ある凶王の兄弟の話


□小田原評定
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天正18年、11月。
空は曇天で、厚い雲が太陽の陽気を完全に感じさせない。
今にも雨が降りだしそうな色の上、時折雷が響いている。

北条から刺客が送られ、幾日が過ぎた大阪城。
あれから徳川軍は、秀吉の命令で、豊臣分隊と共に兵を差し向けたらしい。
その相手は勿論、北条だ。
相手の応答次第では、豊臣の本軍を出すことにもなりうる、まさに一触即発の事態。
奇襲を仕掛けられては、そうなるのも仕方の無い事だ。
そう、仕方が無いのだ。
兵の差し向けを命じられた家康は、そう解釈することしか出来なかった。
今の所は兵を差し向けて力の格差を見せ付け、徳川、豊臣の本隊双方は大阪城で差し向けた兵の知らせを待っている状態だ。
力の差を見せ付けるとは、属に小さな戦を起こすようなもの。


しかし、その裏には徳川軍しか知り得ない動きがあった。
本当に北条と争う訳ではない。
それは家康の独断の判断だ。
家康に下されたのは、他でもない、敵軍に対する恐喝。
数で相手を圧倒し、降伏を促すようにすることだ。
しかし家康は和解を兵に頼み込んだ。
争いたくないのは、きっと北条の人間も同じはずだ。
そう信じての、独断の行動だった。


「報告致します」


俊敏に影を落とすのは、徳川の紋を、纏いし衣に刻んだ忍。


「幾度申さんと、北条の者に動きは見られないとの情報」

「・・・そうか、ご苦労だった」


家康は縁側で風を嗜んでいた。
しかし、その表情は風に癒されていると言うには酷く硬直した物だった。
明らかに無理に作った表情を忍に向けている。
家康の偽らない瞳には、疲労、焦燥、不安の感情が幾重にも重なり、一目見ただけでも彼が悩んでいるのは歴然としている。
それでも表情は笑顔をなぞり、忍を見る。
だが忍は家康の眼を見ない。
忍が表を上げるのは目上の者から許可が下りた時のみだ。


「引き続き北条殿の様子を探ってくれ。いつ何の返事があるか、分からないからな。動きがあれば迅速に対応するよう、他者にも伝えてくれないか」

「御意にございます」


一層、忍が額ずく。


「よし、下がってくれ」

「はっ」


忍は乾いた葉を数枚撒き散らし、姿を消した。
その後に、家康は深く嘆息した。
自覚は無い、無意識の嘆息。
人が疲れていると感じている時によくある現象だ。

数日前に見た、三成の惨殺の様。
今北条の者が下す答えが豊臣に服従することでなければ、またあのような光景を目の当たりにする事になるのだろうか。
・・・いや、家康が恐れているのは三成の惨殺する様でも死体を目の当たりにする事でもない。
死体は今まで嫌という程見てきた。

家康が恐れるのは他でもない、恐怖に慄く兵を見る事なのだ。

力により人が服従されるというのは、どうにも昔から気にそぐわない。

「弱き者を強き者に育てなければ、この国は変わらない」

脳裏に焼き付いた、秀吉の言葉。
これまで家康はその言葉を信じ、誰もが救われる泰平になると信じてきた。
だが、実際はどうだ?
あのような様を見ても太閤は何も言わなければ、豊臣の兵さえあの無残な様に慣れてしまっている。
何故誰も何も言わない。
敵を斬る事は否定しない。
それは戦国である限り仕方のない事だ
だか何故慄いて戦意のない者まで斬りつける必要がある。
あの時三成が討った忍の中にも命乞いをした者が居た筈だ。
あのように人を斬り続けた先に---

本当に泰平は存在するのか?

豊臣が望む天下と自分が望む天下は果たして同じなのか?



従属という関係にありながら、望む物が同じなのか、
そんな当たり前の事さえ、家康には分からなくなってきていた。
此度、自らの兵に独断の行動を取る様に仕向けたのは、保険でもあった。
本当に豊臣と自分の考えが違うのか、
それを今回の評定で白黒ハッキリさせるのだ。


「・・・・・・」


この胸の憂慮が、曇天のせいであれば良いのにな。
家康は知らず知らずにそう思っていた。

澱んだ空から吹く気味の悪い風が家康を撫で、霧雨が降り掛かる。
家康の特徴的な後ろに逸れた髪は、風に乗じて薄く揺れた。




         
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