた。



夜半から、屋根に突き刺さるような強い雨。
雨音に紛れ、二人は暫し我を忘れた。





―――春は、旦那はんが大切な人をなくした季節。

旦那はんは春になると、一層穏やかで優しゅうなる。
元々色白な旦那はんが、まるで透き通っていくような、儚げな風情になる。


旦那はんは、お寂しいのやろ。


せやから、一度肌を合わせたことのある、売りもんでないわてを

つい、抱いてしもうたのやろ。


それだけの、ことや。







それ以来、糸のように細々と、だけど二人は続いていた。


間が長く空くこともある。


そんな時にはお柳は一人、雨の夜を待ちわびた。






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