ある凶王の兄弟の話2

□西から登る月
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「何と、そのような事が」

吉継は感嘆した。

時刻は正午の刻を回った昼下がり。依然として空は晴れず、雨が降り出しそうな雲が垂れ込めている。
夜分に雨が降った事も相まって、駕籠の中は濡れた木特有の酸い匂いが充満していた。
昼下がりだというのに、陽が隠れているせいで室内は非常に薄暗い。だからといって無駄に油を燃やす気にもなれず、吉継と、その目の前にいる家臣は暗い中で談話を続けた。

「はい。御二方は何とか帰還されたようですが…」

家臣は言葉を濁す。

「御二人とも酷い有様ですが、三成様は回復の兆しがあると聞きます。あと二、三日も安静にしておけば状態も落ち着くのではないか、と」

「…まぁ、あの三成が幾日も大人しくしているとは思えんがな。よく見て置け。三成は目を離せばすぐ消えよるからな。して、大層騒いでおるようだが、重成はどうした」

「重成様は…」

家臣は黙り込んでしまった。
吉継は首を傾げる。眼球が固定された目で、家臣を穴が開く程凝視している。比喩するまでもない。実際に吉継の眼球は、もう動かない。
家臣は俯いたままで言葉を続けた。

「全身を切り刻まれており、今朝から未だ意識が戻らないと聞き及んでおります。それも、刀で斬られた傷跡に抵抗して出来るような歪みが見られなかったようです。恐らく、何らかの拷問に掛けられていたのか、或いは自らの意思で抵抗を止めたものかと、」

「…左様か」

吉継は少し目を細めた。視線を下に移し、何か考え事をするように動かなくなる。
俯いたままで吉継は再び疑問を投げかけた。

「その傷は一体、誰から受けた傷だ。重成は誰と戦っていた」

「分かりません。その情報を知り置く御人は、恐らくあの二方だけです」

「…やれ、面倒な事になったものよの」

相も変わらず起伏の欠片もない声だった。だが吉継の感情の多くは声ではなく言葉に乗せられる。吉継が『厄介』と一言表現すれば、それは軍の頭脳を以てしても厄介な問題だ。
家臣は左手で顎を擦りながら言った。

「これを甲斐の忍に知られては、それこそ厄介事です。好機と見做され、この拠点を攻められるやもしれませぬ。此処に長居するのは危険にございます」

「そうよな、我も同意見よ」

「拠点を移動しては如何でしょうか。ここで甲斐を離れてしまっては、武田の手を借りるのは絶望的です」

「…いや、」

吉継はゆっくりと瞬きをした。

「拠点を移すなら、佐和山に帰還するのが最善であろうな」

「なっ…!」

家臣は思わず立ち上がった。
同時に捲し立てると言わんばかりに声を荒げる。

「それでは武田を東軍に渡しても良いと申されるのか!武田が東軍に回れば、我らには勝ち目が御座いませんぞ!」

「落ち着け。叫ばすとも聴こえておる」

家臣が動揺を露わにしようと、何の変わりない声色の吉継。
家臣は深く息を吸った後、短く謝罪した後に座り直した。

「拠点を甲斐の近辺に移した所で、武田が敵だとすれば、いずれ攻め込まれる事は眼に見えておろう。軍の双璧が崩れた今、攻め込まれれば数多の兵の犠牲は避けられまい。こちらの戦力が殺がれているのなら、先ずは争いを最小限に留められる道を進むのが最優先だ」

「で、ですがそれでは…」

「武田が敵でなければ、いずれまだ文でも寄越そう。兎に角今は急ぎやれ。奴等の忍は優秀故」

「……承知」

家臣が一礼するか否かの間に、馬車の表から半鐘をカンカンと打ち鳴らす音が聞こえた。

「くそ…こんな時に何だ」

家臣が独白のように声を漏らす。
これは見張りの兵が何かを見つけたサインだ。
吉継と家臣は半鐘の鳴る回数が告げる意味に耳を傾ける。ある一定の回数で半鐘が鳴り止んだ事をきっかけに、家臣が顔面を真っ青にさせ、急いで馬車を飛び降りた。
その背後で吉継も汗を握った。滲む汗の温度を感じざるを得なかった。
表へと容易に飛び出す足が動かない事が、酷く歯痒く思える。
最悪だ。
最悪のタイミングだ。

「…敵襲か…!」



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