ある凶王の兄弟の話


□八咫烏の弾丸
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強引に薙がれた刃は、標的に掠る事も無く空を斬った。
無論、その標的なる孫市は一直線に己の頸部を狙った一振りを避けた。
孫市の表情は変わらない。
驚いた素振りもなく、当たり前とでも言うかの様。

『雑賀孫市』という名は、血筋や冥利を問わなければ、また年齢も、性別さえも問わない。
その全ては実力と、胸に宿す誇りの気高さのみによって継承される。
故に現孫市の名を継いだ彼女は、雑賀衆の誰よりも荘厳にして強剛という事が示されている。

重成が放った初撃は、そんな彼女を過小評価しているとも取れるような一撃だった。
更に言えば、経験だけに任せた斬撃に見えた。
収刀の状態から踏み込み様に抜刀する居合を得意とする彼にも関わらず、始めから抜刀して。そして目の前から、刀は振り降ろされたままの上に鞘を握る左手は完全に意識の外。
斬撃自体は、孫市が眼を閉じていても簡単に避けられるような甘い太刀だったのだ。
ただ1つ、

弱腰を彷彿とさせる速度の刀にしては『正確過ぎる軌道』を除いては

「…成程。お前の技巧は落魄(おちぶ)れた訳ではないらしい」

「心外ですね」

そう言葉を発しながらも続けざまに孫市に襲かかる二撃目。
今度は振り下ろされた刀の勢いを殺さずに、徐に身体を回転させて放たれた。
急所に向けた正確過ぎる角度故に真面に受ければ致命傷にもなるが、振るわれる刀自体緩やかな動きであることは初撃とは変わらない。
孫市は再びそれを身体を逸らして避けた。
しつこく彼女を襲う、第3撃目。
今度は殺陣による軌道に従った攻撃。
流れた刀の筋から軌道を見出だし、また正確な角度から孫市の頸を狙う。

「!」

突然重成の刀の扱い方そのものが変わった事に対し、孫市は純粋に驚いた。

「伊達に経験だけを積んでいる訳ではない、という事か」

孫市がその身体を空に持ち上げた所でやっと重成の刀が孫市の居た空を斬った。
片手のみで振るわれている刀だからこそ薙がれる動きが鈍かったのもあるのかもしれないが、それほど機敏に孫市は動いたのだ。

孫市は空中で初めて短銃を抜いた。
彼女の使う銃は撃鉄を必要としない。両手の銃を躊躇う事無く重成に向けると即座にトリガーに手をかけた。
トリガーに手をかける乾いた音が重成を俊敏に反応させる。
また宙を滞在する孫市を捉えると同時に轟いた聞き慣れた銃声は、彼の意思を更に覚醒させた。

「ッ!」

銃弾の道が読めたのも、銃弾そのものを捉える事ができたのも、動体視力が優れている故に出来た事かもしれない。
だが今の重成には、右手のみの腕力で銃弾の威力を完全に相殺することは不可能だった。
瞬時にそれを頭で理解した重成は弾丸を相殺する事は諦め、弾道だけでも逸らそうと試みる。

「…!」

ガィンッという、鈍く、そして強く金属が摩擦する音。
共に弾かれ、弾道の逸れた弾が固い地面を深く抉る。
重成の狙い通り逸らす事には成功したものの、衝撃が強すぎたらしい。
思わず重成は身体の軸を失い、よろめいた。

「どうした、まさかそれが豊臣の力、とやらか?」

嫌味らしく孫市は嘲る。
彼女の整った顔付きは、冷酷なまでに凍てついたまま。
そのまま地に下りると、体制を立て直した重成に銃口を向けた。

そうは言ったものの、彼女自身も気が付いていた。
銃弾を『片手』のみの腕力だけで、また刀を薙いだ不安定な姿勢から弾く事など、熟練された達人でさえ易々と出来る事では無いと。
だが、彼女はあえて嘲ったのだ。
その彼女に対し、重成も小さく嘲笑していた。
単に口許を緩めただけの、笑顔と取れるかも不明なものではあるが。

「まさか、目の前にあるものが全て結論ではない」

言い終われば、銃口を向けられているにも関わらずに瞬間移動のような動きで距離を詰めると、また彼は孫市を斬らんとばかりに刀を振るった。

「!」

銃は遠距離を得意とする武器
また近距離だと弾丸が命中する可能性も高まるが、動く相手を前にすると誰でも捕捉する事には時間を有する。
それを知っていて重成は間合いを詰めたのだ。

たった一瞬の動揺を付け込まれた孫市に、トリガーを引く余裕は与えられなかった。
それでも彼女は両の短銃を盾代わりにして斬撃を受け止める。
派手な音と火花が飛び散る。
同時に、鍔迫り合いが始まった。
力を相殺し合ったままで、重成の片手と、孫市の両腕は交差する。

「同じ戦場で戦い、同じ相手をしても、ただの一目も目撃する事の無かったお前が、まさかこんなにも好戦的な人間だったとはな…逆に、目立っていなかった事の方が可笑しく感じる」

「私への見解は不要だ。この力は豊臣の力です」

「…ほう。お前は豊臣に使われ続ける『武器』だ。お前の眼は非道を訓示されようと、そこに人間の情すら挟まない無慈悲な眼だ」

「私にも意思はあります。望まない物さえ傷つける武器とは違う。貴方がはき違えている無慈悲とは、一人の人間に対する忠義だ」

重成は右手に力を籠め続けたままで一歩を踏み出す。
逆に孫市は、一歩後退る。
孫市は歯を食い縛ったままで細い眼を更に細めた。

「私個人として、貴方に言いたい事があるとすれば…---」

木々が織りなす変則的な千鳥格子のような模様が重成を怪しく飾る。

「豊臣を黙示で冒涜した事に対し、頭を垂れなさい」

重成はそこで、孫市の銃を弾き、右に逸れた刀を孫市の咽喉目掛けて薙ぎ払う。
孫市は再び寸での所で身体を逸らし、一撃を避ける。
余程ギリギリだったのか、彼女の髪が短く斬れた。
重成は容赦なく刺突を繰り返す。
悉く避ける孫市。
彼女の耳の隣を何度も刀が掠る。

「やはり貴様は"からす"だ。君主の死を受け入れる事も出来ず、死人に縋る事しか出来ない」

「貴方が私を語るには無知だ」

ただでさえ相手が居合に富んだ人間だ。
瞬発力は常人を遥かに上回っている上に避ける速度も顔を逸らす順番も、完全に攻撃を仕掛けている方が掴んでいる。
この攻防に孫市にとっての利点は皆無。
体力の尽きるのを待つばかり。
しかし気の緩みは互いに許されない。
攻撃を仕掛け続けている重成でさえ、孫市の反撃には応対しきれないからだ。

孫市は刀を避け続ける事に限界を感じたのか、後方に退く。
地を踏む際に首の薄皮を切り裂かれたが、そんな事を構っている余裕も無い。

「……」

彼女には、重成に対し感じた不自然な点があった。
手練れであるのは間違いない。だが己と刀を交えた際から気付いていた。
それは重成の刀の扱い方。
石田の2人は居合を得意とする筈なのに収刀を一度もせず、孫市に襲かかる斬撃は完全に右腕の腕力だけに頼った攻撃の上に、鞘を握っている左手は一切使おうとしない。
それ所か、左手の存在はもはや無いに等しいかのような戦い方なのだ。

「……」

孫市の思慮を他所に、重成は孫市が取った距離を一気に詰め、下からの婆娑斬りを試みる。
依然その婆娑斬りさえも、やはり右腕の腕力だけに任せた一撃。
片腕で振るう刀は両腕で振るうより速度が遅い事は明白。
幸いにも攻撃のスピードは孫市の方が勝っていた。
正確な位置を狙う斬撃も、速度が遅ければ恐るに足らない。
孫市は驚く仕草も無く、重成に向けた銃のトリガーに手をかけた。
刀を振るう速度と、引金を引く速度の違いは明らかに違う。早いのはどう考えても後者だ。

「!」

孫市の銃口自体は、重成本人に向けられていなかった。

彼女が狙っていたのは、左手に握られた鞘だったのだ。






        
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