ある凶王の兄弟の話


□北条の忍
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音が激しく谺すのは、虎口の方ではなかった。
天守に最も近い位置にある堀の方角であった。
それも、櫓に控えていた兵の飛び道具が届きにくい場所の上、空は暗い。
そこに侵入した相手が足軽であろうと、松明に気紛れに照らされるだけでは、櫓から放つ低い弓の命中率はさらに低下する。

・・・いや、侵入した刺客が足軽であるはずはない。

何処の城も、虎口以外の周りは石垣で覆われている。
高く積まれた石垣を鎧を纏う足軽は音も立てずに登れる筈もなく、見張りに気付かれずに登れるとすれば、身軽な忍しかいないであろう。

・・・となれば、家康の予感は的中している。

その刺客は、確かに忍であったのだ。

「・・・!」

家康と重成は、激しい剣戟を繰り広げる場所へ進んでいた歩みを、目的地に着く前に濡縁付近で足を止めていた。

奇襲を仕掛けてきた忍に、道を阻まれていたからである。

城内を守護していた足軽をすり抜けて来たらしい、道を阻む10人程の忍を追って来る兵の姿は無い。
さらに、家康と重成は兵を従えて音のする方向に行っていた訳では無い故に、完全に二人は孤立した状態で忍に囲まれていた。

「くそ・・・まさかもうこんな所まで来ていたとはな・・・」

月は、家康と重成のいる濡縁の前にある。
故に忍達のいるであろう場所には、堀が壁となり、月の光さえ射さない。
家康は夜の闇に姿を隠し、輪郭さえ曖昧な刺客を睨み付ける。
忍は何も喋らず、只二人に忍者刀を晒し、忍特有の構えで隙を伺う。
そんな中、重成はしっかりと相手を見据えている。
視覚の優れる重成にとって、闇に蠢く影を捉える事はそう難しい事では無いのだろう。

「・・・・・・」

重成は忍の構える中で、徐々に姿勢を低くしながら彼らが何処の忍であるのかを見極めていた。
しかし、重成が様子を伺う必要も無く、忍達には何処の手の者かを瞬時に理解させる家紋が刻まれていた。

それは、現時点豊臣と天下を二分している、北条家の家紋。

「・・・・・・」

太刀の笄を握りながら親指を立てて鍔を押し、刀身を見え隠れさせる。
闇夜に紛れる忍達を睨みつけながら言う。

「家康様、此処は私にお任せを。先を急ぎ、天守を守っていただけませんか?」

-----そう、
恐らく、この忍達の狙いは家康だ。
元々は此処、大阪城の城主であり、豊臣軍の総大将である豊臣秀吉を暗殺にでも来た様だが、今忍が目の前にしているのは標的の小姓、そして配属関係にある徳川軍の総大将である。
豊臣にとって小姓を失うのも打撃はあるだろうが、配属下の大将が討たれるのは明らかに小姓が討たれる以上の大打撃になる。

配属下にある以上家康にしても大将を失う訳にはいかないのは同じだ。
だが、重成にとっては、家康に怪我をされても困る。

「何を言っている、重成」

重成の思惑は、たった一言で一蹴された。
可笑しい。こんなに家康様は理解に乏しい御方だったか。忍の標的が自分な事位、察している筈なのに。
重成が半分呆れ返った時、家康は言葉を続けた。

「ワシはお前を置いて逃げるなんて真似は出来ない。確かに秀吉殿の身も危うき時であろうが、だからと言って目の前の絆を断ち切ってはいけない」

「・・・・・・」

その言葉は、重成の耳には『君主と小姓を同じ秤に掛けている』としか取れなかった。
何がどうなればそう言った発想に行き着くのか、毛ほども理解出来ない。
理解出来ないだけではない、己の君主を貶された様な気がして殺意さえ湧き掛ける。
だが、そこは重成だ。感情に押されても表面には全く心中を滲ませない。

重成は忍への警戒を緩めないままで必要以上に力の籠った肩の力を抜き、大きく嘆息にも似た深呼吸をした。

「言いたい事は後に言わせて頂きます。ですが、少しは御身の重大さも理解して下さい。後々に被害を被るのは己の家臣だけではないのです」

「そう消極的に捉えるな重成 。ワシはお前を死なすつもりも、死ぬつもりもない。それに秀吉殿には三成がいるだろう。そう心配する事は無いさ」

そうは言われても、忍に道を阻まれているこの現状。
三成が居ようとも居なかろうと、君主の元に行けない事実は変わらない事は明白だ。
先を急ぐのであれば一点突破の手段があるが、生憎奇襲を仕掛けてきた忍に城内をあまりうろつかせる訳にも行かない。
下手に城内を案内して、利点はこちら側に存在しない。
人間を斬らない重成にとって、取るべき道は二つ。
速やかに刺客を退散させるか、ここで戦闘不能にさせるか、

「一人で戦うよりは二人で戦った方が事は速く終わる筈だ。こんな所で行き詰っている訳に行かないのはお前だって同じだろう、重成」

「否定はしません。が、同時に肯定も出来ませんね」

重成は姿勢を低く構えたまま柄に右手を添え始める。
対の家康は両の手を強く握り締めている。

その瞬間、四人余りの忍が二人に飛び掛かる。
ある者は刀、ある者は手裏剣、ある者は飛苦無、忍び鎌を携え、襲い来る。
暗闇に姿を隠したまま、曖昧な輪郭線が蠢く。
飛び道具を持った忍は、飛び掛かると同時に苦無やら手裏剣を投げつけていた。
特に視覚が優れている訳でも無い家康でも、飛び来る物が月の光に照らされ、金属光沢がある事を見分ける事が出来たらしい。
反応は少し遅れたものの、音も出さず、闇に隠れる忍が飛び込んできた事に気付く事ができた。
二人は焦燥を微塵も感じさせない動作で、四人の体重を乗せた攻撃を、互いに横跳びで躱す。
家康は左方向に、
重成は右方向に、
絶つべき相手を見失った忍の刀や飛び道具は、かつて二人が立っていた縁台や柱に深く突き刺さる。

「見えたぞ!」

闇に隠れていた忍が月明かりの下に現れた事で、家康にも彼らの輪郭をハッキリと捉える事が出来た。
敵を捉えた家康は体制を整えると同時に刀を持った忍の横腹に左拳で打撃を加えた。

「・・・・っ!!」

家康の一撃は実に重い物であった。
聴いている人間でさえ痛みを共有してしまうような音が響く。
拳が食い込み、骨さえも砕く、鈍くて重い音。
夜の静けさはその音を一層引き立てる。
重い打撃を受けた忍は、声も出ない程に衝撃を受けたらしく、大きく後方に吹っ飛び、残りの三人の内、二人の忍を巻き込んで倒れ伏した。
家康の拳を食らった忍は勿論の事、巻き込まれた忍も気を失ってしまっていた。
二人に飛び込んだ中で一人残された忍は驚愕して、目を見開いたまま家康と倒れた同胞を何度も見直していた。
家康が瞬時に起こした事柄が上手く頭の中で整理出来ずに混乱しているらしい。
それもその筈、一気に形成が逆転してしまった状況だ。
下忍に突然理解出来る訳もない。

「忘れて頂いては、困りものです」

忍の注意が完全に家康に集中していた時、まるで己の場所を示したように声を上げたのは重成だった。

「!」

忍がその声に反応して振り向いた時には、もう遅かった。

そこには瞳を澄んだ琥珀色に輝かせ、今にも降ろさんと、太刀を振り上げる重成が居た。


「ひっ---------!」


忍が悲鳴を上げる間も虚しく、彼の振り下ろした鞘も抜かれていない太刀の石突金物は、忍の首根に直撃した。
当然、突然首周辺に当身を受けた忍はその場に力無く倒れ、意識を失ってしまった。

そんな忍を意に介す事も無く、まるで血振りをするように重成は刀を振るった。
恐らく、癖の一環だ。

「家康様、少しは手を抜いては如何でしょう。一人相手にやり過ぎです」

「いや、手を抜いて相手をするのは敵方にも失礼だろうと思ってな」

家康はおどける様に振る舞った。

「大丈夫、死にはしないさ。ワシも人を殺めようとは思っていない。それはお前も同じだろう重成」

「・・・えぇ、なるべくは、ですが」

そう会話を繰り広げながら、二人はまだ忍が残っている光の差し込まない庭園を前に意識を向ける。
その中の一人二人が恐れに足を竦ませているのか、砂利が摺れて音を出しているのが聞こえる。
・・・いや、一気に四人を捻じ伏せられ、臆さない方がおかしい。
臆さないとすれば、腕に自信のある者のみ。
しかし、相手は下忍である。そう腕に自信のある者が揃った格とも言い難い。

「このまま太閤の場所へ向かうというなら私が阻みます。勝算の無い者は直ちに小田原へお戻り下さい」

重成は、刀を構えたまま自身を睨み付けている忍達に言う。
その口調は至極落ち着いており、脅迫も悲哀も何も籠らない。
だが、気の無い声と言うには、確立され過ぎだ声だった。

説得力のような物が籠る重成の言葉に、下忍達も硬直せざるを得なくなった。
上の命令もあってか忍達にも引けない理由はあるらしく、重成の言葉で固まる者は居ようと、背を向ける者は誰一人居ない。
忍という集団は元来、プライドが高く、暗殺業を生業とし、手足を失おうとも任務は絶対、命乞いをするなら自害を選ぶような連中ばかりだ。
忍がそういった集団であることは重成も重々承知の上だ。
彼らの矜持を踏み躙るのは本望では無いが、自分も小姓の身である故に妥協は許されない。
自分の君主の命を狙う者達を黙って見過ごす小姓など存在しない。

「・・・・逃げる気は無さそうだな」

「そうですね」

「どうする重成。全員を相手している暇は無いぞ。こんな所で足止めをされたままでは向こうの堀が危うくなるやもしれん」

「分かっていますよ。急く気持ちも共感いたします。しかし彼らがここで退く気が無いのは事実です」

「ならば・・・・やはり皆の相手を・・・」

「その必要はありません」

家康が怪訝そうに重成に目をやる。
しかし重成は当たり前のように言葉を続けた。
不敵な、貼り付けたような笑みを浮かべながら----

「退く気が無いなら、退くように仕向けるだけです」

退かせる。
退きたいと、思わせる。
それは即ち『恐怖』を植え付ける事を意味した。

だが家康がその意味を理解する前に、今度は全員の忍が二人に飛び掛かった。

「!」

考えていた最中、驚いて足を竦ませたのは家康で、
身体を俊敏に動かし、臨戦状態に入ったのは重成だった。

「邪魔です」

重成は忍を鋭く睨み付けたまま居合の態勢を取る。
刀身を藤色に輝かせた刀を引き抜いたかと思えば瞬時に柄に戻した。

家康は、この動きには見覚えがあった。
それは彼の兄弟の固有技。
その動作のあとの刹那の静けさは、前方に空間を切り刻む、居合の嵐の前兆。

家康が考えを巡らせている間も短く、時も立たずに忍の目の前で居合の嵐が巻き起こる。

「!!」

急に勢いを殺せる筈も無く、居合の嵐に巻き込まれた忍達は後方に吹っ飛ぶ。
砂利や堀の壁に強く身体をぶつけた忍達に、重成は惜しげも無く更に追い打ちを掛ける。
瞬間移動のような動きで一人の忍との距離を詰め、ホルスターから取り出した銃を忍の烏兎(うと)に押し当てた。
それも、引き抜くと同時に回転させる事で撃鉄の倒された、既に発砲が可能な状態の銃である。

「まっ・・・待て!!」

烏兎に銃を突き付けられた忍は情けない声を上げた。
だが、重成は引金を握りしめたその手を緩める事は無かった。

「命乞いは聞きたくありません」

表情に笑みの一つも貼り付けずに、震える事も無い手付きの上、まるで当たり前であるかのような動きで重成は引金を引く。

耳を劈く轟音が夜に響いた。
森の悪戯で、轟音が何度も木霊する。

忍は後ろに倒れて仰臥する形になり、そのまま動かなくなってしまった。
重成は煙を吹く銃口を携え、その様を見ていた忍達を睨み付ける。
目の前で同胞を倒した重成に、射止まれるような視線を受けた忍達は、皆身を竦ませる。
その中には既に戦意を失い、気息奄々と慟哭を堪える者も居た。

「まだ戦意の残存されている方は私が粛清いたしましょう。手荒な真似は気が引けますが、致し方ございません」

死を覚悟なさい。
部が悪い人間を相手にした、自分を憎みなさい。

彼から漏れたのは、強い口調。
重成は未だに煙を吹く銃を回転させ、再度撃鉄を倒し、構える。

「・・・・!」

一人の忍が、情けない背格好で堀の向こうに姿を消した。
それを始まりとして、その場に居る倒れた者以外の忍は、堀の奥に姿を消した。
流石に忍なだけあって、退くときの動作も実に疾風迅速であった。

完全に忍の気配が消えた事を把握した重成は、左手に持ったその銃を羽織の仲のホルスターに仕舞った。

「・・・本当に・・・殺してしまったのか・・・?重成・・・」

重成の背後で、怖々声を掛ける家康。
彼が人を殺めるなど、家康には信じがたい事らしい、憂き目を浮かべ、重成を見詰める。
視線を受けた重成は、ゆっくりと家康に向き直る。

「なら、教えて差し上げよう」

そう言うなり、羽織に仕舞った筈の銃を引き抜き、その銃口を家康に向ける。

「!」

そうか、お前も三成の兄弟だな。
『簡単な事』を、やってしまう人間。
お前は違うと思っていたのに、残念だ。










再度空気を震撼させた轟音に、カラスが飛び立つ。








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