ある凶王の兄弟の話


□分かれゆく思案
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曇天の空から響く青年の声。
皆が動きを止め、呆けた視線が空を射せば、立葵の箱から青い火を出し、空を舞う忠勝の姿があった。
鈍色に輝く武骨な彼の背には、一際小さな人影が乗っている。
忠勝に比べてしまえば実に小さな人影だった。

人影は忠勝が地に着く前に彼の背から飛び降り、小田原の大地を踏み締める。
三成と重成、そして小太郎、兵士の間に割って入るような形で、人影は降り立った。
人影が乗っていた忠勝は、三成達の後方に、その巨体を下ろした。

忠勝の背から見た姿は自然に忠勝と比較してしまい、実に小さく見えた背格好であったが、地に下り立ち、凛と佇むその姿は思っても見ない程勇猛で猛々しかった。

「お・・・おぬしは・・・徳川家康・・・!」

氏政が驚きに体を震わせた。
円に三つ葵が刻まれた鬱金染めの短蘭羽織が風に揺れ、歩む彼の背を大きく見せる。
眼前の兵と氏政を見据えているのは、他でもない家康だった。

降り立った家康の瞳には憤怒が満ちていた。

「降伏文を頂いたというのに、一体これはどういう事だ?」

家康は氏政に問う。
氏政の眼は露骨に泳いだ。誰がどう考えても言い逃れの出来る状況ではない。
それは北条の兵の誰もが理解していた様子だった。彼等は突如現れた家康に対しても槍を向けた。
兵が覚悟の上だという事を、家康は視線から感じ取る。
だからこそ、向けられた矛先にも動じずに眼前の氏政を睨み付けた。
三成や重成が理由もなく人間を斬るような者ではない事は知っている。
あらゆる可能性を講じても、氏政が二人を攻撃しようとしていた時点で不和が起きていたのは明白なのだ。

三成と重成は凍り付いていた。
勿論驚愕の為ではない。
重成が家康を見ていると、彼はある事に気が付いた。

「・・・貴方ともあろう方が、単騎で何を挙行致しに来た」

凛とした家康の背中に、重成は問いかける。
事実戦場で単騎のまま行動する家康を、重成と三成は見たことがなかった。
それは敵であれ同じらしい。
常に前線を駆ける三成は小姓の中でも特別であったが、家康のような大将が前線に出るなど、他からすれば異質な光景だった。
大将は小姓と違い、命を失えば自軍が滅ぶという、幾人もの命を背負って生きている。
普通であらば、兵や家臣が、命を賭して守るべき身分の人間だ。
しかし、軍の要とも言える大将が、今北条の前に降り立っている。
徳川軍を滅ぼす好機の筈であるが、氏政は家康が現れた事に対し、そのように考える事が出来なかった。
堂々とする立ち姿故に、そう考える事も憚れるのであろう。

重成の率直な疑問に、家康は応える。

「・・・」

それは、言葉では無かった。

家康は重成に振り向いたかと思えば、微笑んで見せたのだ。
それは仲間に向けて放たれる、自身に満ちた笑みだった。
重成はその表情を見るなり、細い目を少し丸くした。
微笑みである筈の表情から、気迫を感じたのだ。
家康の心の底からの、気迫だった。

「ぐぬぬぬ・・・若僧が・・・この北条を嘗めおって・・・!」

氏政には、その行動は自分を嘗めているとしか思えなかったらしい。
顔に元来ある皺を更に深く刻み、相対する三人を睨み付けた。
待ったと言わんばかりに栄光槍を振り上げ、三人にその矛先を向けたと思えば、声を荒げた。

「皆の者!かかれーい!!」

家康の登場で凍り付いた兵の動きは、また活動を始めた。
再び前を向いた家康の背中は、何も動じなかった。

襲い掛かる兵を前に、三成は柄に力を籠め、そのまま抜刀しようと試みる。
阻んだのは、重成だった。
家紋が刻まれた三成の刀の頭(かしら)を、重成は押さえ込んだ。
邪魔をするなと言わんばかりに、三成の容赦ない視線が重成を貫く。
しかし、重成は臆さない。三成の視線に応えるだけだった。
紫水晶を帯びた銀髪の特徴ある髪から覗く金糸雀色(かなりあいろ)の瞳と、霞色を帯びた髪から垣間見える琥珀色の瞳が重なる。

「家康様に手出しをしてはなりません」

「貴様のように、只傍観しろと言うのか」

重成は首を縦に傾けた。
三成が重成の行動に反駁する間も惜しく、重成は柄の頭から手を放した。

「・・・・・」

自由になった三成の刀。
しかし、三成の刀を引き抜く掌は、固く凍りついた。
重成の言う事に背く理由は無かった。
己が行おうとした挙行を、家康が代理すると考えれば、柄を握る右手も自然と緩んだ。
力の籠った手を刀から離し、低姿勢を持ち上げる。
三成は重成の言う通り、傍観する事にしたのだ。

三成が傍観を始めた少し前から、既に戦闘は始まっていた。
兵に石田兄弟を攻撃させる合間も与えない位、家康は忙しく動いていた。
敵兵の槍を圧し折り、刀で寄り来る敵は篭手で受け止め、あるいは流し、攻撃範疇に入った敵を次々と薙ぎ倒してゆく。
素手でありながら、武器を持つ相手と互角、或いはそれ以上の力で、家康は渡り合っていた。
一頻り手慣れた動きで家康との間合いを詰める風があった。
小太郎だ。
家康も小太郎の風に迎撃してみせた。

巻き起こる風圧は、戦を更に激しい物にした。







   
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