ある凶王の兄弟の話


□翅翼
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空を轟く銃音。
重成が発砲した事を理解するには、十分な音だった。

家康は、目を閉じる暇(いとま)すら与えられなかった。
その目は開いたままで、驚愕と少しの絶望を貼り付けている。
信頼を置く人間が、突然自分に向かって発砲したのだ。
それは当然、突然起こって理解出来る事柄ではない。
それも、家康は自分に発砲した人間が、かつて『人を殺さない』と言っていた事を知っている。
そのような人間が何故・・・?


「家康様」


黄泉に飛びかけていた家康の思案を現実に引き戻したのは重成の声だった。
家康の目の前には依然、己に煙を吹いた銃口を向けたままの重成が居た。
どうやら発砲されたのは夢ではないらしい。
しかし、重成はその銃口を降ろすと、至極冷静な口調で言葉を発した。


「空砲ですよ。実弾は込めていません」


家康は沈黙することしか出来なかった。
空砲。
それが何か、家康は知っている。
実弾を含まない、音だけの脅し。または相手を傷付けずに銃の形状を利用して脅しを掛ける事である。
それを使って 重成は先程撃った忍を殺めたのではなく、気絶させたのか。
並大抵の人間であれば、眉間に銃を押し付けられ、発砲されては気を失ってしまうのは当たり前だ。

一瞬底まで落ちた彼への信頼が蘇った。
無駄に強張っていた全身から力を抜くと、自分を安堵させるように笑った。


「何だ・・・一瞬本当に死を覚悟したぞ」


人を斬る斬られるこの乱世、そんな羸弱なものを使う者など居ない。
だからこそ、家康は余計に驚いてしまったのかもしれない。
家康は人を殺傷しない重成が、引金を引くだけで人に致命傷を与えてしまう銃を持っている事を不思議に感じていた。

そうか、
銃には、そのような使い方もあったのか。
凶器は必ず人を傷つけ心を蝕む物。
ワシは偏見に囚われていたようだ。

実際、戦場で実弾しか込もっていない銃だけを見てきた家康にとっては、無理も無い事だった。


「何処に同盟相手の総大将を討つ小姓がいるのです。こんなくだらない事を本気にしないで下さい。」


まぁ、空砲でも撃ちはしましたがね。
重成は視線を反らしてそう付け足すと、くるくると銃身を回し、ホルスターに仕舞った。
家康はそんな 重成を他所に、疑問を口にした。


「なら重成。お前はいつもその銃に実弾は入れていないのか?」

「いえ、」


即答だった。
重成は首を横に振る。


「気紛れで外しただけです。無理に発砲して秀吉様の城を傷付ける訳にも行きませんからね」


人を殺傷しない彼が、何故戦場で銃を使うのか、
空砲であれば、その道理は理解出来る。
だが、実弾を込めた銃は、相手を傷付けない為には過ぎた武器。
一体、何の為に...?


「やはり、 重成も人を殺める為に、その銃を・・・」


暫くの沈黙が二人を覆ったが、やがて言いにくそうに重成が答える。


「・・・この銃は罪を重ねる為の物ではありません。凶器と言えど、相手を傷付けない為の使い方はあります。 ・・・が、これで 人を殺めてしまったのは一度だけあります」


重成は空を仰ぐ。


「家康様も御存知の筈です。私が兄上と『同じ』であった事位」


確かに、家康は知っている。
聞いた事がある。
その昔、彼らは名の知れた小姓だった事を。
君主に絶対忠実でありながら、その表面は鬼の様に容赦なく、血も涙も無い兄弟。
三成は分かる。
だが 重成はどうだ、面と会ってみれば人を殺さないと嘯いている。
噂と矛盾した 重成には大きな違和感を覚えていたのだが、次第に彼を見ているうちに、兄弟である三成と同一視されただけの風評に過ぎないと思っていた。
だが、彼から発せられたのは『同じであった』と言う、明らかに噂と一致する言葉。
つまり・・・


「・・・・・・」


喉まで出掛かった言葉を押し込める。
きっと、重成は質問をした所で答えてくれないだろう。
しかし、仮にそれが事実だとすれば何故重成は人を殺めるのを止めたんだ?

取り留めも無い疑問が何度も浮かび上がる。


「無意味な対談をしても何も始まりません。そんな事より今は敵襲があった堀へ急ぎましょう」


確か、前にもこんな事があった。
肝心な事を聞こうとすると、彼はいつも話を反らしてしまう。
その理由は彼の顔を見ても、態度を見ても仕草を見ても、直ぐに分かる。

彼はこの話を酷く拒んでいる。
酷く、忘れようとしている。

それが自分に唯一理解出来る重成の真実。

家康には、そんな気がした。
何故だかは分からない。
何故そう断言が出来てしまうのかは分からない。
自分を嫌い、自分の全てを偽っている彼だ、もしかすると、その表情も態度も仕草も、全て欺瞞かもしれない。
どれが嘘で、どれが彼なのか、
知ろうとすると、目的地の無い迷路のような物に囚われてしまう。
だが、現時点でどれが偽りか、なんて分からなくていい。
彼が『人間』である事を忘れない人であれば、嘘も欺瞞も、剥がれるだろう。
自分は、それを知っている。
それだけは断言出来る。
断言出来る根拠がある。
かの甲斐の虎が、示してくれたのだ。

「あ・・・あぁ、そうだな」


家康は疑問と思考を他所に向き直る。
そこで、時が止まったような錯覚が起こる。
家康と重成は、そこで思わず愕然としてしまった。
二人は気付いたのだ。
今そうなった訳ではなく、二人が目の前の敵に夢中で、意識しないが故に気付かなかった事。
気付けば、とても不自然な事。


「音が・・・無い・・・?」


そう、忍達を迎え撃つ前までは、あんなに騒々しかった方角が静まり返っていたのである。
物音一つしない、異様なまでの夜の静けさ。
それは二人に、決して良くない予感を彷彿とさせた。


「行こう、重成。一転してこの静けさはおかしい。必ず何かあるぞ」

「既知しております」


そう言うなり、二人は、一度進む事を躊躇った足を再び音のしていたであろう方角に進める。








しかし、そこにあったのは『絶望』だった。




   
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