ある凶王の兄弟の話


□鴉
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あの後から、伊達は奥州に逃げ帰ったらしい。
あんな様子では反撃をするというほうがおかしいが、国主が全身を切り刻まれる深手を受けたのであれば無理も無い。


「・・・・報告、感謝します」

奥州仕置が完了し、幾日かが過ぎた満月の夜、
豊臣は大阪城に帰還し、いつもながら慌ただしく策が練られた。
戦の後はこうなってしまうのも無理はない、それに今は殆ど天下を目の前にしていると言っても過言ではない状態なのだ。
東北の仕置が済んだ今、天下分け目の戦いは北条軍対豊臣の状況である。

前回同様、大した怪我も無かった重成は伊達の報告を伝えに来た忍にそう言った。

「先日の戦で疲れているのに申し訳ありません。ゆっくり休んで下さい」

重成の声を聞くなり、障子の向こうで跪いていた忍は一礼すると、その身を夜の暗闇に消した。

障子の向こうで忍が起こした風により、微かに重成の隣で燃えていた蝋燭の火が揺れる。
重成は座敷の中央に胡坐を掻き、月の明かりも入らない座敷で、ぼんやりと揺れる火を眺め続けた。
炎の光で、部屋と重成に怪しく影が入り、彼の虚無を宿した澄んだ瞳の中でも炎は変わらず揺らめき続ける。



「何だ、伊達を気に止めていたのか?」

虚しさに埋もれていた座敷に、明るい声が響いた。
紛れもない、この声の主は家康だ。
家康は障子を開け、重成の顔色を窺うように視線を向ける。

「・・・・また私を構いに来たのですか?」

重成はそんな家康に、隠すつもりもなく若干鬱陶しそうに目を向けた。

「ははっ鬱陶しいと顔に出ているぞ重成」

家康は立ち去るつもりも無いらしく、そのまま座敷に入ると、壁に背を任せて座り込む。

「今日はお前と酒を交わそうと思ってな、ほら、丁度いい酒が手に入ったんだ」

家康は手に酒瓶を持ち、にこやかに重成に微笑み掛ける。
だが一方で重成は全く乗り気ではない様で、家康に視線を向けるのを止め、呆れた様に俯く。

「いやぁ、折角秀吉殿が天下に近づいたというのに、皆忙しいみたいでな、共に祝う相手が居なくて困っていたんだ」

「家臣を呼べば良いでしょう。貴方と話す事はありません」

「三成にもそう言われたよ」

家康は微笑した。

「まぁそう固くならないでくれ。ワシはお前と話がしたいだけだ」

重成は俯けた顔を上げる。

怪訝そうに顔を上げた重成に、家康は酒の入った杯を差し出した。

「・・・要りません」

「酒は嫌いか?」

「私は酩酊出来ないので」

「・・・そうか」

家康は杯を床に置く。
やがて長い沈黙の中、話を切り出した。

「今回の奥州仕置、先程忍の話を聞いたが、独眼竜は生きているんだろう?」

「はい」

「重成が生かしたのか?」

何の遠慮も無く、家康は只重成に質問をする。

重成としてはその話は触れてほしくない部分だ。
豊臣に身を置きながら、敵を生かす事には罪を感じている。
罪の意識が有りながら、敵を斬れない。
反駁勢力で有りながら、敵を殺せない。

だから、自分としては忘れたい。
その話に触れられると激しい自己嫌悪に陥ってしまう。
故に、他人とそんな話をしたくない。
なのに、この人は・・・・

「・・・・・・・・・」

だが、家康相手には嘘をつく事も、虚言を垂れる事も憚れる。
重成は沈黙の後、ため息をついた。

「・・・そうなるかもしれません。独眼竜はあんな所で死ぬ人間とも思えませんでしたから」

しかしそのため息はどちらかというと、無駄に緊張した為に完全に疲れ切った、乾いた嘆息だった。
そんな重成の様子を見て、家康は少し困ったように微笑んだ。

「そんなに気に病まないでくれ。ワシはそんな重成を咎めるつもりは毛頭無い」

しかし、と、家康は腕を組むと言葉を続けた。

「あの三成と共に戦っていたのだろう?三成がそんな事許す奴とは思えないし・・・よく三成の眼を掻い潜れたなぁ」

「・・・いえ、単なる偶然が生み出した結果です」

重成の顔は家康に向けられているも、眼は家康を捉えず、虚ろであった。
依然と瞳には虚無が映り、表情は蝋燭で怪しく彩られている。

「都合良く独眼竜が気絶したので、それ以上追い詰めなかった。それだけです」

「三成はそれを知っているのか?」

「兄上は恐らく、私の放った銃で独眼竜が死んだと思っています」

重成の目は優れている。
それを知っている家康には、伊達を撃ったのは遠方であることが瞬時に理解出来た。

「・・・そうだったか」

家康は勿体ぶる様に体制を変える。
対の重成は家康に向き続けるのを止め、障子越しに月の光を眺めた。

「あのあとの三成を知っているか?」

唐突に家康が話を持ち込む。

「・・・いえ」

当然、重成はあの後、三成に遅れを取った為に、伊達の兵が退いている間に何をしていたのか知らない。
あの時は追い付こうとも思わなかった故に、豊臣の本軍にたどり着いたのは伊達全軍が完全に退いた後だ。
軍の最後尾を付いて歩いたので三成の姿も確認していない。
兄上に何かあったのか・・・?
そんな不安にも似た気分を押さえ、重成は月を仰ぐ。
家康は話を続けた。

「性懲りもなく伊達の兵士の血を浴び続けたんだ」

その言葉が意味する事は、重成は直ぐに分かった。

退く伊達の兵を容赦無く斬り続けたのだろう。
あの三成がする事だ。逃げる兵士を見ているだけの方がおかしい。

「そうですか」

重成がその事実を特に気にも留めていないのは見ただけで分かった。
勿論の事、三成が人を殺したのはこれが初めてでは無いが、重成の心はまるで乱れていない。
まるで、三成が人を殺すのは当たり前といった様な態度。

家康から言えば、それは酷く不自然だった。
兄弟の行動を、悪とも善とも評さず、只、見つめ続けているだけの、
そう、傍観者の様な態度が。

「・・・なぁ、重成」

家康が月を眺める重成を呼んだ。
そして重成が振り向く前に、言葉を続けた。

「お前は兄弟として、三成をどう見ているんだ?」

六度目の質問であった。
その質問は、余りに素朴で、余りに難しかった。

「・・・・・・」

重成は答えない。
呼びかけにも応えない。
只黙々と障子越しに月を眺めるばかりだ。

「兄弟の眼にも、三成は人殺しの殺人鬼にしか映っていないのか?」

家康は更に問いかける。
それでも重成は何も答えない。
しかし、少し目を細めた。
月の光が眩しいといった様子でも無しに、家康の質問に対し、目を細めたのだ。

やがて口を開くと、こう言った。

「私は兄上を殺人鬼とは思っていません。どれだけ人を殺めようと、人間は人間の器を超える事などあり得ない。しかし、私には兄上が哀れに見えます。まるで自分を見ている様で・・・」

重成は静かに嘲た。

「・・・・哀れ?」

三成が?

家康は鸚鵡の様に重成の言葉を繰り返した。

「・・・自分が哀れと言いたいのか?」

「・・・・・・・」

重成は再び沈黙した。
肯定も、否定もしない。
話している家康にさえ、顔を向けない。
家康から見える、炎に揺らめくその横顔は、完全に無が貼り付けられていた。

しかし、家康にはいつも彼の無表情は実に悲しんでいる様に見えた。
そんな彼を見るたびに、家康は迷宮に誘われる。
幾度話しても、何をしても、家康には重成という人間が理解できない。

話すほど、底なしの沼に足が囚われていってる様な、そんな気分になる。

重成は敵を殺さない。
重成は君主を重んじる。
ワシにも似ているのに、その本質は三成と同じ。
それが理解出来ない。
お前は一体、何を考えているんだ---------重成。

家康はそんな分からなさに引かれているのかもしれない。

「私を理解出来るのは私一人で十分です。家康様が無理に知る事でもありません」

悩む家康の姿を目の端で捉えた重成はそう言葉を綴った。








      
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