ある凶王の兄弟の話


□亀裂感慨(上)
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言葉が出ない。
幾度家康の発した言葉を頭で咀嚼しようと、納得出来る答えなど導ける筈も無かった。

それほどに、今の言葉は唐突過ぎた。

君主を否定され、真実を目前とさせられた暁に勧奨?一体何を考えている。
分からない。
思惑が理解出来ない。
出来る筈もない。

家康が冗談を言っているようには思えなかった。第一、家康はこんな時に冗談を言うような人間ではない。
元来から、家康は冗談や嘘と無縁の人間なのだ。
それは考えずとも大前提の事。

立ち尽くす重成に、家康は言った。

「ワシは全ての人間の意思を尊重していたい。そう思うんだ」

家康は両の拳を音が出るまで握りしめた。
その音は、 重成の耳に嫌という程貼り付いた。

「重成。そんなワシから見ればお前は酷く哀れだ。お前が人斬りを望んでいない事は知っている」

「違います・・・」

「望んでもいない事を、進んでやっているのだろう?」

「 ・・・ 」

足が竦む。
再び奈落に石が落ちる。
崖の下から固い物がぶつかり合う無粋な音。
すぐ真下は崖にも近い、丘の下。
気にかける余地等無かった。

---聞きたくない。
そんな話、聞きたくない。

左手に刀を持ったまま、両の手で耳を塞いだ。
眼は、伏せようにも伏せられなかった。
家康の眼差しが、眼を背ける事を許さない。
見開いた瞳のまま、家康から目を逸らせないでいた。

「お前は自分が不幸だと感じたことは無いのか? 重成には、三成のような残忍さも、その冷酷さも無い。本当は無理に刀を握っているのではないか?」

「・・・違います・・・」

聞こえる
耳を塞いでも、月明かりに照らされる家康の唇から、読唇出来てしまった。
それも周囲が静寂なせいで完全に家康の声を遮断出来ない。
耳を塞いでいても、微かに家康の声が聞こえた。
その言葉が脳裏を撹乱させる。
いつもの冷静な判断が出来なくなる。

何故こんなにも私は撹乱している?
相手は、暇があれば話をしていた家康様だ。
只、言葉を交わしていただけの軽薄な仲だ。
今までに、彼と話をしていてこんな事は無かった。
なのに、どうして今は、こんなにも家康様の言葉が心に行き届いてしまうのだ。

「重成。ワシはお前と同じだった。意思があるにも関わらず、周りに付和してばかりで、誰かが正しいと思っていた」

煩い。
五月蝿い。
五月蠅い。
聞きたくない。
分からないのか。
聞きたくないと言っているだろう。
やめろ。
やめてくれ。
『私』が壊れてしまう。
壊すな。
この壊れた心に触れるな。

「今見たのではないか?労働を強いられる民を。お前はあれが正しいと思うのか?これが日ノ本のあるべき姿だと、思うのか?」

「・・・・・・」

「ワシは思わない。だからこそ、この日ノ本を変えたい」

「・・・・・・」

「お前はどうだ重成」

「・・・・っ・・」

「本当に奥底から、これが正しいと思うのか」


「黙れ!!」


重成は怒鳴った。
耳を塞いだまま、怒鳴った。
彼らしからぬ色声で、怒鳴った。
共に目を伏せる。
上半身を伏せる。
その身体は震えているようにも見えた。

「重成・・・」

家康は名を呼ぶが、依然重成は顔を上げない。
彼の左手から、刀が零れ落ちた。
勿論、重力で刀は地面に落下する。
だが重成は、落ちた刀を気にする素振りさえ見せない。

重成は唸っていた。
霞色の髪を揺らし、それを家康に向けたままで唸っていた。
表情は下を向いている故に家康からは確認できない。
只、形の無い何かに魘(うな)されている。
形の無い何かに、苦しんでいる。
怯えている。
家康にはそのように見えた。

やがて、その頭を上げる。
ゆっくりと擡げた顔を家康に向ける。

「!」

驚いたのは周囲に居た兵だった。
彼等は重成の眼を見て、戦慄した。
彼等が見た重成の表情。

それは茫然自失を具現化したような、忘我な表情。
眼は、依然見開かれている。
その表情が物語る情緒の数々は、とてつもなく分かりやすい物だった。
無我、虚脱、抜け殻、無気力、徒労、虚無、憔悴、悄然、そして、孤影。
もう一つ、
怪しく光を放つ 重成の双眼。


彼の瞳は紅く染まっていた。


淡く光を放ちながら、その双眸は家康を見据える。
双眸から放たれる感情は、家康にも理解出来た。
重成が眼を伏せる前は、毛程も感じられなかった感情。

殺意。

純粋無垢なる、無謬(むびゅう)の殺意。
表情が無我故に、その瞳が放つ殺意は更に恐ろしいと感じられた。
それは家康に向けられた物でしかないのだが、周囲に控えていた兵は大仰に、まるで化け物を目前としているかのように慄いた。
それ程までに、重成は常軌を逸していた。
三成と同じ・・・いや、下手をすればそれ以上の殺意。
かつて、彼が『三成と同じ』と言った事が十分に理解出来る。

しかし、家康は一切怯まなかった。
家康は揺るがない。
無垢な殺意に睨まれようと、体一つ揺るがせる事は無かった。
視線に応える。
常人であらば直視出来ない殺意を、家康は見詰め続けた。

「それがお前の答えか」

家康は目を細める。
重成は耳を塞いでいた手を降ろすと、酷く低い声で言う。

「貴方に何が分かる・・・半可通のつもりか」

「半可通なんかじゃない。これは・・・---」

「この私に、同情するのか?」

家康は何も言わない。
言葉に詰まっている事は一目瞭然だった。
言おうとした言葉が重成の言った言葉の類義語だったのだろう。
聞こえが良いか、悪いか。
それだけの違いであって、意味に変わりは無い。
家康の様子を見て、重成は自嘲気味に笑った。
乾いた声だった。

「生憎ですが・・・私は謀反を起こす人間と同情する人間が・・・」

重成の身体がゆっくりと斜を帯びる。

刹那。

重成が刀を拾う。
強引に抜刀し、その鞘を打ち捨てる。
彼らしからぬ、実に荒々しい手振りだった。
その行動に家康が気付いたとき既に彼は家康に飛び掛り、刀を振り上げていた。

「大ッ嫌いなんですよ!!」




一閃、
家康の頭上に、刀が落ちた。










      
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