ある凶王の兄弟の話


□現罪と在
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天守閣に響く悲鳴。
甲高い悲鳴を宥めるような、また数人の声。
声の源に向かう前からずっと聞こえていた。
この高い声の主は半兵衛。
数人の声の主は彼の看病をする軍医の声だろう。
大分前から大きな声で叫び続けているせいか、半兵衛の声色は枯れている。
死人が喋ればこのような声になるのだろうか。
…いや
今は明らかに無駄口を叩いている場合では無い。
事態は重体だ。実に、重い傷だ。


天守閣の前の部屋。
そこは異国の文化を尊重し、障子ではなく扉が部屋を仕切っている。
畳や障子といった和風の世界とはまた一層違った異国の文化がよく伺えるような作りだった。
重成がその扉を開ければ、天守閣に留まっていた声が溢れ出す。
その声に眉を潜めながら重成は部屋に入ると軽く会釈し、「失礼します」と自身の身体を滑り込ませ、すぐ扉を閉めた。
勿論、声は悲鳴にかき消され、誰にも届かない。
酷く荒れた部屋だった。
山積みに置かれていた紙は散乱し、どれも派手に引き裂かれている。
異国から持ち行ったという繊細な硝子細工は粉々に割れ、破片が窓からの光を乱反射していた。
窓こそは割れてはいないものの、何かが何度もぶつけられたのか、透明な硝子には白い傷跡がいくつもついていた。

中央近くには、5人程の医師に取り押さえられた半兵衛がいた。
相当暴れたのか、波の掛かった髪は乱れている。
いつもの白い服も埃を被った物を動かしたせいで薄汚れ、またぶつかったせいなのか所々破れている。
荒い息遣いで呼吸を繰り返す半兵衛に眼を向けたまま、重成は冷淡なまま言う。

「随分と宜しくない御様子で」

医師達は重成の姿を確認すると、小さく彼の名を呼び、半兵衛を押さえ込む力を緩める。半兵衛は荒い息遣いのままゆっくりと顔を上げた。

「重成君・・・・かい・・・・?」

枯れ果てて消えそうな声だった。
良く耳を澄まさなければ分からないようなか細い声。
重成は辛くもその声を拾う事が出来た。
半兵衛の顔にいつもの仮面は付けられていない。色白で傾城(けいせい)のように美しい、彼の素顔。
だが、埃で薄く汚れている上に、白過ぎる肌は青を帯びて窶(やつ)れている。
彼の瞳の奥には、かつてのような冷酷な姿はもう映ってなかった。
とても軍師としてまた活動出来る様な精神でも身体でも無い事は一目瞭然だった。

「君の・・・傷は、僕が」

重成は首を横に振った。

「今は休まれて下さい。過去の栄光を壊そうとどうにもなりません」

半兵衛は徐々に俯く。

「違うんだ…この憤りを抑えようと、此処に行きたいと彼等に頼んだんだ…だが、余計に辛く…なってしまって、ね」

情けない、と
その声は掻き消え、誰の耳にも届かなかった。
半兵衛は汚れた両手で、顔を覆った。
重成には泣いているようにも見えた。

「秀吉が居ないなんて、いくら自分に言い聞かせようと受け入れられないんだ…秀吉は僕の全てだった…秀吉こそが僕の生きる意味だった…今の僕にはもう、何も残っていない」

「……」

静かに、重成は苦しむ半兵衛を見ていた。太閤を亡くした悲しみは等しく誰もに降り注ぐ。
それは悲しみに暮れる半兵衛を見詰める重成とて例外では無いのだが、彼は悲しめない。
悲しむには、余りに心が乾き過ぎている。
人間が悲哀を覚えた時のように涙が出ない。
あるのは心の虚しさばかりだった。
なのに、

「どうか、秀吉様に使われていたそのお命、御自身の為に使われてはどうでしょう」

感情があるかのような素振りだけは出来た。
実際は何も感じていないのに
心底相手を愁いでいるかのようなフリは得意だった。
共感という大前提を無視した同情。

突如重成から放たれた予想もしなかった言葉に、半兵衛は顔を覆っていた手を退かし、髪の隙間から驚愕した表情を覗かせた。
言っていることが理解出来ない、といった表情ではない。
「まさか君がそんな事を言い出すなんて」
そう驚く瞳をしていた。
冗談を言っている様子ではない。
重成に怪訝な顔を向けた半兵衛と眼が合おうと、一切重成が眼を逸らさなかった事が何よりの証拠だった。

「太閤を失った傷は重い。ですが私達は自分の足で歩まねばならない。その御体で未だ豊臣に残るのか、それとも軍師を止めて生きるか、選ぶのは『太閤』ではなく、半兵衛様の『自由』です」

重成の眼は何も写していなかった。
残って欲しいという疾しい気持も。これ以上此処にいるべきではないと訴える気持も。
どうしようと構わないと、
全てを受け入れる眼だ。
彼の眼だけはそう言っていた。
選択。
桔梗色の瞳が揺れる。
半兵衛が惑っている時だった。

「ぐっ……!」

突如、彼の胸を激しい激痛が走り抜けた。
痛みは血となって、咳と共に喉元を遡る。
半兵衛は痛みを堪えるように蹲った。

「ゲホッ!ゲホッ……!」

大量の喀血。
口を押さえた左手から溢れだす、血。
派手に床に飛び散り、無造作に散らばった紙や軍法書を紅く染めた。

「半兵衛様!!」

「しっかりなされよ!」

「誰か、布を持って来い!」

彼を気遣う軍医達。
其々に背を撫でたり、布を渡したりと忙しく慌てふためく。
重成は飛び散る赤に眼を細める。半兵衛の命が散っているようにも見えた。
時間がないのは明白だ。
その顔色からしても、症状にしても。
病は確実に半兵衛の命をを蝕んでいる。
半兵衛は胸が痛むのか、胸部の服を握り絞めた。彼の口元や床を数名の軍医が拭っている。
やがて呼吸が落ち着くと、血を含んだ布を振り払いながら苦し紛れに言葉を刻んだ。

「この命は秀吉に救われた…僕は、秀吉がもし死んでしまったら…自分も死のうと考えていた…」

「…故に、あのような場所に?」

重成の言葉に、一切の遠慮や迷いはない。他者からすれば無礼とも取れる態度かもしれない。
だが重成は半兵衛様をよく知っている。それは重成が、半兵衛が最も嫌うのが態とらしい労りと言う事を知っての態度だった。
あくまでもいつものまま、重成は半兵衛に接する。

「僕は…秀吉の死を目撃してから、我を失った…あの刹那の間、僕は死んでも構わないと、死んでも復讐するのだと、心の底から思っていた」

「……」

「けど…君を見て眼が覚めた。僕は何をしていたんだろうと…」

「あの場で死んで、どうなされる御積もりだ」

「…逃避でしかない。あそこで死ぬのは」

「貴方様はそれを知っていた筈です。剣を振るいながら怒りに駆られて我を失っている事を『演じられていた』時から」

「…いいや、目を背けた。『目の前以外見なかった』…全く、我ながら頭脳失格の、短慮だ」

「……」


重成は徐に目を泳がせた。

「『豊臣軍』は、未だ此処に在ります」

半兵衛は俯いて黙秘していた。
そのままでゆっくりと目を閉じる半兵衛。
斜め下に視線を泳がせる重成。
目を合わせる所の話ではない。

半兵衛はもはや反駁も肯定も出来ないらしい。
只重成の言葉に対し、沈黙で答え続けた。
やがて青みを帯びた顔を上げる。
それを視界の端で捉えた重成も、半兵衛に視線を合わせた。
半兵衛の表情は哀感を漂わせたままだったが、彼の瞳は何かが変わっていた。

「僕は、豊臣を降りるつもりはない…生きてしまったのならそれは死ぬ為に使うのではなく、秀吉の残した全てに使うべき、なんだ」

口の端から血を零したまま弱々しい声で言う。
半兵衛は更に続ける。
縋る様に、彼に続けた。

「選択が僕の自由ならば、僕は…豊臣の軍師として生き、豊臣の軍師として死にたいんだ…!」

彼は息も絶え絶えである筈なのに、そう言った。
言葉には、半兵衛の決心が宿っていた。
彼の強い思いも、
また軍師として見せる事の無い弱さも、
竹中半兵衛という人間の本心を剥き出しにした言葉だった。
重成は深く頭を下げた。
彼の小姓として、厳かに額ずいた。

「仰せの儘に、半兵衛様」

重成は顔を上げた。
彼が再び視線を向けた頃には、喋る事に無理をし過ぎた半兵衛が軍医達に背を預けて項垂れていた。
その様子を見て、重成は言う。

「私達も貴方様を支えます。お身体が快復されるまで、何もご心配になる必要はございません」

半兵衛は小さく頷く。
彼の顔色は、更に血の気を失っているようにも見えた。
喋るのもやっとの状態らしく、眼も何処か虚ろだった。
今半兵衛が頷いた事も、それが重成の話の内容を理解して頷いたのか、眼を見て話した重成にも確信出来なかった。

「どうか御心を凪ぎ、休まれよ。半兵衛様」

重成はそう言うと、半兵衛とその周りで半兵衛の様子を伺う軍医に一礼をすると、その部屋を後にした。

彼の顔つきが厳かな為であったからだろうか、
誰も、その背を止める人間は居なかった。



        
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