ある凶王の兄弟の話


□鴉
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「・・・・・・」

沈黙が部屋を覆った。

家康は言葉に詰まっているようだ、視線が下を向き、そのまま泳いでしまっている。
しかし、暫くすると考え込むのを止め、困った様に愛想笑いをした。

「フフッ・・・孤独なんだな、重成」

その笑いは重成を嘲笑うというよりも、同情する、といったような笑いだった。

「しかし、聞こえてこないか?部外の声が」

「部外・・・?」

「そう、例えば・・--------」

家康はそこで少し言葉を置いた。

「カラスとか、」

重成は言葉を疑った。
月を眺めていた重成の双眼が横目でありながらも家康に注がれる。
尚も家康は言葉を続けた。

「カラスはワシらを良く見透かしている。そう思うんだ」

「・・・何の妄言でしょうか」

重成は疑りの眼を向ける。
だが、そんな重成とは逆とでも言うように家康は笑った。

「いやいや、妄言なんかじゃない、お前には聞こえないのか?カラスの声が」

カラスの声。
一瞬、何かの比喩かと思ったが、家康の態度を見るからにそうとは思えなかった。

だが、残念ながら重成には心当たりが全くない。
当たり前だ。物理的にカラスが話すなどありえない。
有り得る筈もない。

死肉を求めるカラスが兄弟に集る様は何度も見たことがある。
だが、重成は鴉に集われた事など、ここ最近全く無いのだ。
なんせ、彼は今、人を殺める事を良しとしない。
故に『決断』を固めてからは血を浴びた事も無く、無論カラスに集われた事が無い上に、戦を始めた当初から戦場に集まるカラスを意識した事も無い。

「・・・残念ながら、」

どう捻ってもカラスと話す事の意味が分からない重成にとって、そう返すのが精一杯であった。

家康は共感を強く求めていた訳でも無いらしく、半分、「当たり前だろうな」とでも言いたげな表情を浮かべていた。
重成はそこでやっと顔を家康に向けた。
虚無を映すその双眼に、家康の姿が重なる。

「・・・そうか、重成にはまだ聞こえていないのか」

家康は尚も言葉を続けた。

「いや実はな、ワシも一度しか話したことが無いんだ。戦でワシが死にかけた時、一羽のカラスがやってきてな。初めはワシが死ぬのを待っているのかと思ったが、暫くしたら、頭の中で声が響いたんだ」

家康は嘘を吐くような人間ではない。
だからこそ家康がこんな話をするのは実に可笑しい。
こんな、現実味の無い話・・・・
重成の思いとは裏腹に、家康言う。

「『お前はここで終わるのか』と・・・」

「・・・・・・」

「お前が信じてくれるかは分からんが、あのカラスの言葉で再び立ち上がる事が出来た事も事実だ」

「・・・信じます。貴方の仰る事なら星が降ろうと信じましょう」

重成は感情の籠らない声でそう言った。

「それにカラスの話、知らなかった訳でもありません」

「え?」

重成の思わぬ言葉に、家康は素っ頓狂な声を上げた。

「家康様と同じ心持なのかは分かりませんが、兄上もよくカラスを見ているんです。

「・・・・そう、だったのか」

「貴方と兄上はそこが良く似ている。どうしてあんなにも仲が悪いのか、」

・・・いや、
重成は三成が家康を嫌う訳を知っている。
だが、あえて家康にはそう言ったのだ。
自分の余計な失言で彼らの距離を更に伸ばしてはいけない。

「確かにそうだな。何故ワシはあんなにも三成に拒まれているのか、」

家康は照れたように後頭部を掻きながら笑った。

「ワシは只、二人と和解したいだけなんだがなぁ」

「和解?」

「そう、和解だ。言うなれば絆を結びたいだけだ」

そう、それだ。
私と兄上が嫌う物。
毛嫌う物。
そして、兄上が信じる物と対極の立場にある言葉。

重成は少し顔を曇らせた。

「絆、ですか」

堂々とこんな事を言われれば、兄上はどんな顔をするだろうか。

頭の端でそんな事を考えていた時、自分が「絆」と口にしたことを切っ掛けにか、思い出したくもない記憶が重成の頭の中で沸々と舞い戻った。
それは、『繋がり』を踏み躙られた、最も忘れたい、記憶。


きつく縛られた麻縄。

動かない四肢。

鉄臭い、自分の血で紅く染まった地面。

薄れる意識の中垣間見える、兄弟が虐げられる鈍い音。

頭上で嗤う、人々の声。

「・・・・・・」

「どうした?重成」

自然と顔の曇りも増していたらしい。
記憶に迷っていた意識を現実に戻せば、不思議そうに顔を覗き込む家康が目に入った。

「・・・何でもありません」

家康の真っ直ぐな視線から逃げるように、重成は顔を背けた。
しかし、それは意図的な物では無かった。
重成の意思とは乖離した、無意識の内の行動。

重成は、家康の繋がりの主張には慣れたつもりだった。
三成のように露骨に嫌な顔もせずに笑える自信があった。
それは家康の繋がりの力が、三成の信じる物に劣ると思えないからの行動であった。
その昔、復讐を考えなかった心中の答えが、家康の信じる物の中にある。
重成の胸の内には、そう信じる自分の姿があった。
そんな自分がありながらも三成と同じ業を背負う重成には、双方の気持ちは良く分かる。

・・・分かっていはいるが・・・


「家康様の気持ちは分かりますが、繋がりなど、上辺だけで十分です。深すぎる繋がりは時に足を引く枷になります」

「確かにその通りだ」

信じる繋がりを半、否定されておきながらも家康は怒らなかった。
それどころか、甘んじて重成の言葉を受け止めている。

「ワシは皆が信じる物全てが正しい事ばかりだとは思わない。光があれば影があるように、長所の裏には短所がある」

「それだけ分かっておきながらも、貴方はそれを信じるのですか?」

「あぁ、この言葉に偽りは無い」

「・・・・成程」

言葉を交わしながら、重成は薄く凶悪な笑みを浮かべる。
しかし、それは何処までも乾ききった、本当に薄い笑みだった。

「・・・?」

家康がその笑みに気付き、声を掛けようとした刹那であった。

「重成様!!」

障子の向こうから誰かの声が劈いた。
ガシャガシャと鎧を鳴らす音が共にした故、障子の向こうで影を落としているのは恐らく足軽だろう。

しかし、鎧を着た足軽・・・もとい、門番か何かをしていた者が態々こんな所に来るのは只事ではない。
それを裏付けるように、足軽の過度な呼吸音が聞こえる。

「どうしたんですか?」

重成の問いに、足軽は呼吸を整える事も無く言葉を綴った。

「夜襲です!北条の使いが城主を討ちに来ました!」

重成が驚く間もなく、足軽は続ける。

「家康様や三成様にも伝令は行く頃かと!早々に迎撃の準備をお願いします!!」

どうやら足軽は家康が此処にいる事を知らないようだ。
家康が独断で来たのだ。知っている方がおかしい。

「承知しました。それまで敵の進行を妨げておいて下さい」

「はっ!!」

息も絶え絶え、足軽は遠慮もナシに床を踏み鳴らし、次第に大仰な足音は消えた。

「さて、戯言の時間は終わりです。行きましょうか」

やけに落ち着いた動きで重成は刀を取り、刀を杖にして立ち上がる。
重成は戦を前に焦らない。
その調子は彼がどれだけ戦慣れしているかを物語る。
足軽の話を静かに聞いていた家康は、立ち上がると同時に眉間に深い皺を寄せた。

「使いとなれば恐らく忍だ。」

遠くでは騒ぎが聞こえる。
夜に不似合いな豊臣軍の怒号やら、刀の鍔迫り合いの音が聞こえる。
先程二人が話していた静かな空気は微塵も残っていない。
不意を突く夜襲はすぐに空気を一変させる。
当たり前と言えば、当たり前だ。

家康は険しい表情のまま、障子を開け放った。
障子に遮られていた月の光が一気に差し込み、奥で控える重成にも怪しく光が差し込んだ。
彼の琥珀色の瞳が、淡くも夜の色を帯びた光を浴びて瑠璃色に変わる。

「一刻を争う前に行こう!重成!」

「御意」

家康を先頭に、二人は騒ぎの声がする方向へと走り去った。













残された部屋には、二人の通り過ぎた風で消えた蝋燭が、薄く煙を吹いていた。








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