ある凶王の兄弟の話


□内部抗争
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空はどんどんと陽気を取り戻していた。
先程までの雨を感じさせない程に澄み渡り、地に点在する水溜まりは空の色を反射して鏡のように風景を写し込む。
虹が出ていてもおかしくない陽の光や水気が城内を包んでいた。
だが陽気に包まれる空とは裏腹に、地上の空気は険阻な雰囲気に覆われていた。


堀の端に点在する木々は陽の光を遮り、整理された道に異常な形の影を落とす。
その合間で同じく、異常な気配を感じさせる西の櫓近くで控える八咫烏の旗を掲げた軍勢。
数は50人程であろうか、
彼等が発するのは旗が閃く音のみ。
兵の一人一人が無駄を省き、実に洗練された足並みと静寂を纏っていた。
足軽に言われた通り、西に向かった三成と重成の前に現れたのは彼等、雑賀衆という傭兵軍団。
木々に身を潜める為であろうか、深い緑を主とした甲冑や陣笠を被った兵の中央に何処までも目立つ、燃える炎を連想させる橙色があった。

「…来たか」

現れた兄弟を見るや否や、そう呟く低い声。
明らかに男性から発せられた声では無かった。
『彼女』は男性ではない。

引き締まった痩身を大胆に晒した装束、漆黒に輝く黒練革の胸甲に豊かに膨らんだ両胸。
腰を纏うような形で着けられた革帯には幾つのも短銃が収められ、その武骨さを擬態するかのように艶やかな飾布が風に揺られて波打つ。

「無駄な前置きはいい。単刀直入に言う。豊臣が滅び、我らとの契約は白紙に戻った。これからは我らの惟(おも)う儘に動く」

凛とした実に通りやすい女声
三成の前に現れた者は、最高武力を持つとされる雑賀衆の女頭領、雑賀孫市。
妖艶な風采とは思えぬ程に堂々とし、誇りに生きる者の相貌だった。

三成は孫市の前に躍り出た。
それは意味深く考えるような事にも見えなかったが、現に表に出られるような状態ではない君主の代わりを果たす志が表れていた。
小姓という立場でありながら、頭領を目前とする覚悟。
それには常人なら背筋が凍る緊迫があるのかもしれないが、緊張は三成とは他縁の感覚だった。
いや、覚悟という言葉自体、彼には不要だった。
言うならば、彼は純粋に怒っていた。
畏怖を抱くべき最強の傭兵部隊に対して、三成はその感情しか抱いていなかった。

一方の重成は三成の背後部隊の中で、足軽に紛れて二人の様子を伺うように視察する。彼は決して、孫市を前にする三成の後ろにも続かなかった。
隠れるつもりも無いらしく足軽の先頭の列に並び、向かい合う二人を見据えている。
その表情には一触即発にも似た状況に対し、張り詰めた色のひとつもない。

もう一人、彼の隣に異彩な影を落とす人間が居た。
輿に乗った吉継だ。
依然その表情は繃帯と兜に隠れ、怪しげな瞳しか見えない。
少なくともこの事態を前に、嗤っている訳では無い事は瞳からでも伺う事が出来た。
吉継は、三成や重成が現れる前から既にここにいたのだ。
重成は「何故私達が現れる前から雑賀衆の相手をしないのだ」と吉継に問責したい気分であったが、今更なので忘れる事にした。

「貴様・・・秀吉様の許で生かされた命にも関わらずあの方に報いぬつもりか」

重成の気を差し置き、三成は苛立ちを隠さず更に低い声で孫市を睨み付けた。
勿論、孫市は怯む気配を見せない。
それ所が小さく鼻を鳴らし、君主に執着する三成を嘲っているような態度を取っていた。
それもその筈、孫市は女性と言えど誇りを遵守する雑賀衆の頭領なのだ。
簡単には臆さず、また動じもしない。

ふと、冷たく凍った炎のように孫市は言う。

「豊臣を破った者は徳川と聞く」

徳川。
それは三成が最も嫌悪する人間の名前。
三成の顔面にいくつもの皺が寄る。
しかし気にする事も無く更に孫市は続けた。

「その徳川から、我らに契約の文が届いた」

何の躊躇も無い声で
陽の光が眩しいのか、細まった双眸で三成を見据えたまま言い放った。

重成からは三成が驚きに浸っているのか、それとも怒りに浸っているのかは全く分からなかった。
だが、察するに彼の感情など至極読みやすく、また頭を捻るに値しない問題だ。
只言い様の無い不安にも似た空気を纏った沈黙が流れるのみだった。
息が詰まりそうな空気。
勿論、直接空気に影響している訳でも無いのに、重成は酸欠に似た息苦しさを覚えた。

「……」

今迄聴こえなかった小さな音まで耳に届く。
豊臣の足軽、そして雑賀衆の足軽共に発する甲冑が擦れ合う微細な音まで明確に耳に行き届いた。音の余韻に浸る余裕はその場に居る者には無かった。

「・・・豊臣を裏切るのか」

低く、唸るような声で三成は言う。
彼の持つ鞘が徐々に軋む。
怒りを表す音。
その音は孫市にも届いた筈だったが、例え聞こえていようといなかろうと、彼女の態度には影響しない。
肩を落としながら三成の怒りを逆撫でするように冷たく言い放つ。

「いつまでも我らが豊臣につく義理は無い」

孫市が言い放った瞬間。
三成の刀の柄に、右手が掛かった。
同時に彼は姿勢を屈め、今にも突進せんと足場を踏み締め、強く殺意の籠った眼で孫市を睨み付けた。
その光景に、豊臣の足軽はざわつく。

「落ち着かぬか、三成」

ざわつく足軽を差し置き、三成に声を掛けたのは今まで傍観していた吉継だった。
まるで時間が止まったかのように、低姿勢のままで三成が静止する。
吉継はそんな彼の背を眺めながら不思議な輿にあぐみをする。

「相手は太閤が最も評価していた者よ。あまり蔑(ないがし)ろに扱ってはならぬ。主にも分かろう」

無暗に刀を抜くなと言ったのだろう。
三成は答えない。
孫市を睨み付けたままで動かない。
対の孫市も、全く三成から眼を逸らそうとしなかった。

進まなくなった会話に、重成は呆れた様に嘆息し、張り詰めた空気に一石を投じる。

「雑賀衆・・・。与(くみ)し者に勝利を齎す八咫烏」

懐かしむような口調で重成が言う。
孫市の視線が三成の後ろに注がれる。
また三成も、横目に重成の姿を捉えた。
両者の視線を浴びる重成は傍聴を止め、ゆっくりと眼を開けた。
孫市と眼が合うなり、口を開く。

「進まない話は止めましょう。貴方が告げたい事は別にあるのでは」

「…お前か。石田重成という"からす"は」

孫市と重成には、互いに面識が無い。
豊臣に与し時から、重成は全く表に出ていないからだ。
戦の時も、彼はいつも目立たなかった。
戦場のどこかで手柄を立てようと自己の主張が全く無いからだろう。
そんな重成を静かに嘲るように孫市は続ける。

「噂には聞いている。その昔、兄弟、石田三成と共に殺戮の覇道を尽くし、豊臣を勝利へと到らしめながら矢面に立つのを止めた、腰の引けたからす、とな」

「……」


撤回の一言も無いままで重成は沈黙する。
ほどなくして一つ瞬きをすると、倦怠に傾いた首を持ち上げた。

「先程お聞きしました。まさか徳川と同盟を結ぶつもりですか」

「我らがどうしようが、お前には関係の無い話だ」

「貴方の判断に息巻くつもりはありません。私が言いたいのはただ1つ」

重成は一呼吸置いた。

「太閤の居なくなった『弱い』豊臣に様は無く、力量の『勝る』徳川に付くのですか」

実際はイントネーションの欠片も無い乾いた文であったのに、嫌に強弱掛かって聞こえた台詞だった。
孫市は憮然と眉を顰める。

「さぁな。弱者猛者を決め付けるのは私ではない。我らは、我らの能力を高く買う者に付く、それだけだ」

ただ、言うのであれば…と、孫市は続けた。

「我らは、弱きに興味は無い」

「…………」

憮然と眉を顰める孫市に対し、また重成も眉を顰めた。
示唆された事は誰もが理解した。
それを分かってか、重成は孫市に向かってゆっくりと歩み始めた。
勿論、彼の瞳には怒りの色など微塵も無かった。
そこにあるものは、ただの『無』に等しい、漠然とした表情。
そして重成は歩みながら柄に手を掛け、ゆっくりと白刃の刃を剥き出しする。
やがて切っ先は鞘から離れ、弧を描いて地に触れる。

彼は抜刀したのだ。

「弥三・・・?」

切っ先を砂利に接触させたまま歩く重成は、三成とのすれ違い様に小声で言う。

「私が時間を稼ぎます。どうか、彼等へのご判断を」

三成は過ぎ去った重成を捉えるなり驚いたように屈んだ姿勢をすこし緩め、柄から手を離した。
重成は孫市から適当な位置に立つと、彼女を乾いた眼差しで見詰め始めた。
決して怒りや悲しみも籠らない、存在だけしか感じさせない彼の佇まい。
それに違和感に似た何かを覚えた孫市は身を少し強ばらせた。
ただでさえ重成は刀を抜いている。
何を考えているか分からない人間に対し、その状況で警戒しない筈も無い。
勿論、吉継もその光景を見ていたが、彼は何も口を挟まなかった。吉継は知っているからこそ止めなかったのだろう。
何故温厚な重成が突然刀を抜いたのか
己から戦を望んだ事の無い重成が自らそれを望んだのか
…いや。
重成は個人的な動機では動かない。
彼が行動を起こす理由は只一つ。

「では私が豊臣の力の一端を、貴方に証明します」

重成が自ら行動を起こす時には、必ず大義への思慮があった。
重成の顔に影が落ちる。木の葉に遮られた歪な形の影だ。
だが孫市は、彼の表情を見て笑みを浮かべた。
勿論、余裕の為に浮かべた笑みではない。
簡潔に言えば重成が示した忠義を冗談とでも受け取っているかのような笑み。
更に言えば、彼女は嘲っているのだろう。
忠誠に生きる人間を、
その為であれば、己の誇りをも捨てる自分とは全く別の人間を。

孫市は革帯に取り付けられた短銃を、指を滑らせるように撫でた。
そして刀を晒す重成に向かって、ハッキリと明確な声で言う。

「今の『お前』に、それを証明することが出来るのか?」

重成は答えない。
刀を納めない態度で応える。

既に勝ち戦、と決まっているかのように綽々と構える孫市。
彼女に向かって重成は躊躇もなく一歩で間合いを積めると、『右手』のみで扱った刀を振り上げた

「それを決めるのは、私自身だ」







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