ある凶王の兄弟の話


□非なる似た兄弟
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かつて、同じ人間が居た。
当てもなく獣道を徘徊し、自分の居場所を探す者。
今の重成を表すなら、それが一番正しいであろう。
しかし、 違った。
居場所もなく徘徊する素振りを見せようと、彼には居場所があった。
君主が居た。
今となってその事実は幸せな事なのか、不幸な事なのかさえ分からなくなっていた。
だが、居る事に何ら変わりはない。
その身に誓った忠誠も、揺らぐ事はない。
だが君主の元へ早く戻ろうという意思があろうと、足が動かなかった。
疲労の為では無い。
然程疲れてもいないのに、足が動かなかった。
精神だ。足を動かそうと命令をする精神が疲れている。
倦怠感。
あのような激情に襲われたのは、生まれて初めてだった。まるで胸の中をぐるぐると掻き回され、私という自我そのものを揺らがせんとするかのような。
そしてそれを拒もうと、身の中に眠る何かを引きずり出した感覚。その反動だとでも言うのだろうか。
一歩、二歩、三歩。
遅くても、着実に足は進んでいた。
何処に?
君主の居る大阪城である。

縋り付くような思いだった。
何処と無く溢れる喪失感の中、自分には居場所があるんだと証明したかった。
無意味な事をしていた。
歩数を数える、呼吸を数える、鳥の声を数える、風の間隔を数える、銃が音を立てる数を数える、甲冑が擦れる音を数える、草が靡く様を数える、物音を数える。
重成 に『何もしない』事は出来なかった。
常に何かをしていないと自我が保たないのだ。
それは小姓としての意思によるもの。
仕える身として、何もしない事は罪業深い事。
何も考えない事は、大罪。
そういった鎖で己を繋いでいたからこそ、何かをしなければ生きて行けないのだ。
それは明らかに己で設けた鎖。
何かしなければならないから、歩いている。
何か考えなければならないから、数を数えている。
無心になろうとも、一心に考える。








城を出る時に走った道程は、彷徨いながら歩けば二日の時間を要した。
日が陰り、また昇り初め、気がつけば一眠もせずに歩いていた。
途方も無い事を考えている内に、時を忘れていたのだ。それは彼に、休む事さえも忘れさせた。
辺りが白み始め、次の朝日を迎えていた。

時を忘れると、同時に感覚も鈍ってしまうらしい。
あんなに遠くと感じていた大阪城は、目前にあった。
目の前には、大阪城の虎口が聳えている。
大阪城は守りが固い。
あの北条の栄光門の前にいた門番は一人であったが、大阪城の虎口は左右に四人ずつで計八人だ。
八人の視野は四方八方をしっかりと見張っていた。
そんな門番が重成に気が付かない訳もなく、 重成が虎口の前に姿を表して時が経たない内に、すぐに門番の一人が彼の存在に気がついた。
一人が声を上げれば、全員が気付く。

「 重成様っ!!?如何ようにされた!三成様が酷く心配なされておいででしたぞ!」

「・・・そうですか」

目立った外傷も、傷も無かった。
派手な汚れも無い重成の外見だけは大阪城から出る前と言っても過言では無かった。
只、少々窶れた様子ではあっただろう。
精神は嫌という程上下し、大きく傷付いた。
だが兵に、そのような彼の内心までもを見透せる者は誰一人として居なかった。
万人に解るほど重成は外見に感情を剥き出しにはしない。長所であり、短所だ。

「家康殿の行方は如何でしたか?」

目を逸らしたのち、重成は首を横に振った。

「すみません、得たものは何一つ・・・」

「そうでござったか・・・貴方様に見つからぬものが、我々に見つかりましょうか。さぁ、遥々歩かれて疲れたのではなかろうか。門を潜り、ゆっくりと休んで下され」

虎口を指した門番は何も疑わなかった。
それもその筈、重成と門番の間には埋めようのない身分の差がある。
そう簡単に、位の高い者の言葉を疑えない。
疑える訳もない。
第一、ここで重成が見付けたと答えていても同じだろう。
会っていようと会っていなかろうと、証拠も持たないまま帰還した事実は変わらない。

「弥三!」

門番達は地を轟くその声に酷く驚く。
正面の虎口の奥。
緩い階段のその先に、いつの間にか藤色の反れた羽織を着た金糸雀色の瞳を持った影がいた。
三成だった。
まるでずっとそこに居たかのような佇まいだった。
彼はそれだけの事を感じさせるような威圧感にも似た空気を放っていた。

「起きていたんですか」

現時刻は日も昇り初めて、まだ時も経たない早朝だった。
白んできたとはいえまだ随分と薄暗く、道の双方を厚い壁に囲まれた大阪城の道にはまだ日の光も射さない程低い位置に太陽はあった。
故に重成からは三成の金糸雀色の瞳は確認出来ても他は影に隠れ、表情を伺う事は出来なかった。
三成は歩む。
重成に向かって、歩む。
三成が近付いて来る毎に徐々に彼の表情が浮き彫りになってゆく。

睨んでいた。
三成は何とも形容し難い眼光で 重成を睨んでいた。
未だに暗さの残る道を、三成は歩む。
先程門番が言った事とは、大分違った様子だった。
・・・いや、
恐らく、門番が言ったことは重成に気を使う為の嘘であろう。
事実を言えば重成が傷付くとでも思っていたのだろう。
初めから重成にはそれが分かっていた。
三成が己を心配等、天地が裂けてもあるわけがない。
長く離れていて、三成が抱く感情は一つ。

それが分かっていても、重成はここで逃げ出すような無様な人間ではない。
近付いてくる三成を前に、彼を見詰めるばかりだった。
やがて三成は右手で重成の羽織を掴んだ。
門番が総員で小さく声を上げた。
二人を仲裁しようと門番から投げかけられた言葉さえ、三成の耳には届かなかった。
三成はそのまま強引に、重成の顔をたぐり寄せる。
睨み合うような形になる三成と重成。
鼻筋は触れるか触れないかの、曖昧な所でピタリと止まる。

「何の真似でしょうか」

「恍けるな」

三成の鋭く尖った剣幕が重成を貫く。

「貴様、何処で何をしていた。単に遊戯に耽っていたと言うならば貴様であれど容赦はしない」

重成は少し口角を持ち上げた。
悪巧みでもしている人間が浮かべるような、悪意に満ちた薄い笑みだった。

「私が遊戯に耽るような人間に見えるのですか?貴方は私の何を見てきたのだ」

「・・・・貴様・・・っ」

羽織を掴む三成の右手に、一際強い力が籠められ、これでもかと強い剣幕で重成を睨み付ける。
重成はその剣幕から視線を逸らさなかった。
持ち上げた口角を戻し、歪み一つない顔貌で三成を見詰め続ける。
三成の瞳は、酷い怒りに塗れていた。
対する重成は、口元に緩い笑みを浮かべた時から何も瞳に映っていなかった。
鏡のように目の前の三成の姿を射影しているだけで、本人の感情は何一つ伺えなかった。
目の前の物を狂いなく射影する澄んだ瞳なのに、感情の映写は一切しない重成の瞳。
三成が見慣れた彼の瞳であると共に、三成の感情を煽る不愉快極まりない目でもあった。
感情を何も映していないからこそ更に怒りを彷彿とさせる。
己がこんなにも怒っているのに、相手は何も感じていないらしい。
ロジカルに適った瞳が、何よりの証拠だった。
三成は目を見つめながら低い声で問いかけた。

「・・・何を考えている」

「何も考えていません」

「嘘を吐くな。私の前でまで貴様を偽る事は許さん」

「嘘なんて吐いた試しがありません」

「同じことは言わん。何かあったのだろう」

「何もありません」

「家康に会ったのか」

「会っていません」

「家康に会って、何を言われた」

「会っていません」

「ならば何故そのような顔をしている」

「諄(くど)いですよ兄上。貴方はそのような女々しい人間では・・・----」

最後まで言い切ろうとした時、既に重成の足は地面から離れていた。
羽織を掴んでいた手を更に倒され、体の軸を崩されると共に地面に叩き付けられたのだ。
突然の衝撃が体を襲う。
それでも悲鳴は立てなかった。
上げられなかった。
それ程の一瞬である。

声を上げたのは門番だった。
二人の様を見ると、全員が驚きの声を上げた。
部外を気にしている暇など重成には与えられなかった。
三成の言葉には隠すつもりさえ毛頭無い怒りが宿る。

「貴様はいつまでくだらない嘘を吐くつもりだ・・・いつまで私を『兄』と呼ぶつもりだ・・・戯れに付き合う事も限界だ。いい加減にしろ」

「・・・・・・・」

門番の声も意に介さず、三成は続けた。

「弥三。真実を口にしてみろ。貴様の本心を言え」

重成はそんな恐ろしい三成の眼光さえどこ吹く風で、「そうですね、」と、短く考える素振りを見せた。
やがて涼しげな表情のままで言った。

「手を放してください」

暫しの沈黙。

「・・・私に殺されたいのか?」

「理解出来ませんね。私は本心を口にしただけです」

「貴様は何も分かっていない!私が言いたい事は・・・・!」

三成が吠えかけた時、三成のやってきた門の奥から聞き慣れた声が聞こえた。

「やれ、騒がしいと思い、来てみれば何事よ」

三成の言葉を遮ったのは低く、それでいて掠れた声だった。
言わずと知れた、三成の友。
最奥の階段から宙に浮く不思議な輿に乗ったまま姿を現したのは吉継だった。






        
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