ある凶王の兄弟の話


□(中)
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地上は、今にも雨が降りだしそうな曇天を感じさせない程の熱気に包まれていた。


閧、犇めき合う兵士達の声。
怒号、叫び、悲鳴、断末魔。
そして刀が交じり合う金属音。
空に轟く火縄銃の発砲音。
長槍が甲冑を貫く聴くに耐えない雑音。
戦場を飛び交う矢石の数々。

武者は脂汗を砂埃で黒く染めながら刀を振るう。
兵は武骨な甲冑の下から紅い命を垂らしながらひたすらに槍を振り翳す。
もはや死を恐れて泣き叫ぶ声も聴こえない。
声という声は、全てかき消された。
意味を持たない『音』として、その場の者の耳殻を裂く。
喚く敵軍の一人斬りつけようと、戦う者の足は止まらない。
全ては勝つために、
栄光を手にする為に、
かつて共に戦った兵士達は、互いを踏み躙り合っていた。
そこには躊躇も、亡骸を儚む心も無かった。
全ては"力"
力のみが、生き残りを賭けた唯一の陛。
それは誰もが理解した現実。

どこかしこも、紅い血飛沫を舞い散らせている。
見るに耐えない殺風景。
数々の骸が倒れ伏す情景。
現実味の無い空間が剥き出しの岩肌周辺を覆い尽くしていた。

だが、ただ一つ血飛沫の舞い上がらない場所があった。
重なる怒号の中、敵軍に囲まれる白い青年は、本来の使い方で刀を振るわない。
刀を刀で受け止め、
心の臓を一突きしようとする槍を避け、
空を飛び交う矢石を躱し、
火縄銃の弾丸を捌く。
一斉により来る敵軍を斬らず、斬撃の合間を辿っては峰での殴打で気を失わせる。

重成はそこにいた。
己を斬らんと迫ってくる敵軍に、ひたすら刀を向け続けた。
彼は勝つための戦い方では無く----

生かす為の戦い方で、敵である者に刀を向けていた。

「がぁっ・・・!」

抜き身の刀と言えど、その刀身には血の跡一つ付いていない。
峰打ちを受けた者はまるで糸が切れた様に地面に倒れて行く。
だが、いくら倒してもキリがない。この戦場に飛び込んで来る前から、徳川が大群勢であるのは知っている。
見ている。
明らかに豊臣の兵とは比べ物にならない兵の数である。
劣勢であることは一目瞭然。
それでも豊臣兵は太閤の勝利を信じ、勇敢にも戦っている。
重成もその一人だ。
どれだけ不利な状況に追い込まれようと、諦めるという選択肢は無い。

「邪魔だ!!!」

顔を逸らして、前からの斬撃を避ける。
怒号と共に側面から突き出された槍を伏せて避ける。
伏せると同時に頭上で空を斬る槍の中心を刀で薙いだ。
銅金から穂先まで、全てを切り落とされた槍は只の棒切れと化す。

後方から怒号、空気を裂く音。
重成は決して聞き逃さなかった。
足に力を籠め、伏せた身体を一気に空へ持ち上げる。
自分が居た足場に、弓矢が何本も突き刺さった。

「逃がさんぞ!佐和山の狐め!」

そう怒鳴った兵を先頭に、幾人もの徳川兵が重成の落下地点に槍を向けた。

「・・・・・!」

それは重成を貫かんと向けられた物だったが、彼には切って下さいとばかりに槍を向けてられているように見えた。
左手に持っていた鞘を銜え、自由になった左手を刀に添える。
そのまま両手で刀に力を籠め、力量任せに振るうと、藤色の眩い光が一閃、戦場を駆け抜けた。

「なっ・・・!?」

軌道に入っていた槍は穂先を失い、単なる木切れと化す。
兵士はその光景に唖然とする。
一人、動きを止めなかったのは重成だ。
人の合間に着地すると同時に切れた槍を持つ兵に向かい、目にも止まらぬ速さで駆け始める。

「がはっ・・・!?」

彼が隣を駆けた徳川兵は、次々と白目を剥いて地に倒れ伏す。
重成は横を過ぎると共に、刀の頭や峰で、殴打を食らわせているのだ。
まるで流れる様な動きで、時に身体を回転させて、
只、兵の間を縫う様に走っているだけの光景にも思えたが、彼が走り去った後に次々と徳川兵が倒れていく光景は何とも異常だった。
重成を前にしていた徳川兵の全てを地に伏せる。
最後の一人の水月を突き、兵が気を失った事を確認した時、初めて重成は動きを止めた。

「は・・・・っ・・・はっ・・・!」

重成は大仰に肩を上下させ、その額には汗を滲ませていた。
彼の疲労は目に見えて理解出来る。

それもその筈、殺さない様に刀を振るうのは殺すより難しい。
人間を気絶させるのはそう簡単ではないのだ。単純に急所さえ知っていれば良いという訳でもない。
正確に場所、そして力加減等を理解していなければ気を失わせるのは難しい。
場所を誤れば人間は気絶しない。
力を誤れば殺しかねない。
しかし、生かそうと戦う己を差し置き、相手はこちらを殺す事しか考えていない。
温い戦い方をしていれば、こっちが殺されてしまう。
機会を伺いながらも襲い掛かる武器を避ける動体視力と瞬発力。
急所を見切る集中力。
相手が己の命を狙っている中での生かす為の戦い方という物は、非常に困難を極めるのだ。

銜えていた鞘を左手の内に戻し、肩を上下させながら前方を見据えた。
重成の眼の前では、相も変わらず殺風景が広がっていた。
舞い散る紅。
立ち上る砂埃。
積み重なる亡骸。
忙しなく鳴り響く金属音。
耳を劈く声にならない音。
その全てに果ては見えなかった。

「・・・・・・・・」

感慨を沸かせる事はなかった。
見慣れた光景。
転がる骸の数々に、同情の欠片もない。
只、紅い幟旗が地に伏せる度、
徳川勢に、その旗を踏み躙られる度、
彼はその眉を顰(ひそ)めた。
完全に豊臣勢の劣勢である。豊臣兵は長く続く戦で疲れ切った者が大半を占める。
新兵の多い徳川勢に、勝てる筈も無い。

重成はふと、遠い先に聳える岩山に眼を向ける。
その頂の色は曇天と半分程同化していて、いくら眼の優れた重成と言えど、頂に何があるのかまでは確認する事が出来なかった。
その時だった。

刹那、
騒がしい戦場の音を凌駕する、空を轟く轟音と、空からの一閃。
それは高く聳える岩山の向こうに落下した。


「!!」


雷だ。
岩山が遠いと言えど、轟音はその場の者を震わせた。
鼓膜を裂くような音が地を駆け貫ける。
重成は細い目を、見開かせていた。
彼が驚いている事は、落雷のせいではない。
雷が一瞬映し出した岩山の頂の影。
その影の形に、眼を見張ったのだ。

関節剣。
関節剣が高く、高く靡く影。
鞭のように刀身がしなる、半兵衛特有の武器だ。

何故・・・あのような場所に半兵衛様が・・・?

半兵衛は軍師だ。
だからこそあのような所に居るのはおかしい。
別の誰か、というのは考えにくい。癖の強い関節剣を扱えるのは半兵衛だけだ。
それに重成が捉えた関節剣は刀身を伸ばし切った、言い換えれば、誰かを斬ろうとしている時の状態だった。

戦っているのだろうか・・・

いずれにしても、良からぬ事を彷彿とさせるのは事実。
重成の中ではあくまでも仮定であるが、半兵衛は死病を患っている可能性がある。
戦って無事な体調でも無い筈なのに。

「・・・・まさか・・・」

嫌な予感は、何度も脳裏を過る。

気が付けば重成は疲れた身体にも関わらず、刀も収めないままで走り出していた。
走らずにはいられなかった。
行動せずにはいられなかった。
嫌な予感を拭えないままでいる事が出来なかった。

俊足で戦場を駆ける白い影。
無我夢中の彼を止められる者など誰一人居なかった。
前にいきり立った者は悉く薙ぎ倒され、止める事は敵わない。
風のように戦場を駆け抜け、岩山の肌さえ凄まじい脚力で駆けあがってゆく。
疲れる事さえ忘れた。
そこへ行ってどうするつもりなのか、
打算さえ無かった。

やがて岩山の頂上へ足を踏み込む。






重成の眼に飛び込んだ物は、信じ難い光景だった。









          
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