ある凶王の兄弟の話


□(下)
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重成は家康の顔面を狙って刀を振るう。
その斬撃を家康は片手で止める。
彼の片腕には、衝撃が走る。
が、そのような衝撃では家康は怯まない。
数々の痛みを受け止めてきたその両手は、簡単には怯まないのだ。


「重成。お前が超えるべき壁ならば、ワシはこの先へ進まなければならない!」

再び、刀が振るわれる。
刀を篭手が止める。
家康の頭巾は激しい動きの為に既に脱げてしまっていた。
被り直す必要も無い為か、家康は元に戻すような真似はしなかった。
家康の篭手は二つ。
両の手に、一つずつだ。
片手で受け止められては、自由なもう片方の手が襲い掛かってくる。
それに対し、重成の武器は刀一つ。
刀を防がれては、残る物は甲冑を付けていない左手と隙だらけの胴だ。
刀を防がれた物なら避けるより他に方法は無い。

襲い来る拳を避けるように、後方に飛ぶ。
間合いを取った重成を家康が追う。
地を一蹴りするだけで、家康は一気に間合いを詰めてしまった。
彼が繰り出したのは掬い上げる様な、下からの殴打だ。
重成は再び地面を蹴る。
今度は後方に引いたのではない。
上空へと、跳躍したのだ。


「戯言(たわごと)は場を考えて申されよ!」


重成の刀が淡く、藤色に輝く。
彼はその刀を、強く振るった。
刀を纏っていた藤色の光は、刀身を離れると更に光を増し、家康に襲い掛かった。
家康は斬撃を流す。
襲い来る藤色の光を避けるように体を回転させ、そのまま攻撃の態勢を取る。
今度は逃げない。
即座に空で迎撃の体制を取る。
重成の放った光の斬撃が地面に着くと同時に、家康の拳と重成の刀は交わった。
激しい金属音と火花。
そして、高々と舞い上がる砂埃。
砂埃が収まった頃にも、二人はしのぎを削り合っていた。
何度も立ち上る金属音と火花。
刀を振るい、幾度も家康に斬り掛かる重成。
容赦なく自身を貫こうとする刀を篭手で防御し続ける家康。
夜には不似合いな、実に激しい音だった。

やがて篭手の刀の動きは交じり合ったまま、二人の力に衝撃を相殺される。
睨み合う。
紅い瞳と、紅鬱金の瞳。


「・・・躊躇が捨てきれていませんよ。私と対峙するつもりなら、殺すつもりで掛かって御出でなさい・・・躊躇も、情けも、容赦も、今この瞬間に何も必要ありません。半端な覚悟で敵を前にすることは敵方に対する侮辱です」

「違う!何故お前はそこまで思えてしまうんだ。ワシは重成との関係を全て背負ってお前の前に立つ。全てを受け入れた上で、重成を前にしている!」

「理解出来ません。過去を背負って何になる。それは足を引く枷だと、貴方は同じ事を何度私に言わせる御積もりだ」

「枷となっても構わない、ワシは請け負う。お前と過ごした過去も、お前と敵対する罪も、全て背負って生きて行く!」

「つまらない罪悪感に自ら囚われる事は臆病者の証拠です」


火花は飛び散る。
二人に降り掛かる。


「私は違います。例え貴方とどんな関係を築いていようと君主の敵は私の敵です。立ち塞がる障壁を打ち砕く事こそ我が生業。私という人間存在の意味です!」

「それでは駄目だ!ワシは重成 を良く知っている!重成も、ワシを良く知っている!結んだ絆を断ち切る事をお前は望んでいるのか!?」

「私がこれを望んでいようと、いなかろうと、貴方には何も関係無い!」


重成は篭手を弾き、隙だらけになった家康の胴に向かって刀を薙いだ。
もう片方の篭手で、家康が防ぐ。
余りの衝撃に家康の顔が歪む。


「重成!何故お前はそうやって意思を押し殺すんだ!望まぬ事を受け入れ続けた先に有る物は無意な人格だ!お前にはそうなって欲しくない!」

「驕るな!当方の道行きを決める権利は貴方には皆無だ!」


態と力を抜き、篭手を流す。
家康が正面から拳を繰り出すが、重成はそれを伏せて避けた。

重成には、既に家康の言葉は戯言として心に響く事は無かった。
自分に嘘を吐いて固めた『意思』は、どこまでも家康を否定していた。

私に必要な物は君主の命令と許可だけだ。
それさえあれば、生きて行ける。

どれだけ非道な事を命令されようと、それは彼にとって喜びでしか無かった。
必要とされなかった己に、生きる意味を与えてくれた人間の存在は余りにも大きい物なのだ。

重成は伏せて地に手を着くと同時に地を蹴り、瞬間移動のような素早い動きで家康の背後に回り込んだ。
そのまま低姿勢を持ち上げると共に家康の咽喉目掛けて下からの婆娑斬りを仕掛けた。


「!」


刹那、
驚いたのは家康では無かった。
斬りつけた、重成の方だった。

家康は 重成が回り込んだというのに、一切振り返らなかったのだ。

重成は、自身が背後に回る事に家康自身気付いていた事を知っている。
自分を眼で追っていた。
重成が 構えている事も、家康は分かっている筈だった。
彼の両の拳も、 重成が流したままで静止していた。
故に狙った首は明らかに無防備だった。
反撃を仕掛けている手筈も感じられない。
そのまま婆娑斬りを続けておけば確実に家康を討つ事が出来ていただろう。

なのに重成は、その刃を止めてしまった。

余りにも無防備な為、首を斬りつける事を躊躇ってしまったのだ。
寸での所で、刀が止まる。
結果、その刃渡りは家康の首の薄皮一枚切り裂いた。
重成は、家康を殺すつもりで刀を振るっていた。
そんな刀を突然無理に止めたのだ。止め切れた方がおかしかった。
家康の頸部から微量の血が流れる。


「・・・・何故抵抗をやめたのですか・・・総大将ともあろう者がこのような場で死を甘受すると言うのですか」


重成の角度から、家康の表情は伺えなかった。
月が、目の前に聳える。
太陽宛らの光に、重成は目を細める。


「・・・ワシはこうすればお前の刀が止まるのだと、知っている。だがら抵抗をやめた。それだけだ」

「確信出来る根拠も無い、物当てに過ぎない。只それだけの為に命を擲(なげう)ったのですか」


家康は首を横に振った。
彼の顔が重成に向けられる。
家康は、その顔に不敵な笑みを浮かべていた。
一線に笑顔は重成に向けられていた。
重成は家康が笑みを浮かべている事を確認すると、紅い目を見開かせた。
重成が驚く合間に、家康は言った。
何の歪みも無く、言葉を発した。


「ワシは、お前を『信じた』だけだ」






       
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