ある凶王の兄弟の話


□策謀
1ページ/3ページ




三成は既に小田原城の前に居た。
勿論、彼以外の豊臣兵の姿は無い。
正真正銘単騎で、一人堂々と虎口の前で北条を待ち構えていた。
側に天君の姿は無い。
随分前に乗り捨てたらしい。

身の丈以上もある大きな虎口を前に、三成は城を見据える。
眼前には一人、北条の兵の姿があった。
一人である所からして、恐らく彼は小田原城の門番であろう。
足軽と相違ない恰好をしている上に、手には長槍が握られている。

一人警備をしている様子であっだが、門番は三成の姿を確認するなり分かりやすい程顔色を変えた。
彼は三成を知っているらしく、目が合うと同時に驚愕し、大仰に身震いをしていたのが伺える。
それでも門番は、情けなくはあるが必死に三成に相対しようと声を張り上げる。

「き・・・貴殿は石田三成っ!!?何故此処に・・・この小田原城に何用だ!」

門番の足軽は三成に長槍を向けた。
しかし既に長槍の切っ先は音を出して震えている。
それもその筈、彼が目の前にしているのは、豊臣の左腕として勇名を馳せる石田三成だ。
名も知れぬ者がそのような猛者を目の前にして、戦慄(わなな)かない方がおかしい。
勿論、三成が長槍を向けられただけで怯む訳もなく、只眉間に刻まれた皺を一層深いものにしただけだった。

「北条は何処に居る」

言葉には憤怒が紛れていた。
彼は長話が好きではない上に刃を向けられ、敵意を露わにされても動じない程温厚ではない。
彼にとって、刀を向ける事は宣戦布告を意味する。
だが、相手は上辺でも降伏を示した北条だ。
流石の三成でも、そのような相手を斬ればまた厄介な事になるのは分かっていた。
右手こそは柄にかかってはいないものの、鯉口を切らして放たれる殺意は宛ら鬼の形相を象る。
蛇に睨まれた蛙のように、門番は動けない。
三成の髪から覗く双眼が、彼の動きを完全に封じてしまっているのだ。
構えた矛先は音を出して震える。
乗じるように、足までもがまるで痙攣しているかの如く震えていた。
見た通り、門番は三成を直視することで精一杯である。

「私の元へ連れてこい」

「ひっ・・・・!!」

対峙する門番を恐喝した訳でもない。
しかし、三成が放つ殺意はもっと本能的な、根源的な恐怖を煽った。
一人、門番は体を戦慄させ、まるで逃げるようにそそくさと城へ駆ける。
完全に背中を向け、逃げる体制、と言っても過言ではない。
其れ程までに、背中を向けて逃げたくなるような空気を三成が纏っていたのか、或いは門番の気の互いか、
これが気の互いであれば、どれ程門番にとって有り難き事であろうか。

「ほ・・・北条様ー!」

虎口の奥で、先程逃げた門番の情けない声が聞こえてきた。
三成の言うとおり、門番は城主を虎口にて三成に会わせるつもりらしい。
とは言っても、要望しているのは最も城で重要とされる北条の城主だ。
呼ばれて簡単に出てくるような者でもない。

多少の暇に三成が耳を澄ませば、様々な言葉が不協和音となって聴こえた。

「豊臣の左腕、石田三成だ!」

「北条様は既に降伏文を送ったのでは無かったのか!?」

「何用でこの小田原城に・・・!?」

幾らでも言葉の数々は耳を突いた。
城の窓から此方を伺っているのであろうか、虎口は伽藍堂であるのに城内からは三成を見張っているとでも言いたげな声が上げられていた。
しかし、己が噂等、三成の脳裏には届かない。
届くはずもない。

その時、声ではない『音』が三成の耳を震わせた。

地を駆ける音。

それも、並外れた速さで、虎口を前にする三成の後方から響いた。
確実に足軽ではない。
三成は、この足運びの音には、聞き覚えがある。
酷く、自分と類似した足取りで、駆けてくる。
三成は脚が速い。
そんな自分に良く似た速度で走る他人など、一人しかいない。

「遅いぞ、弥三」

砂利を蹴り続けるその影は、三成の隣で止まった。
そう、駆けていたのは他でもない、重成だった。
彼は天君を襲撃された場所から、小田原へと自力でやってきたのだ。
無論、三成でさえ常人を逸した脚力で走るのだ、兄弟に同じ真似が出来ない根拠は無い。
多少息は上がっているが、重成はあくまでも平静を装う。

「申し訳ありません。しかしながら、これでも全力を賭して駆けてきたつもりなのですが」

当たり前だ。
重成は小田原に向けて走る前、忍に足止めを被っている。
どれほど足止めされたのか、先に進んだ三成が知る訳がない。
気が短い彼からすれば、どれだけ重成が足止めをされていようと遅いと感じれば遅いのである。

「して、これはどのような状況でしょう」

重成はすぐに息を整え三成に問う。
幾多の争いを乗り越えただけあって、疲労も重ならないらしい。
平静を装っていた態度が、平静に変わる。
しかし、重成の声は三成に届かない。
三成の耳殻は、また別の事で立錐の余地も無かった。

「また一人来たぞ!」

「あれは・・・石田重成!?」

「石田重成だと・・・!?何奴だ」

「石田三成とよく似ている風貌だ」

「違う!あいつは人斬りだ!あの人斬りに間違いない!」

北条の兵は重成を一目見るなり、様々な持論が飛び交い、混乱を始める。
三成の耳殻を占領していたのは、その持論を唱える声だった。
すぐ隣で問われた質問さえ届かない程、脳裏にも余裕は無かった。

重成を知らない者。
重成を既知する者。
重成を人斬りと言い張る者。
業を共にした三成は、その全ての訳を知る唯一の人間だった。
だが、個々に違う持論が三成を複雑な気分にさせた。
持論の行く末を知る優越感でもなく、兄弟を好きに言う怒りでもなく、評判による悲しみでもなく、事実が蘇る憎悪でもなく、重成の表情を伺う緊張でもない。
心情倫理では表す事の出来ない感情の数々が巡る。

「如何された」

視線をふと左に向ければ、訝しげにこちらを見ている重成が居た。
瞳は澄んでいるのに、その奥には何も映していない。

その瞳の色合いは、部外の声など眼中に無い事を物語っていた。
三成は、重成の事で心情を迷路に囚われていた。
しかし、当の本人は感情に流される前に、話を聞いてすらいない。
それを知った時、三成は己が何に悩んでいるのか莫迦莫迦しくなった。

感情の理解を放棄し、再び視線を虎口に戻す。
もはや重成の見解の声も、己の罵倒雑言も耳に届かない。

「貴様は黙っていろ」

「承知」

重成は深追いをしない。
三成に言われた通りに、虎口を眺め始める。
北条の栄光門と言われるだけあって、実に分厚い門だ。

数刻すれば、固く閉ざされた門は鈍い音を上げ、ゆっくりと開門した。








      
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ