ある凶王の兄弟の話


□したながの消失
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「徳川は所詮、その程度」

甘い響きの声が空気を撫でた。
天守方面の道から砂利を踏んで現れたのは半兵衛だった。
短く波の掛かった潤色(うるみいろ)の髪に白い肌を覆うような菖蒲色の仮面。白を基準とした胴服に短い外套。そして足を覆う細長い甲冑。
一見すると実に華奢な人影が、そこにはあった。

「重要なのは天下の先の、世界だ」

半兵衛は歩みながらも言葉を続けた。
半兵衛が現れると、その場の空気は一層に固まった。
それは先程のような威圧による空気の凝固ではなく、目上の者を前にする緊張による凝固だった。
三成や吉継、重成やその場に居た兵さえ、半兵衛を前に跪いた。
半兵衛にとって部下が跪くのは当たり前の光景だ。

「敵を倒さない者を数に入れた所で何も変わらないよ」

半兵衛は静かに微笑んでいた。
彼は歩みを止めた。
それは跪いた重成の縁側の前だった。

「そうだよね?重成君」

「・・・・・はっ・・・」

重成は顔を上げないままで、半兵衛に同意した。
何故こんなにも半兵衛に目を付けられているのか、重成には全く心当たりが無かった。それなのに無意識にも、背には汗が滲む。

「顔を上げて御覧、」

「・・・・・・」

半兵衛に言われた通り、重成は静かに顔を上げる。
そこにはやはり半兵衛が居る。
口元は笑んでいる。しかしその桔梗色をした瞳の奥は疑りを孕んでいた。
あの時と同じ目。
目を逸らしたくなるような色の眼を、只重成は見詰めた。
半兵衛の瞳に吸い込まれそうな錯覚を覚える。

やっぱりね。
半兵衛の視線は、重成の何かを感受したらしく、そう言いたげに見えた。
やがて半兵衛は口を開く。

「君の眼は、家康君と同じ色をしている」

その言葉に重成は目を見開いた。
勿論、半兵衛は上辺の色の事を言ったのではなかった。
半兵衛が『色』と比喩した単語。

それは即ち、『胸の内』の事だ。

半兵衛がそう言った事に、重成は何も言葉を発しなかった。
いや----
発せなかった。

否定を続けた己の姿は、己が綺麗事と片付けた家康の姿と重なるのだ。
軍師の言葉のままに、心中は揺り動かされていた。
否定していた人間が、己の本当の胸の内に隠されていた人格と、確かによく似ていた気がした。
似ている事を自覚した時、抱いていた疑問が晴れた。
家康を否定しながら見詰めていれば、今まで通り分からないという恐怖に怯えていただろう。
しかし、今となれば何故敵を許したのかが手に取る様に簡単に理解出来た。
傷ついて欲しくない。
それは酷く簡単な気持ちだった。

しかし、半兵衛の言ったことには同時に示唆されるべき点もあった。
それは同じ目を、として名を上げた家康が消えている事にある。
きっと自分も同じことをするだろと、半兵衛が睨みを聞かせているのだろう。
それはわかっているつもりだった。
只、簡単に口出しは出来ない。
罪を着せられても、半兵衛の言う事に逆らうつもりはなかった。
半兵衛の言ったことは、たとえ己の事であろうと全て事実になる。

「でも、僕は君が家康君と同じ階(きざはし)を辿るとは思っていないよ」

示唆は瞬時に取り払われる。
軍師故の言葉。
豊臣の前から消えた人間と良く似た眼差しを持つ人間と知って尚、半兵衛はそう断言した。

「何故(なにゆえ)に・・・断言が出来ますか」

確かに豊臣に反駁するつもりは毛頭なかった。
しかし、何故半兵衛がそこまで言えるのか、重成の中には興味深いと感じた点が健在した。
重成よりも、重成の事を良く知る軍師は、簡潔に言う。

「君が豊臣の人間だからさ」

軍師の答えも、至極簡単なものだった。

「僕は秀吉の恩に報いろと、三成君や重成君に強制した覚えは無いよ。ここまで君たちが豊臣に尽くしてきたのは君たちの忠誠だ。僕は忠誠とはそう簡単に得られない、崩れもしない事を知っている」

半兵衛は姿勢を重成だけではなく、その場の者に向けた。

「最も必要なのはその上での武力、そしてそれを活かす頭脳だ。総員、それを自覚していてくれ」

「はっ!」

再び、その場の空気は締まる。
重成は、より一層額ずいていた。
重成を満たしていた感情は、紛れもない、半兵衛に対する心酔。

半兵衛様は、私の全てを理解した上で私を認めて下さっている。

それが重成の、何よりの喜びだった。
胸の惑いは取り払われた。
半兵衛が分からないという恐怖から重成を解放したのだ。

表情は依然として仏頂面であるが、重成は、これ以上の幸せは無いと感じていた。
家康を慕おうとした心根の先は、豊臣に向けられる。

私にはやはり秀吉様や半兵衛しか居ない。
私を理解して下さる『他人』は、このお二人の他存在しない。
する筈も無い。
だからこそ私は、いつまでもこのままで居られる。

「さぁ皆、遂に異国を攻める時が迫ってきている。心しておいてくれ、世界は目の前だ」

兵にそう語る半兵衛は俄かに高揚していた。
声にも自然と高まりが滲んでいる。

半兵衛や秀吉にとって、天下は通過点に過ぎない。
彼等の目的は、世界だ。
日の本は、その眼中に無かった。



だが、彼らの眼中に無い事が、従属する人間達に見えている筈も無かった。
豊臣の人間は一途に、世界だけを見ていた。
大将も、家臣も、重臣も、その小姓も、武士も足軽も。
日の本は既に統べた。
その彼等には、日の本で高まる燻りはまるで見えていなかった。




それは重成も、決して例外では無かった。










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