ある凶王の兄弟の話


□幸か不幸か
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既に日は西に傾いていた。



同日、日は西の六ツ半、またの名を酉の刻。

空から降りた太陽の明るみの無い光は、木々の茂みに遮られていた。
代わりと言わんばかりに、月がうっすらと空にそびえているが、依然周りは代赭(たいしゃ)を帯びている。
だが、周囲は漸く夜のわびしさを迎えようとしていた。



重成は、大阪城、そしてその城下までを望める高い丘に一人立っていた。
正刻、家臣に言った通り彼は一人家康の詮索の為、大阪城を出て来たのだ。
勿論、傍には三成はおろか、足軽の姿も無い。
正真正銘の、一人。
孤立。
言い替えれば単騎。
今の彼を形容する言葉は沢山健在した。

風はそんな重成の霞色の髪を幾度も撫でる。


「.........」


重成には、風に揺られる髪を気に掛ける暇など無かった。
既に彼は、遥か広大な大地に蠢く軍があるのかどうか、詮索を始めていたのだ。
小高い丘なだけあって、眼下で疎らに農作業に勤しむ農民さえ一寸の大きさにも満たなかった。
しかし、 重成にはそれで十分だった。
顔さえ確認出来ない先でも、人一人の姿が確認出来ればそれで良かった。
軍は行動するだけでも、多大な人数を動かす事になる。
城下さえ望める高みでも、不自然な集いを見つけられれば、既にそれは家康を見つけた事と同じ事になるのだ。


「・・・・・・・・」


重成はひたすらに人影を探し続ける。
家康を探し続ける。
だが、目的は家康であるのに、一寸にも満たぬ人姿の行動は嫌に目に入ってしまう。
詮索に関係の無いものが、意思を占領する。
集いを成しているが、僅かに確認出来る衣は余りに粗末なもの故に、彼等は集落の人間であることは判別は出来た。

槍を持った豊臣兵。
土嚢を運ぶ、集落の老人や子供。
労働力のある人間は、全て献上される故に、集落の中には年老いた人間か、年増もない子供、病に侵された人間しか居ないのだ。
ロクに働き手が存在しない中でも、労働はしなくてはならない。
勿論、強制されるのは先程上げた人間の中のどれか。


「・・・・・・・」


重成から確認出来る中では、土嚢の重さに耐えかねた老人が豊臣兵に槍を向けられていた。
立て。
実際には草木の擦れる音しか聞こえないが、豊臣兵が槍を突き付ける老人にそう言っているのが分かった。
老人は腰を抜かしていて、立とうとしても立てないといった様子。
耐えかねた兵は槍を振り上げる。
隣にいた別の老人は、槍を向けられている老人を庇う。
庇った老人は兵に土下座をしながら許しを乞いている。
兵の振り上げた槍はそのまま動きを止める。
いつ振り下ろされるかも分からない。
豊臣兵は二人の老人に向かって怒鳴っている。
声は何一つ聴こえないが、分かる。


「・・・・・・・」


思えば、その光景に気を取られていた。
動く物を目で追ってしまう本能的な物なのか、
理由はどうあれ、当初の目的を不覚ながら見失っている。
自覚すると共に眼を背け、また人影探しを始めた。

やはり、いくら見渡しても徳川軍らしき兵の動きは何一つ見られなかった。
大阪からは遠く離れた場所へ行こうと、戦力で彼等は既に使い物にならない。
それでも 重成は家康の面影を探し続けた。
自分を受け入れた今だからこそ、曖昧にも理解出来る。
家康に会えば、きっと自分の何かがどうにかなる。
実に曖昧そのものであるが、 重成はそう信じていた。
具体的な物は未だに分からないが、家康に会えば変わることは分かった。
故に探し続けた。
例え豊臣軍が既に彼等を必要としていなかろうと、
大阪城から上る松明の炎が確認出来ようと、
人影が徐々に増す暗がりに隠れようと、諦めずに探した。





没頭している内に日は益々陰り、辺りはすっかり藍色に包まれ、月は太陽の代わりと言わんばかりに煌々と照っていた。
空に昇るは満月、十五夜。
夜であるのに月の光を浴びる重成の背後には影が聳(そび)えていた。
原因となる月は直視さえ阻まれる位に眩しい。
夜の闇に月の光は、丘から望む景色を怪しく彩っていた。

それは重成にすれば、酷く好都合な事だった。
夜でも、ある程度の探索が可能な為である。
しかし、やはり夜は遠くの景色を遮った。


「・・・・・・」


嘆息。

遠くが見えないのは探索に当たって支障がある。
いくら近くが見えようと、視野が狭ければその分掛ける時間も長くなってしまう。
相手が火を使っていない限り、夜の探索で利点は無かった。

今日は、此処までにしましょうか。

そう思い、少し足元の砂利を蹴った。
杖にしていた刀を左手の内に戻す。
丘の下に向いていた顔を上げ、空を仰ぐ。
瞠目を続けていた眼にとっては、果ての見えない空は目を向けるだけで安らぎを得られた。

意識が探索という檻から解放され、注意が散漫になった時、







実に分かりやすい気配が己を囲んでいる事に気付いた。







殺気。

感じた気配を示す言葉は、それだけで事足りた。
背後に意識を向ければ、実に純粋な殺意が己に向けられていた。

一つの事に集中すると、必ず周りが少し疎かになる。
少なくとも、鈍ってしまう。
音でもすれば分かるものの、気配には気付けなくなる。
悪い癖だった。

・・・いや、
恐らくその殺意は、探索を続けていた時から放たれていたものでは無いだろう。
たとえ気配にしても、殺意という気配は分かりやす過ぎる。
別の事に集中していた重成にでも、感受しやすい体質故に直ぐに分かる筈。

なれば、今向けられている殺意は、重成が気を緩め、空を仰いだ時と当時に、故意に擬されたものに違いない。
違いないも何も、実質にその通りだった。




重成は再び嘆息した。
向けられる殺意の数から、かなりの多勢が背後に居る事が伺えた。
弓を引く、木が軋む音。
幽かに耳を衝いたのは、そんな音。
振り向いた時だった。
恐らく、どれ程の腕利きにも躱せなかった一閃であろう。






重成の胸部に、凄まじい衝撃が走る。









     
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