ある凶王の兄弟の話


□血塗れた距離
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「…ハハハッ」

動揺を見抜かれ、隠すに隠せなくなった家康は、自分の不甲斐なさに失笑する。

「全く、お前にも三成にも…上部の繕いは通じないな」

家康は右手を眉間に当て、困ったように笑う。
そして一息置くと、真剣そうな面持ちで言った。

「重成。お前は気付いていたかは分からんが、ワシは重成が明智の将を見つけ出し、逃がした事を知っている 」

「………」

あの時、木陰で重成を観察していた者の正体は家康だった。

重成の細い目が少し見開く。
そして、逃げるように家康から目を逸らした。
その時、重成の脳裏で第六感の警告の正体が明らかになる。

あぁ、そうか、
私の脳裏に引っかかっていたのはこれか、
明智を獲らなかった事でも逃がした事でもない。
一部始終を目撃される事だったのか。

「家康様…貴方は…」

重成は消え入りそうな声で言葉を紡いだ。

「安心してくれ。このことは秀吉殿にも半兵衛殿にも言っていない」

家康が 重成を宥めるように言う。

「…何故、私を責めないのですか」

「え…?」

俯く重成が小さく言葉を紡ぐ。

「とんでもない、何故重成を責める必要がある」

家康は重成を覗き込むように視線を合わせようとする。
重成が言ったことが心底理解できないといった様子だ。

そんな事は頭を捻らなくても分かるだろう。
確かに重成は徳川軍の小姓ではない。たとえ徳川軍の総大将が、所属している豊臣軍の従属関係下にあろうと、志同じくして戦う同志として、別軍の失敗を指摘することは然るべき責務の筈だ。

「ただ、一つ感じた事があるんだ」

空に思いを馳せながら家康が言う。
重成は家康の視線が空に向いた事を確認すると、ゆっくりと顔を持ち上げ、家康の横顔を見た。

「あの時ワシは、重成の行動に感銘を感じたんだ。お前の自覚する通り、敵を逃がすのは豊臣の人間としても、相対する軍としてもあってはならないだろう。なのに…それを悪行と見ないワシがいる」

「…は…?」

思わず素っ頓狂な声を上げた事に対し、反射的に頭を下げる。
如何なる罰も謗りも受けるつもりだった。
だがまさか、感銘を受けられるとは思ってもいなかった。

「…その通り、これは悪行です」

「いや違う。敵であれ人を生かすのは、悪行ではない筈だ」

違う。
家康が思っている程美しい理由で生かしたのではない。
だが、そこまで相手に説明するのは気が憚れた。

家康様は、
兄上とは考え方がまるで違う。
行動に感じる事も何もかも。
共に豊臣に尽くす身でありながら、なんと対照的な二人なのだろう。

重成は再び外の風景を眺める。依然として情景を見つめる瞳の奥には虚が映る。
小さな入道雲が太陽の光を遮った。

「…家康様は、何故槍を捨て、兜を脱いだのですか」

意外な質問だったのか、家康は小さく疑問の声をあげると 重成に目を向けた。

「それは…」

「…豊臣の考えとは違う、『自分の考え』があったからではないでしょうか」

「…」

家康は何も答えない。肯定も否定もせず、沈黙で重成の話に答えた。

「それと、此度の徳川軍の動向に対して疑問に思った事があります」

重成は自身に向けられている家康の視線に応える。
互いの視線が交差する。

「何故此度の戦に本多忠勝を使わなかったのでしょう」

沈黙が二人を覆う。
雲に太陽が遮られ、辺りが薄暗くなったように感じる。

「……」

家康は何も答えない。
答えられない様子たっだ。
見るからに、忘れていたという事ではなく、なにか本多忠勝を使わなかった理由があるようだ。
だが、それだけではない。

「…何故だろうか、考えもしなかった」

俯く家康の視線。

「その理由がワシには分からない」

「本多忠勝を使う相手でもないと判断されたのですか」

「いや、違う」

家康は首を横に振る。

「ならば、本多忠勝は戦に出たくないと自らの意思表示をしたのですか?」

「いや…忠勝はワシの指示を待っていただけだ」

頑なに首を横に振り続ける

「では、家康様は敵軍を傷つけたくなかったのでは」

「……」

家康が首の動きを止め、否定をやめた。
それは、家康が曖昧に浮かべる理由に最も近い答えであったことを意味した。

「…」

重成は眼を細め、雲に隠れた太陽を見据える。
何かを悟った様子で、その顔は冷たく無が貼り付けていられようと、何処か穏やかだった。

「家康様はお優しい」

優しさと甘さは紙一重だ。
しかしあえて重成は家康を優しいと評した。
だが、彼は自分が明智を逃してしまった事を先程家康に言った『優しさ』とは思っていない。
彼が明智を逃がした行為は敵を目の前にして逃がしてしまうという『甘さ』なのだ。

「…重成。お前は本当に、何処までも三成とは違うなぁ」

家康は擡げていた頭を上げると、苦笑紛れにそう言った。

やっと隠れていた太陽が姿を現す。

だが逆に重成の心には、先程家康が言った事をきっかけに、暗雲が立ち込める。

太陽の光が落ちた重成の顔に深い影が落ちた。


     
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