ある凶王の兄弟の話


□消えた絆
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大阪城は、天守閣の前に広い部屋が設けられていた。
床と天井は十尺ほどあり、数々の調度品や異国の物が点在した。
部屋の隅には高い四足の異国から来たと思しき奇抜なデザインが施された机や椅子には恐らく半兵衛の仕業であろう、座る余地もない位に書や巻物、高く積み上げられた紙束が置かれていた。
壁には地図と思しき日ノ本がどこにあるかさえも分からない、不思議な模様が画かれた紙が一面を覆っていた。

召集はそこにかけられた。
召集、即ちそれは議会を始める合図である。
豊臣の重臣、家臣、家老、小姓、身分の高い者は全て呼び集められた。
その中には勿論、重成や三成、吉継も居た。
全員が集まるのにそう長い時間はかからなかった。
全員が揃った部屋には重々しい雰囲気が漂い、家臣達の小声の会話が幾重にも重なる。
彼等は、徳川から手紙が届いたことを知らない。
何故なら、他の事で手一杯故に情報が行き届かぬ者が殆どだからだ。
故に何故此度議会が開かれるのか、それさえも知らない。
例外を除いては------
そう、文が届いた事を知る吉継や重成は違った。
吉継の報告通り、事は進んでいた。
文が届いた事が三成に知らされているのか、重成は知らないが、大方吉継の事である、三成にも情報は行き届いているだろう。
議会の中心となる人物、秀吉と半兵衛は未だ部屋に姿を見せていない。
二人が現れれば、それは議会の始まりを指す。
中心となる人物が現れるまで、家臣達は何故召集が掛かったのか、途方も無い情報交換をしていた。

吉継は瞼を閉じ、家臣の声が重なり合った雑音を聞いていた。
重成は己が存在を隠すように俯き、太閤の登場を待ち続けた。
常軌を逸した雰囲気を纏っていたのは三成だった。
音がするまで拳を握りしめ、まるで呪いでも掛かっているかのように小さく家康の名を口にしていた。
重成は俯きながらも、瞳を静かに三成に向けていた。
三成は吉継から話を聞いていたのだろう。
吉継の言った事は、三成の中にすでに大穴を穿ち始めている。
三成自身、仲間だと思っていた人側に裏切られるのは初めてだろう。
重成が思うに、彼がああなってしまうのも仕方がないようにも思えた。
依然、その三人に話を持ちかけようとする者は誰一人と居なかった。
吉継は癩病持ちで、皆うつる事を恐れて近付こうとすらしない。
当然、石田の二人は元々余計な事を話すのを好まないという理由もあるが、第一群れる事を嫌っている。
特に重成は城内では起こりうる出来事を只じっと傍観しているだけの薄気味悪い人として囁かれている。本人にすら、その風聞が行き届いてしまうほど色濃く、鮮明に。
三成は一度怒ればあの有様だ、多くは言わずとも分かるだろう。
彼等は人知れず声の掛け辛い雰囲気を放つ上、主君の身を守り義の為人斬りを生業とする人間ともなれば、家臣には何を考えているのかも分かるものではない。実際、余程の物好きでも無い限り話し掛けられる事もないのだから。

ただ、家康はまた別であった様だが。

「静粛に、太閤様の目見えだ!」

一閃して鳴り響く鈴の音に、重臣であろう人の声。
声が部屋を一蹴すれば、騒がしかった話し声も一気に静まり返った。

時も経たない内に、奥の扉が開いた。
現れたのは、見た者を慄かせる剛腕を持った影、偉業を放つ顔持ちに輝く真紅の瞳。
傍に立つは白銀の御髪に桔梗色の澄んだ瞳。
短い外套、麗人を思わせる立ち振る舞い。
姿を現したのは秀吉と半兵衛だった。
二人が現れると同時に、その場に集っていた者達は頭を揃えて額突いた。
秀吉がそれを当たり前とでもいった表情で部屋に足を踏み出し、奇抜な柄の椅子に腰かける。
半兵衛はその傍らで静かに立つと、撫でる様な声で言い放つ。

「表を上げたまえ」

呼応するように、額づいた者達は下げた頭を持ち上げた。
皆由々しき表情で、先程まで呑気に話をしていた面影を感じさせなかった。

半兵衛は確認するように集った人間に順々に目を向けると、重い口を開く。

「先日文が届いた。もう知っている者も居るかもしれないが、単刀直入に言う。文の内容は豊臣に対する徳川の反逆。そして宣戦布告だ」

家臣は城主を前にしている故細心の注意を払っていたが、流石に半兵衛の言葉に驚きを隠せなかった。
耳を疑う真実に、初めて聞く家臣たちは目を白黒させた。
中には声を漏らす者も居たが、半兵衛は彼等に視線を向ける事も無く話を続ける。

「予告された日まであと数日。出陣が遅れれば城を包囲されかねない。だがら急いで兵を上げる必要がある。皆も知っている様に、徳川の意志は固い。兵力も傘下にいた時の数倍と考えたほうがいい」

半兵衛は淡々と、事実だけを語った。
秀吉や集った者達は固い面持ちで話を聞く。
まるで、凍っているような空気だった。
張り詰めた雰囲気に息苦しささえ感じられる。

「今までになく火急な上、厳しい戦いになる。布陣は一度しか言わない、しっかり聞いてくれ」

半兵衛はいつもより速い口調だった。
それは恐らく誰もが感じている。
だがもう一つ、眼が良い人間にしか分からないであろう事もあった。
気が付いたのは重成だ。

半兵衛の顔色が随分と悪いように思えたのだ。
白い肌は、微かに青みを帯びている。
貧血であろうか、
理由は分からないが、少なくとも違和感を覚えたのは確かだ。
しかしそれは確信には至らずとも、話には関係の無い事。
重成は違和感を確信に変えず、話に耳を傾ける。

「地の利を得る為にはここを攻め落とされてはならない。その為にはここに陣を引いて・・・」

凸型が描かれた大きな地図を指さしながら、半兵衛は話を進める。
家臣は真剣に話を聞く。
三成と重成には、半分関係の無い話だった。
特に三成の前では、作戦は意味を成さない。
それでも三成は半兵衛の話を聞いている様子だった。
重成は顔を再度下に向け、如何にも話を聞いていないといった態度だが、耳殻はしっかりと話に傾けられていた。
ここ、あれ、それといった、物を指す単語が多く、地図を共に見ていなければ内容が理解出来ない話だったが、

いつまで固まった空気が続いたのであろうか。
布陣の説明が終われば、攻守の説明に入る。

「今回は秀吉も出る。秀吉の道を作るのは君達の役目だ。三成君、重成君」

「はっ」

返事をしたのは三成だけだった。
重成は擡げていた顔を上げる。
半兵衛と目が合う。
重成は目を逸らさない。
そんな重成を見て、半兵衛は悪戯に微笑んだ。

「何か言いたげな目をしているね、重成君」

そう半兵衛が言えば、三成の尖った視線が重成を貫いた。

「・・・」

視線を感じながら重成は黙秘する。
三成は、重成が布陣に文句があると思っているらしい。
いや、軍師が布陣の話をしている最中、口を挟む人間か言う事は大半が異論だ。
三成がそう思うのも、無理はないが
彼の視線を気にする事無く、重成は言った。

「随分と、体調が優れない様子で」

言葉を聞けば、半兵衛は目を見開いた。
返す言葉が無い、といった様子だった。
図星を突かれた。
まさに、その言葉のままである。
しかし半兵衛はすぐに笑った。
自虐的な笑いだった。

「君は目が利くね。確かに否定はしないよ。でも続けさせてくれ。僕には時間が無い」

その言葉が何処まで深い意味を持つのかは分からなかった。
しかし、話を引き摺るつもりはない。重成は只半兵衛の意思に従うだけだ。

「失言をお許し下さい」

少し頭を下げ、重成は言う。
半兵衛は満足げに頷くと、「良いよ、顔を上げて」と小さく言葉を紡いだ。
重成は顔を上げた。
いつものように笑う半兵衛の笑顔も、やはりどこか無理をしている様に見えた。

「話を続けるよ。今回は徳川の頭を叩けなんて無理は言わない。ただひたすらに、敵軍を蹴散らして欲しい。家康君本人は秀吉が相手をする。誰一人としてそこに人を踏み入らせてはならない何故だかは、言わなくても分かるよね?」

「承知しました」

「・・・仰せの儘に」

今回は秀吉自信も酷く頭に来ているらしい。
秀吉本人が家康の相手をすると言ったのは暗にそれが示唆されていた。
三成も頭に来ているのは事実である。彼も同じく、家康の相手をしたかった筈である。
だが、これは徳川と豊臣の戦いだ。石田が出張る幕ではない。
三成が怒り心頭と同じく、重成も同じように平常ではなかった。
平常ではない。ただそれだけだ。だがそこにあるものは怒りではなかった。
家康が裏切ったことに対して頭に来ていないと言えばそれは嘘になるが、反対に頭に来ていると言っても肯定は出来なかった。
重成は、三成のように単純に怒るにしては、視野が広すぎたのだ。
秀吉の心持ち、家康の心持ち、
双方を理解しているからこそ片方に味方し、純粋に怒るという事が出来ない。
何の情緒も沸かなかった。
只目前と迫っている戦に、小姓の身でありながら傍観者という視点で物事を捉えていた。
いつのまにか、そうなっていた。
いつからだ、

家康に感情を晒した、あの日からだった。

空虚に溶けた感情は、心酔という感情まで持ち去ってしまったらしい。
目の前にいる慕っていた存在にさえ、心酔という感情を抱けないでいた。
心酔出来ずとも、忠誠は変わらない。
その身に誓った忠誠は揺るがない。
故に慕い続ける。
命令があるという喜びだけは、いつになく感じられた。

三成は深く頭を下げた。
時同じく重成も深く額突いた。
半兵衛や秀吉が見てきた、二人の変わらない姿だった。
秀吉達も、何一つ変わらない二人の小姓に対し、顔を綻ばせる。
半兵衛が二人に目をやり、言葉を掛けようとした、その時だった。










             
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