日生光Book

□真実の偽り
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暗い夜道。



ふらり、一つの影が力なく歩みを進めていく。
目的が在るのかさえも朧げな危うさを纏わせて、今にも闇に溶けてしまいそうだった。

そんな影が、ある白い家にすこし躊躇したあとに吸い込まれるようにして入って行った。


小さな軋みを立てて、扉が開く。
西洋ならではのこの造りにも慣れてきた頃合い。
そうして、過ぎ去ってゆく時間とともに、夜とともに、もう一つ、慣れた事。



隣の部屋から聞こえる女性の声。
そして、それは明らかなる情事中。
女性の喘ぎ求め啼く声、そして、あの人が攻め立てる、嘘の言葉の数々。
---もう聞き慣れた。
昨夜とは違う女の声。
またどこか違う女を誘ったのか。
そんな呆れさえも、何処かに消えてしまいそう。本当に、消えてしまえばいいのに。それなら、どんなに楽だろうか。



徐に、あの人が何時も使っている椅子に腰を掛ける。
あの人の匂いが充満してる。

嗚呼、あの、薔薇の香り…。

目を瞑れば、視覚がない分、聴覚が研ぎ澄まされたような気がする。
一層私の中で強くなる、声。


甘く、甘く、何処までも、甘く。
脳内を溶かして、思考を掻き混ぜて、官能的に。私の神経を侵していく。




――そう言えば、何時からだった?



思えばいつでもそんなことを考えている。
それでも、答えなんて出るはずも無く。


一週間前?
いや、もっと前だったのでしょうか。
一ヶ月…いいえ、三ヶ月。
一年前だった?



最初は、耳を塞ぎたくなる衝動に掻きたてられて、狂ってしまいそうだった。
恐かった。
苦しかった。
悲しかった。
押し籠めた。
必死に。



――…平然と、呼吸をする、今。



「……光さん…」



無意味にも、無謀にも、無意識にも、呟いてみた。






好き。



「…なんてね。」




馬鹿みたい。






喉に突っかかって出て来なかった。熱くなって、焼けるように言葉が消えた。

上手く、言葉に出来なかった。苦しくて、息苦しくて。







貴方にとって、私が一番じゃないことも。分かっています。
貴方にとって、今抱いている人が一時の感情だと云うことも。分かっています。
貴方にとって、昨夜の女性が大切ではないことも。分かっています。
貴方にとって、過去は過去でしかなく未来は不安定であることも。分かっています。
貴方にとって、簡単に堕ちるものを高みから見る御遊びだと云うことも。分かっています。
貴方にとって、私は私で私じゃないことも。分かっています。

全て、分かっている。ふりをしている。
理解している。何でも知ったような顔で、何も知らない振りをする。

分かっているからこんなにも冷静なのだ。
彼の方も知っているのだろうか…私が知っていることを。
…いや、愚問なのかもしれない。聡く鋭い彼の事だ、きっと気づいているのだろう。








慣れた。本当は、

平気です。ずっと、ずっと辛くて

私は、大丈夫。そう笑っていれば

知っているから。何も変わらない気がして。

理解しているから。貴方の知己でいたいから。

貴方の事、誰よりも愛してる。



恐くないです。

貴方が――居るから。




違う。違わない。
本当は、真実なんて知りたくない。
怖いのだ。何が。怖くなんて…。
私は貴方に

捨てられるのが。

忘れ去られるのが。

情が無くなるのが。

手離されて終うのが。

求められなくなるのが。

必要とされなくなるのが。









恐い。心が
怖い。黒くなって
辛い。私を
嫌だ。狂わすの。




薄らと目を開ける。
視界に映るのは---ああ、光さん。










私は愛も変わらず、今日も貴方に微笑むのです。壊れないように。移ろわないように。

本物の中に、偽りを――無理矢理捻じ込んで。


――ねぇ、光さん。貴方を、愛しています。誰よりも、彼よりも。



おかしくなったのは、貴方。

それとも、私――――?


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