ある凶王の兄弟の話


□山崎の戦
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「主は行かぬのか?重成よ」

背後から吉継の低い声が聞こえる。
特徴の多いその声から彼が吉継であると読んだ重成は、振り向きもせずに答えた。

「…私が行かずとも、兄上と家康様は御強い」

重成は人が争う荒野をぼんやり眺めている。
血肉が舞い、武器が交差し、人が人を蹂躙する戦場を。

「…左様か」

重成はその戦を傍観してるだけではなく、戦場を監視していた。
戦場はいつ形勢が傾いてもおかしくはない。明智軍の首を狙う第三勢力が飛び込んで来ないとも限らない
彼は三成、家康、そして豊臣軍が危機に陥った時の穴埋めだ。
同時に敵部隊長に不穏な動きがないか、隠れた明智の『頭』が何処に居るのかを見張っていた。
吉継は恐らく、此方の立ち回りを理解した上だ。

「此度の戦もあの双璧がいる限り楽よの」

「当然、豊臣は常勝の軍だ。敗北など有り得ない」

独白にも似た言葉に対しては、重成は視線も向けず、即答で素早く応えた。
それだけ勝利を確信している。
いや、彼でなくとも、この戦いの勝敗は目に見えている。
吉継はふと、重成と共に眺めていた場を視野から外し、重成を舐める様に眺める。
当然重成はそんな視線を気にする余力も無く、監視に集中している。

「主は、三成と似て非なる者よな」

「……」

「兄弟とは、誠不思議な縁よ。主が早う影武者とでも自白すれば、腑に落ちるのだがのう、他言せぬから、我にだけ真実を明かしてはくれぬか」

吉継は眼を細め、不気味な引き笑いをする。
呆れたように嘆息しながら、重成は吉継を横目で見る。

「刑部。今更何だ。お前の望む真実など無いし、兄上にも私にも影武者は必要ない。小姓を何だと思っている」

「やれ、冗談よジョウダン。ヒヒヒ…」

吉継は笑う。嗤う。
重成を莫迦にするように大仰に笑う。
吉継には、誰に対してもこのような有様だ。
上辺だけ見れば、狂人のそれと大差はない。
だが吉継は決して狂人ではない。身体を病む傍らで、心まで病ませてしまっただけだ。重成はそれを知っているからこそ、吉継の言葉に対して無駄に激昂したり、感情を昂らせたりはしないのだ。

最も、昂るような『感情』があればの話だが

重成は肩を竦めると、と崖の下に視線を戻した。

戦場は死体に塗れ、まるで舞うように敵を斬り続けている三成の姿が目に入る。
明智軍が劣勢なのは一目瞭然だ。
だが、これだけ一方的な蹂躙のような戦が続いているという事は、まだ明智軍の武将、明智光秀から降伏の知らせがなく、討たれてもいないということだろう。
敵軍の阿鼻叫喚など後目に監視を続ける重成。

「…奴だ」

重成の目が森の中で蠢く影を捉えた。
重成は姿を見失わぬ内に崖から飛び出し、目にも止まらぬ速さで一気に坂を駆け下りる。
敵軍には目もくれず、迅速な速さで戦場を横断したかと思うと彼にしか捉われていない影が向かったと思われる茂みへと姿を消した。

「やれ、重成の速きは三成と同じよの」

一人戦場を眺める吉継は怪しく数珠を閃かせながら呟いた。

「主に、武運を」
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