ある凶王の兄弟の話2

□野薊の棘
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生温い風。
潮騒の香りが鼻を刺激する。

元親は倒れ込んで動かない三成を一頻り見下ろした後に重成を睨み付け、碇槍の切っ先を向けた。
元親の怒りは、三成に砂を食わせただけでは済まないらしい。
今の彼は敵と見做す者をを破壊し尽くす鬼に相違ない。

「次はアンタだ。さぁ、知ってる事を洗い浚い話してもらうぜ」

低く唸る元親の声。
鮮明に耳殻が拾い、脳裏を何度も反響する。
重成は倒れた三成を見つめていたが、やがてはゆっくりと元親に眼を向けた。
元親は違和感を覚える。
彼に向けられた重成の瞳には、驚く程何も映っていなかった。
三成が伏した事による恐怖の色も、元親に臆する畏怖の色も、たった一人残された不安の色も。挙句には、怒りさえも。
重成の瞳の奥は濁った死人の瞳のように心情を吐露しようとしないのに、眼が放つ光彩の澄んだ透明感は鮮明に元親を反射している。
元親は眼を細めた。
それは決して重成に対する畏怖からではない。
静寂を纏う獰猛な野獣のような重成に、何故一瞥した時に気付けなかったのかという怪奇の念からだ。

重成は歩き出す。
右手に刀を持ったまま、倒れた兵士の間を縫うように、
潮騒の雑音だけがその場に谺す。
一切の音を拒絶した空間。
重成の一歩が元親に近付く度に、元親は凶暴な笑みを浮かべた。
碇槍を下げ、名も知らぬ石田三成の兄弟を相手にただ嗤った。

「影武者が凶王さんの敵討かい」

そう元親は重成に嘲った。
勿論重成は黙したまま歩むだけだ。
黙殺したまま姿勢を変えない重成は元親の言う通り、まるで誰かの影だった。
影が独りでに形と質量を持ったかのような出で立ち。
やがて重成は砂浜を蹴って立ち止まる。乾いた風が僅かに舞い上がる砂を攫い、琥珀色は色を増す。
静かに元親だけを見据えた状態で脳裏には一体何を考えているのかは分からない。
ピクリとも笑わずに重成は言う。

「敵討とは、貴方らしい見解だ」

「違うのか?」

「えぇ、兄上の尻拭いは御免です」

抜き身の刀の切っ先が砂をなぞった。

「過失が原因の敗北に仇討は必要ない」

「手厳しいこって。なら何故アンタは俺の前に立つんだ?」

「今、貴方の相手を出来るのが私以外に存在しないからです」

三成が倒れ、
吉継が病に伏し、
もはや敵大将の相手を出来る婆娑羅者は自分以外にいない。
周囲の敵兵士から大将の相手まで、全てを兵士に任せてはどれ程の被害が出るのかも分からない。
自ら『表』に立ち、大将の相手をする。
それが重成の選択だった。

深呼吸
両手で刀を持ち、顔の横で水平に刀を構える。
重成はここで初めて、一度『敵わない』と思った相手に刀を向けた。
今までは敵わないと思った敵に出くわした事がなかった。
同時に万一そんな相手が現れたなら、関わらずに『表』の者に全てを委ねようと思っていた。
元親に刀を向けたこの行動は、今までの己を瞬時に一蹴してしまう事を示唆していた。
この西海の鬼の前にたった一人立ち臨み、
今までの決意を捨ててまで刀を向けている。
これではまるで、自分が演者のようではないか。
三成は、いつもこんな心境で強敵を相手にしていたのだろうか。

「面白ェ。この西海の鬼に勝てるとでも思ってんのか?」

「思っていません」

元親は拍子抜けした。
構わず重成は続ける。

「しかし、敗北するつもりありません。私に出来る事は貴方に勝利する事ではない。西海の鬼を相手にどこまで自らの実力が通じるか、それだけです」

有体に言えば、時間稼ぎだ。
元親は笑い飛ばした。

「そりゃ御苦労だが、こっちはアンタらと油売ってる程暇じゃないもんでね」

独りでに炎を纏い始める碇槍。
元親は足に力を込める。

「とっとと知ってる事を吐いて貰わなきゃ、俺たちゃ怒りの矛先を失くしたままなんだよ!!」

元親が怒りを露にした。
先に攻撃を仕掛けたのは重成の方だった。
まるで標的を貫く一戸の弾丸のように。
刀に禍々しい闇を纏わせ、風を切る。
一方の元親は待っていたとばかりに迎撃した。
炎を纏った碇槍を振り翳し、重成を圧砕せんと迫りくる。


瞬間、
怒り狂う炎と、静かなる闇は衝突した。
周囲の空間を押し潰し、衝撃の波が駆ける。
今此処に、重成はもう一度演者として『表』の世界に舞い戻る。
腕を走る熱の温度を感じる。
目の前に自分を一人の猛者として相対する相手がいる。

懐かしくも忌々しい。
様々な思惑の根源にあるものは、いつになく感じたことのない『喜び』の感情だった。


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