ある凶王の兄弟の話


□惨劇の輪舞曲(上)
1ページ/1ページ








慶長3年。8月中旬。

剥き出しの岩肌が何里も先まで続く場所。
所々岩肌は盛り上がり、岩山を形成している。
暗い色に覆われた岩肌は曇天のせいで更に暗みを増していた。
しかし、まるで輝いているように眩しい白色が二つ、そこにはあった。
一際目立つ白銀の御髪、白の上に紫が重ねられた反り返った特徴的な羽織。
棘の装飾が施された甲冑は漆黒に輝いている。
三成だった。
その隣には重成が居た。
左手に甲冑を着けていない非対照的な腕に、胸部のみを覆う甲冑。
三成と同じ色合いの羽織。
二人共、左手には刀を携えていた。

重成は、閉じていた重い瞼を開けた。
彼の視界に広がったのは遠い向こうで岩肌を覆う金色の旗。
裕に二万は越える大軍勢であろう。
靡(なび)く旗に画かれた丸に三ツ葵が僅かに見える。
眼下に広がる金色は、その大軍勢とは思えない程の静寂を纏っていた。

「・・・・・」

ふと、重成が背後に目を向ける。
そこには緋色の旗を掲げる大群が居た。
五七ノ桐の旗印は風に揺られて歪な形を模している。
当然、彼らも動かない。
命令があるまで、合図があるまで、動く事は無い。
声すら上げず、呼吸だけを繰り返す。
敵を前にして静寂に両者を見詰める両軍。
完全に、嵐の前の静けさだ。

「・・・・・」

三成と重成は、豊臣勢の大群の最前線に立っていた。
異彩なる者、婆娑羅者がより力を振るうため、先頭に立つ事は珍しい事ではない。
だが、豊臣で最も有力であろう覇王の姿はそこには無かった。
彼は敵軍の大将が現れるまで姿を見せる事は無いだろう。
最も有力な人間に雑兵の相手などをさせて無為に消耗はさせられない。
雑兵を蹴散らし、覇王の道を作る。
それが今回、最前線を任された二人に課せられた命令であり、使命だった。

温い風が空気を撫でた。
旗が波打ち、乾いた音を出す。誰も動く気配が無い。

「何時ぶりでしょう、このような大軍勢を前にするのは・・・」

重成は背後の兵に向けていた眼を空へやり、思いを馳せながら言った。
三成はそんな重成を横目で捉える。

「余計な事は考えるな。今は家康を誅する事だけを考えろ」

「兄上は少し肩の力を抜いては如何ですか」

「必要ない」

三成は素気ない表情だった。
そのまま三成は戦場に眼を向ける。
重成は空を仰ぎ見るのを止め、三成に眼を向けた。
三成は横顔からでも確認出来る程に厳かな顔つきをしていた。
いつも戦となると気を引き締める。誰よりも冷たく、戦の前から纏う空気を刃のように尖らせている。
それは全く批判する事ではないが、何も人を畏怖させるまで固い構えはしなくてもいいのではないかと重成は思う。
しかしそれは個人の考えであり、実際は重成のように悠々と構えている者の方が少ない。
悠長に構える重成も、戦に対し余裕な訳ではない。
彼にとって戦が既に、日常の一部なのだ。
だから無理に気を張り詰める事も、過剰に緊張もしない。
それは三成も同じなのだが、彼がいつも厳かなのには別にある。

「人を斬るのが待ち遠しいのですか?」

いつも、三成は言われていた。
一途な為に誤解されやすい。
しかし重成は、三成が必要も無い殺生をする者では無い事を知っている。だが、あえて聞いたのだ。
平凡な衆生がいつも三成に問い詰める質問を、
三成は憤りを隠す事も無く重成に眼を向けた。
重成が質問したことは、三成が一番嫌う問い掛け。
それも承知の上だった。

「大事を前に、この私を落胆させるな」

三成にとっては、その質問自体答えるつもりは無いらしい。
更に三成は畳み掛けるように続けた。

「そんな事を今更に問うな」

「何故憤懣(ふんまん)しているのか私には分かりません」

「童子か貴様は」

「私は質問をしただけです。質問には肯定か、否かで答えるものです」

「そんな下らん問答に付き合う気はない。答えた所で何になる」

「どうにもなりません。只の時間潰しです」

「・・・・・・」


呆れて、物も言えないといった表情だ。
重成にとって、他愛も無いやりとりは言葉の遊びとしてでしか意味を成さない。
しかし悪びれた態度も無く、重成は続けた。

「貴方は、まるで私が兄上を間違って見解した上で話している様な口振りだ」

「何が言いたい」

「どうか、冷静になって下さい。先ほどの問いは、私に呆れて頂きたかったのです」

回りくどい言い回しだった。
思考が単純な三成には理解できる筈の無い言葉掛け。
三成はここで理解した。
先程掛けられた質問に、自分を憤慨させる意図は無かったのだと。
三成は嘆息した。
気の抜けが半分、呆れが半分の嘆息だった。

「私の母を殺した人間が、私に人斬りの是非を問うな」

そんな三成に対し、重成は乾いた声で笑った。
少し頬を緩ませただけの、僅かな微笑だった。

「仰る通り、問答を選んで発言すべきでした。不愉快な質問をして申し訳ありませんでした」

「フン、」

僅かだが、二人の間には兄弟としての絆があった。
互いに内心を分かり合った上で成り立つ会話。
信頼し合い、弱点を補い合う異なった二人。
単純で一途に想いを馳せ、当意即妙に秀た三成。
複雑で他人の読心に長け、予知感覚に富んだ重成。
どこまでも違う故に共鳴している心。
何事にも変えられぬ、強い『繋がり』の現れだった。

「・・・・!」

時も経たない間。
空気を揺さぶる低い音が戦場となる場所を駆け抜けた。
腹底にまで響き渡る音。
紛れも無い、進軍の法螺貝の音だ。
巻き上がる砂埃、甲冑が音を立てる。
それは今まで沈黙していた兵の情緒を酷く昂らせた。
遥か遠くに鎮座していた筈の金色を帯びた兵は三成達にも聴こえる位に喧(かまびす)しい雄叫びを上げていた。
呼応するかのように、二人の背後で沈黙に溶けていた兵が雄叫びを上げた。
声を聞くなり、嘆息で緩んだ三成の表情は再び厳かな物になる。
それまで不穏な表情を浮かべる事の無かった重成でさえ、遥か彼方の敵軍に緊張を孕んだ表情を向けた。

「いよいよだ・・・家康・・・私は貴様を許しはしない」

鞘を握る三成の左手に力が籠る。
重成はその隣で振動する空気を感じていた。
やがて後押しするかのように、言葉を紡いだ。

「何があろうと、兄上が死ぬ事は私が許しません」

三成が眼を向ける。

「それは私の台詞だ。秀吉様を残し、先に死に行く真似は許さない」

実際、それが何の意味も持たない事を両者共知っていた。
だが、これはあくまでも呪(まじな)いだ。
想いと言う名の、呪い。

視界の先の金色が進軍を始める。
砂埃が舞い上がる。
それを見るなり、二人は瓜二つな動きで柄に右手を掛けた。
しかし、二人が踏み込んだ方向は全くの逆だった。
三成は右、
重成は左、
それぞれに前方に迫りくる金色の兵を睨み付け、確立された声で言い放った。

「秀吉様----あの者達を斬滅する許可を----」

「秀吉様----あの者達を斬滅する罪を-----」


「私に!!」


そう言うなり、二人は弾丸のように左右に飛び出した。
二人を先頭に豊臣軍は目の前の徳川軍に向けて進軍を始める。

やがて二つの軍は縺れあうように渦となり、数知れぬ人間が刀を取って争い始めた。


ここに戦が始まった。

両軍の過去と未来が交差し合う、皮肉に塗れた戦。

それは同時に、誰もが予想し得なかった悲劇の始まりだった。







次→ (中)
 

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ